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With the Wind!  作者: 肉丸 もりお
葬炎の担い手
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カツ丼


「…このように、ミツバチの減少が地球の環境に与える影響は大きいです」

「はい、よろしい。六城(ろくじょう)は座って」


 まさに立て板に水といった喋り方で指定箇所の和訳を終えると、六城(むすび)は席に着いた。里見鴎(さとみかもめ)はその様子を感心しながら見ていた。

 既に夏にその片足を突っ込んだ季節は、今日も家から出た途端(にじ)みだした汗で鴎を迎えた。日が頭の上を過ぎたあたりのこの時間は、さらに室内温度が上がっていて、教科書で体を扇ぎたくなるほどだった。


 金曜日の三限、英語の授業では、教科書に記載されている英文を訳して授業中に音読しなければいけない。そしてそれを生徒が担当する順番は英語科目を担当する酒井(さかい)教諭の気分次第なので、事前学習を怠っていると


「次は大寺(おおでら)

「はい、えー、だからぁ、我々はぁ、えー」

「大寺は次の授業でもう一度あてます。今度はちゃんと予習をしておきなさい! 西、続きを」

「はい」


 こうなる。


 恥ずかしさを不満げな表情でどうにか隠そうとしながら、鴎の友人である大寺(ひとし)が座ると、近くの女子から忍び笑いが漏れた。鴎と仁の共通の友人の倉沢剛史(くらさわつよし)も仁の方を見てにやけている。


 耳が赤くなっている仁を苦笑いしながら見ていると、教室の前に立っていた酒井教諭と目が合い、ちょうど西の音読が終わった。


 まずい。


「はい、西は座って。次、里見」


 上ずりながらしどろもどろで答える鴎は、仁と違って最後まで音読することになったが、その耳は同じくらい真っ赤だった。


 音読が終わると、生徒同士ペアになって英語で会話をする練習の時間だった。この二組の教室では縦五列、横八列席が並んでいるが、それを横二列ずつに分けた四列の各廊下側が席をずらす。これをいくつずらすのかも酒井の指示によるが、今日は六つで、鴎がずれた先は


「May I help you?」


 結の隣の席だった。


「い、いえす」


 英語の授業で真面目にネイティブの発音を真似していると馬鹿にされることが多いが、結の発音は英語教師もかくやという流暢(りゅうちょう)さで、鴎は内心舌をまいた。それと同時に自分の発音の拙さが一層目立つようで、ため息をつきたくなる。


「結はすごいね」


 他のペアよりも格段に速く終わり一息ついたところで、鴎は酒井にばれないよう小さな声で結に話しかけた。


「どうしたんですか?」


 軽く傾げられた首の動きに合わせて、一つに(くく)られた髪が、どこか涼しげな音を立てながら夏服の背中を滑った。


 鴎はシャーペンで教科書に何かメモをする振りをする。


「喋り方は外国人みたいにきれいだし、さっきもすらすら答えてたし、どこか海外留学でもしてたの? それとも予習ちゃんとしてただけ?」


 結は鴎の疑問に答える代わりに、先ほど音読した教科書のページを開いてみせた。両手で寄せられたそれを覗き込むと、書き込みのない買ったばかりのままのページがあった。


 結は教科書をめくり、その前のページ、これまで授業で扱った部分も鴎にみせた。そのどれにも炭の黒色は見当たらない。単語の意味くらいはみんな書いておくものだと思ったが、それすらもない。


 困惑する鴎に


「私は日本を出たことはありません。でも、私たちって一度勉強したことは大体できるんです。英語ももう単語帳と教科書は読んでしまったので、突然あてられても答えられます」


「えー!?」


 鴎は思わず驚きの声を出した口の形のまま、その顔を見つめる。目の前の女の子が、“可能種(かのうしゅ)”と呼ばれる存在であることをこれほど強く意識したのは久しぶりだ。


 結の言う私たち、“可能種”は鴎のような人間とは別の生き物だ。人間では及びもつかない頑健(がんけん)な肉体に、まさに超人的な運動能力を持っていることは知っていたが、そんな頭脳まで持ち合わせているのは初耳だ。


「ずるいですか?」

「そりゃ、まぁ、うーん」


 思わず正直に答える鴎を見ると、結はクスリと微笑み教科書を自分の方に引き寄せる。


「鴎くんが本当に困ったときは、一緒に勉強しますよ」


 不意の笑顔に心臓が跳ねる音を聞き、鴎は「う、うん」と返事をする。


「そのときはお願い」


 酒井に目を付けられぬよう、別紙のプリントに顔を向けた結に倣って、鴎も自分の教科書を開く。次第に平静を取り戻した胸には、また結が笑顔を見せてくれたことへの小さな嬉しさがあった。


 地元から離れてこの江袋(えの)高校に進学してきた鴎は、同じく京都から離れて来た結のことを、入学して一か月あまりでやっと認識した。それは彼女が、“可能種”というもともと存在の希薄な生きものであったことに加えて、精神的に不安定でいつ消えてもおかしくなかったからだ。


 結が追ってきた“可能種”の放った化けガエルに殺されかけた鴎は、その窮地を救ってくれた結と、その叔父である六城(いおり)から事情を聞き、彼らを手伝うことに決めた。


 その過程で、結が亡くなった母親のことで負い目を感じていたこと、自分が親と大喧嘩をして親元を離れてきたことを互いに話し、友人と呼べる関係になった。


 そしてクラスメイトであった“可能種”、大谷(おおたに)との戦いを終えても江袋高校に残ることを選んだ結は、“可能種”にとって生きる上での拠り所である“(くさび)”を見つけたようで、それからは学校でも姿形がはっきりとしている。


 少しずつ表情も豊かになっていて、先ほどのように笑いかけてくれることも増えた。傷つき、打ちひしがれていたときの結の姿を思い出した鴎は、何だか達成感のようなものを感じていた。


「それでは一番を渡辺と迫ペアが、二番を六城と里見ペアが、前に出て読みなさい」

「はいっ!」


 思ったよりも大きな声が出た鴎は、顔を(うつむ)けてクラスの視線から逃れた。それだけなら少し恥ずかしいだけで済んだが


「朝からカツ丼食うだけあるな!」


 休み時間に話したばかりのことを仁に大声で暴露され、クラス全体に笑われた。


「おいしいですからね、かつ丼」


 微妙にずれた結のフォローに何とか頷きつつ、鴎は教科書で真っ赤になった顔を隠した。


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