買い食い
放課後、HRが終わると鴎は結の席に近づいた。
「結」
「どうしました?」
話すつもりの内容とは別に、こちらの心をとらえて離さないような深い瞳の色に、少し気後れする。
「ちょっと話がしたいんだけど、一緒に帰れない?」
「帰りましょう」
即答して荷物を纏めると、もう立ち上がっている。鴎も慌てて自分のリュックを背負い、共に教室を出た。
同じように校舎の外へ出ようとする生徒に紛れて、靴箱まで辿り着く。
外は日がいっぱいに照っていて、二人揃って目を細めた。
道路を走るバスが噴き出す煙を吸いつつ、鴎がどこから話そうか迷っていると、隣から声がした。
「一緒に帰るなんてあの日以来ですね」
「そういえばそうだね」
それだけで二人の間では通じる。鴎にとっては、多分一生忘れられない時間だ。結が初めて笑顔を見せてくれた日。
どちらもそのときのことを思い出しているのか、何だか照れ臭い沈黙が流れる。
しばらくすると結から口を開いた。
「ハーパーさん、のことですよね」
「えっ?」
すっかり物思いに耽ってしまい、当初の目的が頭から抜け落ちていた鴎は、どうして結の口からその名前が出るのかと驚く有様だった。
「あ、ああ、うん、そうなんだ。クレアのことで、結に相談したくて」
「どうしたんですか」
「うん」と頷きながら、やはり差し出がましい真似ではないかと思わなくもない。
しかし、そんな躊躇を見透かしたように促される。
「まあ言ってみてください」
「う、うん」
何だか理由のわからない気まずさを感じながら、鴎は切り出す。
「もう一回会いに行こうと思うんだ」
結は静かに首を傾げた。
「どうしてですか?」
それは何度も確かめたことで、尋ねられたときの答え方も用意していた。
「結はさ、クレアのことどう思ってる?その、好き嫌いでいうと」
「好き嫌い、ですか」
突然印象を尋ねられ、考え込む結。しかし、一点を見つめる様子からして、嫌いだから言いにくいというより、はっきりとした好悪はまだ抱いていないということだろう。
「えっと、今無理に結論を出してくれなくてもいいんだ。ただ、会いたくないほど嫌いってわけじゃないよね?」
「それは、そうですね。はい」
「じゃあさ、もう一回、会ってみる気はない?」
意を決して提案する。結はどうとも言わず、足元を見ている。
「この間はあんな風になっちゃったけど、やっぱり、クレアは結と喧嘩したかったわけじゃないと思うんだ。もう一回、話してみるつもりにはならないかな。その気があるんなら、僕が役に立てないかと思って」
草むしりの間中考えていたことだ。
二人と知り合いの鴎は、どちらもかなり不器用な方だと気づいていた。クレアはあの切り出し方しか咄嗟に思いつかなかったのだろうし、結も受けて立つような態度しか取れなかったのだろう。
落ち着いて話せば、案外会話は穏やかなものになるのではという予感がある。
「彼女は私を嫌っていると思います。話なんて…」
「嫌ってるかなんて、わからないよ。まだ、クレアがどうして結を探してたのかよくわからないんだから」
そう、会って訊いてみないことには、クレアの目的も、結に何を抱いているのかも推察しかできない。
「それに、二人のお父さんのことでクレアが結をよく思ってなくても、ちゃんと話して、結のことをよく知ったら、絶対にそんなことなくなるよ。それは間違いないと思う」
「どうしてですか」
「どうしてって、だって結は優しいし、話してて面白いし、気配りができるし」
指折り数えていた鴎は、右手を握りこんだ辺りでハッとした。結の顔を見ると、恥ずかしそうな顔が同じようにこちらを見ていた。
「分かりました、鷗君。それはもういいです」
そう言われると、面と向かって人を褒めちぎっていたことが間抜けな絵面だった気がして、鴎も赤くなった頬を隠すように視線を逸らした。
「鴎君は私たちに仲良くなってほしいんですか?」
しばらくして、ポツリと漏らされた問いかけに、鴎は唸りながら答える。
「仲良くなってほしいっていうか、ああいう出会い方になった原因は僕だし、二人なら、ホントは仲良くなってたんじゃないかなって思うんだ。そういえば、二人はちょっと話してなかった?」
「はい、彼女が会計に慣れていないようだったので、話しかけました。そうしたら、服を選ぶのを手伝おうかと言われましたね」
「えっ?ああ、教えてあげたお礼にってこと?なんだか、クレアは何かされたらすぐにお返しをしたがってたよ、そういえば」
自分が二度手伝いを申し出たとき、どちらも奇妙な間があったのを覚えている。
それに結は、少し硬い声で答えた。
「“可能種”は血縁関係を重要視しますから、父の血が突然混ざりこんだ彼女は、おそらく迫害されていたと思います。貸し借りをつくるのを好まないのも、そこに付け込まれた経験があるからではないでしょうか」
思ってもみなかったことだが、そうすると、クレアが一人で日本を訪れたことに合点がいった。一族内での地位が低いとも言っていたし、間違っていないのではないかと思う。
「でも、あのときのあれは、それとは違うものだった気がします」
「違った?」
意外な感想に、鴎は結の方を見て聞き返す。
「本人はレジのことを教えたお礼だと言っていましたが、単なる貸し借りでもない好意があった気もします」
「じゃあやっぱり、クレアは結のことを嫌いなわけじゃないんだよ!」
「私が六城だと知る前の話です」
そういえばそうだ、と肩を落とす鴎を、結は静かに見つめると
「父の件で彼女が受けた影響は根深いものだと思います。やっぱり、まともに話ができるとは思えません」
何だか小さく見える背中に、出会った頃に背負っていた影を見た気がした。
「もし、クレアが本当にお父さんのことで辛い思いをしてたんなら、分かってあげられるのは結くらいじゃないの?」
鴎からすれば思わず口をついて出た言葉を聞くと、結は考え込むように押し黙った。
ずけずけと踏み込みすぎたな、と鴎が反省していると、結が立ち止まってこちらを向いた。
「分かりました」
「…!」
「彼女と話してみたい、です。父のことも、話せなかったことも」
「本当に!?」
鴎に頷いて見せたクレアは、
「でも、彼女はどうなんですか?」
「あっ…」
最初に断るべきだったと思いながら、鴎は申し訳ない気持ちを込めて謝る。
「ごめん、それが分かるのは、まずクレアに謝って許してもらえたらの話なんだ。それにどこなら会えるのか分からないから、今度の土日駅を探してみるね」
「なら、私も手伝います」
鴎は「ううん」と首を横に振る。
「それはクレアに悪いよ。向こうも突然会ったら、この前みたいになっちゃうと思うんだ」
結は少し考えていたが、やがて頷いた。
「分かりました」
そうすると、近くにあった自販機に歩き出した。
「鴎君は炭酸は好きですか?」
「うん。好きだけど?」
結は硬貨を投入して、ボタンを二回押してしまった。白い煙を立ち昇らせる缶ジュースを二つ取り出すと、一つを鴎に差し出す。
「どうぞ」
「な、なんで急に?」
「ちゃんと私に相談してくれてうれしかったので。どうぞ」
にこりともせずそう言うと、後は鴎が手に取るのを待っている。結局礼を言いつつ受け取り、二人とも蓋を開けてその場で飲む。
「ひょっとして買い食いとかしてみたかったの?」
「…はい」
結は若干照れくさそうにしながら微笑んだ。




