未来の味
《未来の味》
残忍な夜を少年は歩く。
寝る気のない街に潜む、散らかった裏路地。落書きがひしめく高い壁に挟まれた道は、月明かりと遠くのネオンで不気味に伸びていた。
灰色のフードで守られた頭を夜風が撫でていく。
ふと、こつこつと鳴る靴の音が聞こえて、ひび割れたアスファルトばかり見ていた顔を上げた。
細い路地の両側に散らかるゴミ。その奥に、儚い人影が見えた。
――ああ。
少年は悟った。
両者とも歩みは止めず、やがてふたりが出会う。
透き通るものを羽織った、手足が細く長い女性。膝ほどまである髪の毛が、弱い風に揺れて右に広がった。
月明かりを淡く反射する、薄く儚い服をじっと見つめる。
こんな格好して。まるで、妖精だ。
笑ってしまう。
これからこいつに言われることは、もう分かっている。
表情ひとつ動かさずに話を聞いた少年は、無愛想な妖精からふたつの物を受け取った。
ペンのほうは、すぐ足元に落として捨てる。
妖精は、少しだけ驚いたように見えた。
フードの陰から彼女を見つめて、少年は口元をにやつかせた。
先程貰った四角い瓶。その蓋を回して開けると、暗い液体でいっぱいに満たされていた。蓋も汚い道へ投げ捨てる。
深夜の淡い光を、艶々と七色に反射するインク。
少年は知っていた。
「やっと、会えた」
瓶とペンの説明以外はひとことも声を発しない妖精が、呆然とする。
少年は、未来がつまった一瓶を両手で握りしめた。
「やっと……」
そして、透明な瓶をそっと口へ運んだ。
瓶上部の曲線に唇が触れる。冷たく硬い感触と、ぞっとする感覚が同時に来た。妖精の顔は見えない。
そのまま、首をゆっくり傾けてインクを飲み干す。
重い液体が喉へと流れ込んでゆく。ひんやりと舌に触れ刺すような辛さがする。甘酸っぱいようにな感じたが一瞬で、すぐに苦味が口内に充満した。
目を固く閉じてごくごくと喉を動かす。思い切り瓶を傾けると一緒にフードが落ち、長めな前髪が露わになった。黒い髪が月に照らされる。
まだインクは残っている。喉の奥、腹の奥が、燃えるように熱くなり始めた。内蔵からせり上がる熱を抑えて飲み続ける。
そして、急に味がしなくなったと思えば、透き通った味がすると思ったら、身をえぐるような痛い味がした。
これが、俺の命の味、未来の味なんだと思った。
もう瓶は空だ。
顔を正面に戻して、震える妖精を見つめる。
空っぽになったただの瓶を放ると、からころと不思議に綺麗な音で転がった。
儚い妖精に数歩近づく。
「ほら、やっと会えた」
水晶みたいな涙の溜まる彼女の瞳は、あのインクのように妖しく煌めく。
「観月、覚えてる?」
至近距離の彼女の顎に触れる。冷たい。
目を見開いて固まる彼女の背中に手を回した。
夜空色をしたインクが端に残る唇を、彼女のそれにそっと寄せる。
触れたときにはもう、互いにこんなおかしな身なりは消えて、あの頃の姿になっていた。
止まった満月が傾き始める。
END?




