意識
「クレア」
名前を呼ばれ、クレアは記憶に浸るのを止めた。こちらを心配そうに見つめる鴎の顔に、長く考え込みすぎたなという思いがよぎる。
「気分が悪いなら休もう」
こんな優しい言葉を掛けられるのには慣れていない。
クレアは首を振ると、座っていたベンチから立ち上がった。
「バスを見てただけ」
もうじき夏休みが訪れる七月の土曜日、クレアと鴎は初めて出会った駅前のバスロータリーにいた。
結と話すよう説得を続けるつもりなら、引き換えに自分を名所に連れていけ。そうクレアが要求すると、鴎は嫌な顔一つせずに休日の昼前から出てきた。
遠出の計画まで立てていたらしく、今もバスの時刻表が調べた通りか、クレアを日陰に残して見に行っていたのだ。
自分だけでなく、道行くお年寄りや子供のことまで心配しているような雰囲気が鴎にはある。そのせいでてっきり普通の人間は皆あんな風かと思っていたが、彼が底抜けにお人好しなだけかもしれない。
「あと30分あるんでしょ」
「うん」
頷く顔を見ていると、気分を切り替えたくなった。
「私ちょっと買い物してくるから、あんたはここに座ってて」
ベンチをポンポンと叩き、荷物を任せると駅ビルの方へ歩き出す。折角ああまでしてくれているなら素直に楽しみたいという思いが右足を、一緒にいるとなんだか調子が狂うという思いが左足を動かす。
ビルの方へ向かっていく後ろ姿を見送ると、鴎は言われた通りベンチに座った。知らず知らずの内に疲れていたのか、体がとろけそうなほどに脱力する。
最近は蝉の大合唱ばかり聞いていたが、ここではいつも人の話し声と歩く音、バスがドアを開ける音のような雑多な音で満ちている。
体に降り注ぐ熱に任せたままぼんやりとしていると、女子と一緒にバスでプチ旅行をするなんて初めてだと気づいた。
「うーん…」
しかし、それを意識しても大して気構えるようなことはなかった。クレアはとても可愛い女の子だが、だからどうしたと思う。
自分と同じように女子との交流が少ない方の剛史は、話すとき一々気にするらしいが、鴎はそれほど動じない方だ。
そういえば誰かに恋をしたこともない。
剛史は話しかけられると相手は自分が好きだと勘違いするらしいが、鴎はこれまである程度仲良くなった女の子たちとも、ほとんど男友達と変わらない距離間で接してきた。
自分はあまり色恋沙汰に興味がないのだろうか、と考えていると、揺れるポニーテールとそこから見え隠れするうなじの光景が頭の中で主張を激しくしてきた。
「…」
顔が赤くなるのは間違いなく気温のせいだが、鴎はそれ以上そのことを考えるのをやめた。




