忘れられないこと
「なんか臭くね?」
一日の教導が終了し、クレアが家に帰ろうとすると、後ろから声がした。クレアを遠巻きに嘲る男子のグループはいくつもあるので、その内の誰かは分からなかった。
ハーパーの家は“命題”の関係上、“可能種”を葬ることを任されてきた。死体の残らない“可能種”の場合、葬送では生前の持ちものを燃やすだけだが、それを行うハーパー家の者は否が応でも死と関連付けられてきた。
“可能種”にとって死は二種類であり、どちらも畏怖の対象だった。“万能種”へと近づき“遷界”した者ならまだいい。“可能種”のまま、遺産も遺さず戦いで敗れることは遺族にとって恥ずべき事態であり、彼らは周囲から自分たちに集まる蔑視の目を、そのままハーパー家に向けてきた。
つまり、元からハーパー家は一族全体でも浮いた存在であり、その中でも不義の子であるクレアの受ける扱いは、
「バカ、吸ったら腐るって」
何が楽しいのか、男子たちは体をつつき合って笑っている。クレアは無言のまま歩き出した。その目は、鴎が時折見た光の無い翳りそのものの目だった。
「おい、お父さんに迎えに来てもらわなくていいのかあ?」
「…」
早まりそうになる足の動きを必死に抑える。負けたくなかった。あんな連中のせいで逃げ出すのは嫌だった。誇張抜きに、死んでも。
男子の騒ぎ声が聞こえなくなるほどに離れ、少し息を吐くと、前方からそれより軽いはしゃぎ声がした。
思わずその場で止まってしまった。嫌というほど見てきた軽薄そのものの顔が現れる。
「あ!」
回れ右をするにせよ、そのまま進むにせよ、さっさと決断しなかったことを猛烈に後悔する。
結果としてクレアは、同年代の子供の中でも自身を苛めることに最も執着しているグループに囲まれることになった。
「クレアちゃんじゃん!一人で何してんの?」
リーダー格の赤髪の言葉に、取り巻きが忍び笑いを漏らす。
クレアに一緒に帰宅する友人どころか知人もいないことは周知の事実だ。
飛び火を恐れて傍観するうちに、殴ってもいい人形だと分かると、その内誰もがクレアを無遠慮に傷つけるゲームに参加する。
その容貌に惹かれた者が人目につかないタイミングで声を掛けてくることがあったが、クレアは聞いているだけで吐き気がこみ上げてきそうな彼らの言葉に耳を貸したことは無かった。
誰しもに蔑すまれるはみ出し者からの拒絶という屈辱。逆恨みした彼らは積極的な敵に回り、クレアの息苦しさは増していった。
「今日も暗すぎ、キモいんだけど」
「ていうか、よく一人で道歩けるよね。私がこいつなら怖くてできないわ」
「いや、てかこいつに生まれてたらとっくに自殺してるって。生きててもなんもないじゃんこの先」
六人が揃って笑い声を上げる。けたたましいそれを四方八方から浴びていると、壁に挟み込まれたような圧迫感があった。
黙って囲いから抜け出るタイミングを窺うクレアに痺れを切らし、リーダー格の赤髪が声を荒げる。
「だから何してんだよ」
赤髪がクレアの右足に蹴りつけた。クレアが文句を言えないと心得ている蹴りは、足が折れても不思議でない強烈さだった。
思わず膝をついたクレアを見下ろしながら輪が発する哄笑が段々と大きくなる。
涙が目の端に浮かぶ、そのことが堪らなく悔しい。
手で押さえた脛の痛み、周囲への殺意と遜色ない憎しみ、日頃からヘドロのように積もり続けた不満。
それらが噴出する寸前に、クレアは自分で噛み切りそうなほどに唇へ力を込めた。
沸騰しそうな頭に落ち着けと言い聞かせる。赤髪たちからの暴力はこれが初めてではなく、以前クレアは殴り返したことがあった。
そのときは、赤髪に組み付いて離れないクレアと、それを叩きのめそうとする取り巻きを、普段は見て見ぬ振りをする周囲が引きはがした。
顔中痣だらけで連れていかれたのは、ハーパー家の本家であるジェネンズ家の家長の部屋だった。そこで口が血だらけになるほどの張り手を食らい部屋を出るよう命じられるまで、家長からかけられた言葉は「二度目はない」の一言だけだった。
「蹴り返してきなよ、ほら!前みたいにさ!」
赤髪はクレアの顔の前で足をプラプラと振り、挑発する。クレアはがばりと立ち上がり、向かい合った。
どちらも怯まず、互いの顔に溢れんばかりの感情を込めた瞳を向ける。先に動いたのはクレアだった。
周りの女子が何かあれば止めようと動きかけたとき、
「お願いします。帰らせてください」
事態を認識するまでの数秒の後、場を爆音と聞き間違えそうな笑い声が満たした。




