月曜 日中
明けた月曜日、ぎりぎりに滑り込んだ教室に、大谷の姿はなかった。HR でもそのことには触れられない。高校では欠席した生徒の扱いはその程度らしいが、鴎は教室の生徒が誰一人誰も座っていない椅子に気づいていないような感覚を持った。
いつも大谷の席を囲んでいた女子集団は小規模に分裂し、それぞれでグループを形成していた。“可能種”の記憶を保持するのは難しいというのはこのことか、と実感する。既にこれだけ存在感が薄れているのだ、皆が忘れてしまうのも時間の問題なのだろう。
鴎は胸に空白が生まれたように思ったが、それは意外でなかったし、目を逸らすつもりもなかった。誰にも口にするつもりのない記憶を胸に秘め、今日一日の準備を始める。
「つまりだな!皆さん!葉っぱの緑色は葉緑体が…」
迎えた三限の生物基礎は、担当の赤村教諭の、人が変わったような話し方にクラス中が度肝を抜かれていた。テスト用紙を配るだけ、というような授業の進め方はやめ、これまでの遅れを取り戻そうとするようにひたすら授業を進めていた。そのことにほっとしつつ、鴎も、この声量は大きいというよりうるさいな、と思いながらノートをとっていた。
「今日の!弁当は!なんと!」
昼休みに入ると鴎の予想通り、明が赤村のまねをしながら近寄ってきた。忘れたので、買ってきます、と大音声で告げると教室を出ていった。明が走り抜けたあとで、女子が眉をひそめて何やら文句を言っている。
TPOをまるでわきまえない行動だったので正直仕方ないと思った。
そういうとこだよ明、モテない理由は。
こちらは自分の弁当箱を持ってきた剛史も
「あいつうるさすぎだろ」
と苦言を呈している。
「耳元で言われたからね、僕。ぶっ壊れるかと思った」
「いや、明もだけど、赤村」
あぁと頷く。間違いなく居眠りした生徒はゼロだっただろう。まぁちゃんと授業を進めてくれるのはいいことだ、と口にしようとしたとき、鴎の脳裏には空っぽになった水槽が浮かんでいた。もしかして、という想念が離れなくなった。
「なんだってあんな元気いっぱいなんだよ。大好きなサンショウウオちゃんと仲直りでもしたのか?」
「…」
否定も肯定もせず、ウインナーを頬張る。案外、人のうわさ話も馬鹿にならないのかもしれない。
しばらく二人で弁当を食べていると、肩を落とした明が戻ってきた。
「カレーパン二個しか買えなかった…」
「ウインナーあげるよ」
「マジで!?なんで!?」
大当たり賞だ。
「カレーにウインナーってよ!なんかトッピング加えたお高いカレーっぽくねぇか?上流階級が食べてそうだわ!」
「上流階級ってカレー食べるの?」
「少なくともインドではな!」
「ここ日本だよ」
明が大きな声で持論を展開していると、その顔に背後から影が落ちる。
「大寺」
委員長の池上が独りで立っていた。
「なんですか…?」
敬語はこの際おいておくとしても、声が震えている。まるで夜道で大男に話しかけられた少女だ。
「あんた、うるさいから。周りの迷惑考えて」
「…はい」
氷がみるみる解けていくように縮こまった明を一瞥すると、池上は席へ戻っていった。
どう慰めようか鴎が考えていると、剛史が
「振られてイライラしてるな」
「えっ!」
驚きの声を上げる鴎に続いて、明が「誰に?」と尋ねる。心なしかまだ声が小さい。
「赤村らしい」
鴎と明は二人そろって疑いの声を上げる。剛史は嘘つき扱いはごめんだという表情で
「最近しょっちゅう、放課後赤村のとこ行ってなんか手伝ってたらしいぞ、狙ってたんだって。でももう部活出てるって言ってたのを朝聞いた。」
「教師狙いって、ああいうのがひょっとしてモテる…?」
腕を組んで首をかしげながら唸り声をあげている明の横で、鴎は種明かしをされた気分だった。赤村のあの変わりようと、生物室前での態度は、飼育していた生き物がいなくなったからで、池上が放課後姿を消していたのは、それを一緒に探していたから。
なるほどねぇと呟き、結局自分が見つけたのは手掛かりともいえないことだったのだと気づく。やはり大した働きはしていないと思うと、なんだか悲しくなってきた。ご飯をもぐもぐと食べる。




