要請
ほとんどの生徒は高校入学時に携帯電話を買い与えられていて、鴎もその中に含まれる。しかし、今連絡を取りたい結は、本人が特に必要性を感じていなかったらしく持っていなかった。
畢竟、結と話すためには固定電話か直に会うかのどちらかで、家に帰って連絡簿を確認するよりはそのまま訪ねた方が早いと判断した鴎は、その家の前に立っていた。
記憶を頼りにバスを乗り継いで来たが、六城家の家屋は外見だけで言えば相変わらず、住人たちと少しも関係のなさそうな、これといった特徴のない住宅だった。とは言っても、記憶通りならこの平凡さは一変するはずだが。
知り合いの女子の家に連絡なしで突撃する。その恥ずかしさを、そんな場合でないではないとねじ伏せて、鴎は門扉に向かい合う。
「…」
そこには小さめのインターフォンが設置されているが、本物なのかは分からなかった。普通は玄関の横についている者ではないだろうか。
とはいってもそんなことで悩んでいても仕方がないので、鴎はさっさとボタンを押した。
ピーンポーン、というゆったりとした音の後、ざらざらとしたノイズがわずかに走った。
「はい」
「あの、ろ、六城さんのお家でしょうか」
「そうですが…鴎くん?」
声変りをとうに終えた低めの声。相手は結ではない。その叔父の庵だ。訪問者が鴎だと知り軽く驚いたのが伝わってきた。カメラを内蔵しているタイプなのかもしれない。
「はい、その、結さんはいらっしゃますか」
「ああ、いるよ、入ってくれ」
ブツリと電源が切れる。鴎は言われた通り、門を開いて敷地に足を踏み入れた。
いつの間にか、鴎は大きな庭の中にいた。地面には足場の岩が点々と埋め込まれていて、近くには空を遮るものは無く、青色が頭上に広がっていた。
これで二度目の体験に、鴎はまた面食らっていたが、奥から声が聞こえた声の方を向く。
「おーい」
シャツに短パン、下駄の庵がこれもまた大きな玄関から出てきていた。鴎はそちらに走って近寄る。
「こんにちは、鴎くん」
「こんにちは!」
庵は声が上擦っている鴎に苦笑しつつ
「さっき君が来って伝えたから、ちょっと上がって待っててくれ」
そうして少し首をかしげながら、鴎に訊ねる。
「急に会いたくなったんだな?」
「あ、いや、その、すぐに伝えなきゃいけないことがあって」
「ふーん?」
そこで鴎は、庵にも話すべきことだと気づいた。
事態は一刻を争う。二度手間でも、先に庵に伝えておかなければ。
「あの、クレアっていう、“可能種”の…」
ガラガラという音と共に、半開きの扉が横に滑る。現れた結の方に鴎が顔を向けると同時に、庵が首を捻りながら繰り返した。
「“可能種”のクレア…?」
「あれ?」
てっきりそのことはもう結から伝えられていたと思っていたが、庵は知らないようだ。
そして、結の何かを悔やむような表情と、クレアの父親の不義を思い出し、鴎は事態を察した。
「何の話だ?」
庵も結が何か隠し事をしていたのに気が付いたようだ。纏っていた雰囲気の内、八割を占めていた穏やかさは薄れていたが、まだ表面上は詰問の口調ではなかった。
「…イギリスから、私に会いに来た“可能種”の女の子です」
鴎の考えは大方正しかったようで、結の声は言葉を続ける内に少しずつ小さくなっていった。
「父親が六城代だと」
嘘のように静かな瞬間が過ぎると、庵は全身から怒気を噴出させた。それは焦げ付いた匂いが漂いそうなほどに強い熱を持っていた。
「…歳は」
「私と変わらないと思います」
結がクレアからその話を聞いたときと同様に、庵の頭にも、結の父親が外国で過ごしたという、結婚後すぐの半年が浮かんだようだった。
「…」
威圧の籠った無表情で、抱える憤懣を表すだけの言葉が存在しないかのように、黙ったまま立っている。
鴎は庵とは別の理由で、しかし庵が理由で口も開けなかった。
大谷や、カエル、そして今日の和助から感じた恐怖。そのどれとも質の違うものを庵から感じる。庵が彼らのように危害を加えてくるわけではない、そして怒りの矛先が自分というわけでもない。それでも、傍にいるのが怖くてたまらなかった。
「鴎くん」
名を呼ぶ声に、ハッとする。
「話があるのなら、私の部屋でしましょう。こっちに…」
「ここでだ」
それ以上は続かない、有無を言わせぬ声は、何もかもを押し潰しそうな重さを持っていて、場が再び静まり返る。
庵はまるで人が変わったようだ。誰だって怒っていればこうもなるのかもしれないが、これまでとの落差に、鴎はついていけない。
「鴎くん」
もう一度名前を呼ぶ結は、促すような、そして詫びるような目をしていた。そんなことをされると、怖いなどと言っていられなくなる。
「そ、そのクレアと一緒に居たら、知らない“可能種”に襲われて…」
「ケガを?」
フルフルと首を振る。
「すぐに開放されたんだけど、そいつはクレアを挑発して、今夜戦おうって。それにクレアも乗る気なんだ」
そうだ、怖いなんて言っている場合ではないのだ。鴎は、自分が何をしにここに来たのかを思い出す。
「だから、お願いに来たんだ。結、力を貸してほしい。向こうはクレアの能力を知ってるし、その、僕なんかの感じたことでしかないけど、水野、和助って名乗ってたそいつは、すごく強そうだったんだ」
「水野…」
「水野…?」
目の前だけでなく、後ろからも発せられた声が重なる。思わず庵の方を向いた鴎は、気まずい数秒の後、訊ねた。
「あの、知ってるんですか?」
「まあ、な」
歯切れ悪い答えだけで、庵は目を逸らしてしまった。戸惑う鴎に、結が代わって答える。
「何年も前の争いで滅びた一族です。しかし、その生き残りなら手強い相手に違いありません。“可能種”は超えた死線の数だけ力を増しますから」
そうして鴎と向かい合い、頷く。
「ハーパーさんだけでは難しいでしょう。もちろん私も助力します。彼女が良ければですが」
「駄目だ」
今度は結も黙っていなかった。庵の圧力にひるむことなく臨む。
「どうしてですか」
「今自分で言っただろうが。水野は手強い。そんな奴と当主を戦わせるわけにはいかない」
反論しようとする結を視線だけで抑えた庵は、今度はそれを鴎に向ける。
「第一、それはそのハーパーが頼んだことなのか?鴎くん」
庵が何を言いたいのか分からないが、そうだと答えるべきなのは分かる。しかし、鴎を見つめるのは結と同じ黒々とした瞳で、少しも逸らさない所まで一緒だった。
「いえ…僕が勝手に…」
「その子は?」
「…頼んだら、一生許さないって」
これは間違った選択なのだろうか。庵はゆっくりと結の方を向いた。
「決まりだな」
そして事務的な口調で鴎に告げる。
「知らせてくれてありがとう鴎くん。だが、六城家はそのことに首を突っ込まない。これは当主補佐としての発言だ」
まだ何か言いかけた結に
「お前も自分が当主だってことをよく考えろ」
それだけ言い残すと、後ろを振り返ることなく屋敷へ入っていった。
いつも自分にも結にも大らかだった態度の急変が、庵にとって内面に迫るものであるからだとは気づく術もなく、鴎はそのすげなさが理解できなかった。
それに対して、思い当たる節がある結は、年頃に似つかわしくない深さの憂いを瞳に宿らせた。
鴎は、縋るような目を結に向けたが、目と目は合わなかった。
「…叔父に黙って、私だけ動くわけにはいきません」
結なら、一人でも助けてくれるのではないか。そんな鴎の甘い希望は絶たれた。
「ごめんなさい」
返事が上手く喉から出てこない。鴎は力なく首を動かす。頷いたつもりだったが、身じろぎしたようにしか見えなかったかもしれない。
振り返ると、とぼとぼと歩きながら六城邸を出る。布地が継接ぎを当てられでもしたかのように、空は雲の数、色を変えた。鴎は項垂れていた頭を起こしてそれを眺めるが、次にどうしようという考えは浮かんでこない。前方に沸き立つ雲は先を見通せない暑さで、鴎は正しく途方に暮れた。




