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魔法つかい

《魔法つかい》



 これは、僕が小学生だったときの話だ。

 幼少期は甘え坊主だった僕が、ようやく自分の部屋でひとりで寝られるようになった頃。ある日、布団に入った途端、目の前がぐるんと回った。

 はっと気がついて、急に怖くなる。その日はあまり体調が優れなかったが、まさかあんなめまいを起こすとは思っていなかった。

 どうしたんだろう、怖いな。今日は親と一緒に寝てもらおう。

 そう思って布団から出た瞬間だった。

 僕はその妖精に気がついた。

 びびりだった僕はわっと大声を上げて、恐怖のあまり部屋から飛び出す。しかしそこにはもっと怖い光景が待っていて、僕は泣きながら家中を走り回った。

 居間でテレビを見ていた父も皿洗いをしていた母も、当時飼っていた犬のハリーさえ、蝋人形や剥製のように固まって、ぴくりとも動かないのだ。

 僕は大声で叫んだがそれでも誰も動かない。テレビの中の芸人さんまでも、相方の頭にチョップをしたまま固まっていた。

 すべての世界が、動画の停止ボタンを押したように止まっていた。

 結局、どうしようもなくなった僕は自分の部屋に戻ってくる。

 そして妖精と対峙した。

 いつのまにか部屋にいた、ひと目で「妖精だ」とわかるその姿。

「こう君、久しぶり」

 優しい声とその呼び方に、僕は安心してよいものか迷って後ずさる。

「大きくなったね」

 どこかで聞いたような口調だった。懐かしさに、一歩前に出る。

「大丈夫だよ、おいで」

 その言葉で、僕はようやく妖精のもとへと歩み寄った。

 映画でも見たことのないような不思議な服を着ていて、女性のようだが年齢はちっともわからない。ふわふわの巻き毛の髪はとても長くて、優しさを抜けば妖精というより魔女みたいだ。

 僕に合わせてしゃがんでいた妖精が背を伸ばす。妖精といえば手のひらに乗るようなものをイメージしていたが、目の前の妖精は大人と同じくらいの背丈だった。

「あの……」

「うん?」

「母さんも、父さんも、みんな」

 動いてくれない。涙声で、それを訴えたかった。

「ああ」

 妖精は納得した様子で僕の頭を撫でる。

「大丈夫よ。今ね、ちょっと時が止まってるだけだから」

 そうして、妖精はあのインクや万年筆の力について、幼い僕にでもわかるようなやさしい言葉で教えてくれた。

 このインクで未来を書くまで時が止まったまま、つまり、書けばまた動き出す。

 それを聞いて少し安心した僕は、大人しく妖精の指示に従った。

 万年筆なんて触れたこともない僕がちゃんと未来を書けるまで、その妖精は付き合ってくれた。インクの入れ方、万年筆の持ち方、使う上での注意点。ゆっくり説明してくれて、書き終わった僕が振り返ると、妖精は姿を消していた。

 それから、僕はこわごわ家族のいる居間に行く。扉越しにテレビの賑やかな声や食器を洗う音が聞こえてきて、僕がどれだけほっとしたかは今でも言い尽くせない。

 その日はやっぱりまだ怖かったので、母と一緒の布団で眠りについた。



 そして、インクで未来を綴っていく生活が始まった。

 勉強が得意ではなかった僕だ。毎日毎日文字を書かなければならないのは少し苦痛だった。

 しかし、その度に妖精の言葉を思い返す。

「このインクはね、魔法のインクなのよ。これを使って書いたお願いは叶えてもらえるの」

 そのことを考えれば、書くのが面倒なのも忘れてしまえる。

 実際、魔法のインクというのは本当だった。書いて願えば宿題も減ったし、体育のある日に雨も降らない。予定がきちんと決まっている給食は無理だろうかと思ったけれど、嫌いなものが変わるように願いを書けばなんと急遽変更になった。

 まだ小学生の僕はもう鼻高々で、自分が魔法つかいになったことを誰かに自慢したくてたまらなかった。でも、そんなことをすれば頭のおかしいやつだと思われるか、インクを狙われるかもしれないので我慢していた。家に親がいないとき、こっそりハリーに話したりはしていた。

 そうして、未来を書く日々にもだいぶ慣れてきた頃、僕はずっと叶っていないある大きな願いを思い出した。

 もう諦めかけていた願いだ。

 僕は兄弟が欲しかった。

 弟でも妹でもいい。ひとりっ子で近くにいとこもいない僕は、血の繋がりがある年の近い子が誰もいなかった。周りで兄弟と遊んでいる人を見て、どれだけ羨ましく思ったことか。

 しかし、誰にどう願っても僕に兄弟はできなかった。

 でも、もしかしたら、このインクなら叶えられるんじゃ。そう思った僕は、さっそくその願いを書いてみた。

『ぼくにきょうだいができる。』

 幼い僕だが、赤ちゃんはしばらく母親のお腹の中で育つんだということくらいは知っていた。だから、いくら魔法のインクだとはいえ今すぐに兄弟が産まれるなんてことはないだろう、待たなきゃ、と、願いが叶った様子がなくてもなんとも思わなかった。

 でも、いくら経っても、僕に兄弟ができたような気配はない。

 おかしいな、たしかに書いたはずだ。ノートを見返しても、ちゃんとあのインクでそう書いてある。

 もしかして、僕をびっくりさせるために隠してるのかな。そう思ってばれないように探りを入れてみたりもしたが、やっぱりなにも変わっていなかった。

 どうしてだろう。その他に書いた願いは、全部ちゃんと叶ったのに。

 どうしようか考えて、もう一度あの願いを書いてみることにした。

 今度はちょっと文面を変えて。

『母さんのおなかに赤ちゃんが来る。』

 それでも、なにも変わらない。

 1ヶ月待っても、2ヶ月待っても、なにも。

 しばらく経ったある日、僕はふてくされてひとりで散歩に出かけた。引っ込み思案だった僕には、その頃一緒に遊ぶほどの友達もいなかった。

 住宅街を抜けるといろんなお店が並ぶ通りに出る。スーパーに自転車屋、たい焼きの出店、インド料理のレストラン、ファストフード店の隣には本屋さん。そして鍵屋まで来たところで僕は足を止めた。

 ごちゃごちゃした雰囲気の鍵屋さん。僕は鍵屋と呼んでいたけれど、実際は時計屋兼はんこ屋兼合鍵屋で、収益のほとんどは時計とはんこ関係だったらしい。それなのに鍵屋と呼んでいたのは、店の前にある鍵の形をした目立つ看板のせいだった。よくその看板と背比べをしていたが、当時は僕より全然鍵のほうが大きかった。

 ここで立ち止まったのは背比べ以外にも目的がある。人見知りで大人との関わりももちろん苦手な僕だったが、この店の店主とはなぜか知り合いだったのだ。

「おう、来たか」

「うん」

 狭い店内の奥のカウンターから店主が顔をのぞかせる。本当の名前は知らないので、僕は「鍵のおじちゃん」と呼んでいた。

「学校はどうだ?」

「まあまあかな」

「そうか」

 そう言うと、おじちゃんは手に持った腕時計の修理を始める。細かい部品を器用に扱うその手つきを見るのが僕は好きだった。どんな壊れた時計でも、おじちゃんの手にかかれば魔法のように元通りになる。

 この鍵のおじちゃんなら、魔法のインクのことだって笑わずに聞いてくれるかもしれない。だから相談してみようかと思ったけど、いざとなると声が喉に詰まったような感じがして、結局この日も話すことはできなかった。

「じゃあ。またね」

「気ぃつけて帰れよ」

 もやもやが残ったまま家路につく。終わりかけの夕焼けを見ると夜の迫りを感じて怖くなり、まっすぐ家に帰ったが、母の顔を見るとなんだか勝手に気まずくなった。

 僕はこんなに兄弟が欲しいのに、母さんどころか、魔法すら願いを聞いてくれないなんて。

 より一層むっとして、部屋に閉じこもる。インク瓶を手のひらで転がして、角度により妖しく色の変わる様子をぼうっと眺めていた。



 秋になっても、僕に兄弟ができる気配なんてちっともなかった。

 おかしい、どうして、と僕は焦りはじめる。

 これは魔法のインクじゃないのか。どんな願いでも叶えてくれるんじゃなかったのか。

 もう一度あの妖精に会いたい、会って問いただしたい。

 そう思い、ようせいに会う、と願いを書いたが、これも叶わなかった。

「なんで?」

 つぶやきながら、僕は念を込めて書く。

『ぼくに兄弟ができる。』

 それでも、何度書いても願いが叶うことはなかった。

 その代わりに、他の願いはどんどん叶っていった。誕生日には父さんの仕事が休みになったし、嫌いなうるさいクラスメイトは転校した。先生に難しいと言われていた算数のテストも高得点だった。

 それなのに。

「ねぇ、最近どうしたの?」

「え?」

 昼休みの教室。今日は雨が降っていて外には出られないし、そもそも一緒に遊ぶ人がいない僕は、自分の席で本を読むふりをして考えていた。

 そんな僕に、いきなり話しかけてきた人。クラスの女子だった。

「なんか変じゃない? なにかあったの」

「いや、別に」

「そっ。なに読んでるのー?」

「え、えっと」

 躊躇なく本を覗き込む彼女。女の子との関わり方がわからない僕は戸惑って身を引く。

「これ面白いの?」

「……うん、まあ」

「今度読んでみようかなぁ。あ、よく見たらお兄ちゃんもこの本持ってたかも!」

 お兄ちゃんがいるのか、と、また身体のそこから羨ましさが湧いてきた。

「でもお兄ちゃんが読むようなやつってことは難しいのかなあ」

「……いいな」

「え?」

 小さな小さな呟きだったが、彼女には聞こえてしまったようだった。

 くりくりした大きな瞳が、不思議そうに僕を見つめている。

「なんで?」

「え、え、えっと」

 かくんと首をかしげた彼女は、これまた不思議そうに言う。

「なにが『いいな』なのー?」

「………………」

 僕は日々のもやもやと嫉妬と人見知りで泣きそうになった。それでも、その子の純粋な表情を見て、僕にいじわるしたいわけじゃないんだ、と言い聞かせる。

「えっと、その」

 口をもごもごしたのち、僕はやっと言葉を絞り出せた。

「兄弟が、いることが」

「お兄ちゃんがいていいなー、ってこと?」

「……うん」

 すると、彼女はむむっと顔をしかめた。不機嫌そうな表情に僕はひるむ。

「……えっと」

「別によくないよー。わたし妹もいるけど、毎日喧嘩ばっかりだし。何人も子供がいるとお母さんもめちゃくちゃ大変そうだしさ」

 ませた顔で言いのけた彼女は、微妙な笑顔で言う。

「最初からひとりっ子だったら良かったのにっていつも思うよ」

 僕は、かっとなって、でも女子に手も口も出したらいけないのはわかってて、どうしようもなくなってまた泣きそうになった。

 今思えば、その子は下の兄弟をひとり亡くしていたから、命の大きさを僕よりもちゃんとわかっていたのだろう。なんにも考えず手放しに兄弟を欲しがる僕とは違って。

 たとえば、ペットを飼うときに死んだときのことまで考えられる頭の良い子。そんな子だったんだと思う。

 しかし、幼い僕はそうじゃない。自分の欲望しか見えていない、ただの阿呆だった。

 実際、兄弟ができて僕はなにをするつもりだったのだろうか。一緒にゲームで遊ぶ、お風呂に入る、ふたりでおつかいに行く、学校でこっそり会う。そんな楽しいことばかり想像して、喧嘩したり兄弟で比べられたりすることまで考えが及んでいなかった。

 それに、命なんてものをこんな小学生が、インクで操れるだなんてとんでもない話だ。そのことを、インクを創り出した存在はちゃんとわかっていたんだろう。

 だから、何度書いたって叶うはずがない。

 そう、僕は、あの妖精の話をちゃんと聞いていなかった。

『でもね1個だけ気をつけてほしいのは、人の生死に関わることは叶わないの』

 僕は上の空でそれを聞き流したせいで、どれだけインクを無駄にしようとも兄弟ができることはないと気づけなかった。その忠告自体は覚えていたが、勝手に、人を殺すことは願ってもできないという意味だと思い込んでしまっていた。人が生まれることにも干渉できないと、気づいていなかった。

 イライラしていた僕は、インクも惜しまず書きなぐった。

 何回、何回書いても叶わない。

「くそっ…………」

 悪態をつき、ペンを置く。

 妖精には丁寧に扱うよう指示された万年筆。よく見ると、ペン先の細い部分が前よりも少しだけ反っているように見えた。

 怖くなって、現実逃避するように万年筆を引き出しの中にしまう。

 次の日に見ても、やっぱりペン先は曲がっていた。



 それでも、僕の欲望はとどまることを知らなかった。

『ぼくに兄弟ができる』

『妹が生まれる』

『弟が生まれる』

『ぼくの家族がふえる』

『ぼくがお兄ちゃんになる』

『ぼくが』

 どんな言い回しをしようとも、正しい漢字や綺麗な字にこだわっても、だめだった。

 どうして? どうして叶わないの?

 せっかく魔法のインクを手に入れたのに、どうしていちばん叶ってほしい願いだけ。

 それでも諦めずに、僕は条件を変えて何度も何度も書き続ける。

 綺麗に書いてもだめ、書く紙を変えてもだめ、丁寧な文にしてもだめ。

 だめだ、なにしてもだめだ。

 ――段々、ペン先が筆圧で曲がっていく。

 インクが出づらくなって、書いた文字がひゅっと(かす)れる瞬間が出てきた。

 書きにくくなったせいで僕はさらにイライラして、クレヨンを持つように万年筆を握り変える。

 鉛筆で書くときと感覚を混同して、力強く書けば濃くなるととっさに思ってしまった。

 万年筆のペン先は柔らかい金属。それなのに、僕は力いっぱい紙に押しつけて書いた。

 ――ペン先は曲がっていく。

 それでも僕は構わずに、書き続けた。

 そして、ついに。

「……………………」

 キン、と音を立てて、ペン先が根本から折れた。

 万年筆内に入っていたインクが、指をざっくり切ったときの血のようにさらさらと流れ出していく。音も立てずに淡々と流れるインクが、僕の手と机を染めていく。

 僕は、しばし呆然としたのちに、事の重大さに気がついた。

「そんな……!」

 ノートの上に転がったペン先を拾い上げる。先の尖った部分は、ぐにゃりと曲がっているが折れてはいない。

 そうだ、先っぽが外れただけだ。元の場所にはめれば戻る、きっと戻る。そう祈るような気持ちではめようとしたが、簡単にいくはずもなかった。

 大変だ。だってこれは魔法のインクを入れるための魔法の万年筆なんだから、もしかしたら、魔法つかいにしか修理できないんじゃ。

 そう思って、僕は青ざめた。

 どうしよう、早く直さないと、時が止まっちゃう。時が止まったら、また、みんな凍ったように動かないあの恐怖の世界に取り残される。

 どうしようどうしよう、と、恐怖に追い詰められた幼い僕。

 焦りに焦った僕は、やがて壊れた万年筆を持つと家を飛び出した。

 向かう先は、僕が知ってた中でいちばん魔法つかいに近い人がいる場所だ。なんでも綺麗に直してしまう、あの人ならもしかして。

 夕焼けの訪れを待ち構えている道を走って、住宅街を通り抜ける。いろんな店が見えてきた。

 早く、早くしないと。時間が動かなくなったら、鍵のおじちゃんにももう頼れない。

 僕は全力で走った。それはもう、どんな体育の授業のときよりも速く。

 そして、あの大きな鍵の看板の店に到着する。広告ポスターがごちゃごちゃと貼られた重いガラス戸をぐいっと引いて開け、息も切れたままおじちゃんに訴えた。

「おじちゃん、どうしよう!」

 おぉ? と片眉をつり上げたおじちゃんに、僕は汚れた手であの万年筆を見せる。

 まだ大丈夫だ、まだ時間がちゃんと動いてる。

「早くっ、早く直して!」

「おうおうわかった、ちっと待ってろ」

 いつもの穏やかさでじーっと万年筆を観察するおじちゃん。僕は早くしてほしくて、そわそわとその様子を見ていた。

「ああ、大丈夫だ。すぐ直すからじっとしとけ」

「う、うん……」

 本当に鍵のおじちゃんが魔法の万年筆を直せるのか、僕は確信できなかった。

 しかし、しばらくすると、見かけは綺麗に元通りになった万年筆が、僕の手のひらに置かれた。

 金属部分はしっかり本体にくっついていて、曲がったペン先も真っ直ぐになっている。

「ほい、直ったぞ」

「……………………」

 僕の不安そうな顔を見て、鍵のおじちゃんはかかかっと笑った。

「なあに、ちゃんと書けるようになっとるから心配するな。珍しいな、父ちゃんの万年筆でも壊しちまったのか?」

 そう言って笑っているおじちゃんに、僕は小さな声で「ありがと」と呟いた。

「手、真っ黒になってるじゃねえか。見つかったら怒られるぞー、ここで洗ってから帰れ」

「うん」

 まだ魔法の力がちゃんと残ってるのかわからない、もしかしたら、壊れたせいで書いたことがちゃんと未来にならない万年筆になってしまったかもしれない。

 そんな恐怖は消えなかったけれど、とりあえず形が元に戻ったことに安心して、目尻にたまった涙をおじちゃんにばれないように拭った。



「そうですね、実際ちゃんと元通り使えるようになっていました。はい。冷静になってみてから、生死に関することは叶わないんだと気がつきましたね。それからはインクを無駄にすることはしていないです。

 あの店主に直してもらえなかったら、今でも時が止まったままの世界にひとりぼっちなのかなぁなんて考えると、恐ろしいですね。魔法も使いようによっては本当に紙一重です。

 それじゃあ、僕はそろそろこれで。妻と子供が待っていますので。

 はい。……ですね。インクには限りがあるので、僕は人よりも早くこの世を去ることになると思いますが。ええ。

 それでも今は、家族の命を大切にできさえすれば幸せです。命は、魔法の力でも揺がせない、尊い存在ですからね。子供のときにそのことを知れただけ、僕は幸運です」

 


 END

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