金曜 駐車場(7)
斬撃を叩き込んだ大谷がうつ伏せに倒れる。首筋から尻の辺りにまで刻まれた切り傷から血が流れ、冬服の黒に滲む。
動かない体を見下ろしていた結は、突如として、膝から地面に崩れ落ちた。輪転が解かれ、“遺産”が解除される。精彩を欠いた髪色と”威装”を纏ったまま、肩で呼吸を繰り返す。しばらくそうしたまま、風に揺れる髪の先っぽを見つめる。
足先から力が抜け、首が頭を支えることに不満を言い出す。自身を襲う虚脱感、一週間前まで感じていたはずのそれをずいぶんと久しく感じながら、少女は頭がぼんやりと霞んでいくのに任せた。
消えるというのはこういうことだ。執着するものない心境は、安らぎを得たともいえるが、果たしてそれが幸せだと言えるのか。
とにかく結は、体から感覚が消えていくことに、抗おうとしなかった。
本当なら9年前に終わっていた人生だ、未練はない。もういいのだと思う。
「…」
もういい、でも、その前に。
結はゆっくりと膝を立て、腰を上げようとし、体勢を崩して尻から座りこむ。やめてしまおうかと思ったが、あの時似たような姿勢だったことを思い出し、もう一度立ち上がろうとする。杖代わりの無い体が大いにふらつくのを何とか堪えて、よろよろと校舎へ近づく。
仰向けになった鴎の体の前で、ぺたりと座りこむ。その顔を見つめ、先ほど伝えてくれた言葉を思い出す。
きっと自分は、ずっと誰かにああ言ってほしかった。やっと巡り合ったその誰かの口が動くことは、もうない。
大谷は自分のせいだと言っていた。やっぱりそれはその通りだ。自分が殺したのだ。
視界が滲む。胸に広がる悔恨が、頬を伝った。隠しもせずに涙を流すのはもう随分と久しぶりだが、そんなことは毛ほども意識されなかった。
「うぅっ、うっ」
喉が鳴り、涙が零れ落ちる。肩が小刻みに震え、背中の動きに合わせて嗚咽が漏れる。ついに抑えきれずに、声を上げた。母がいなくなった日と同じ、赤子のように結は泣いた。
もう何が何だか分からないほどぼやけた瞳で、もう一度鴎の顔を見る。涙のせいか、その瞼が動いたように見えた。
「…?」
しゃくり上げながら、呆然とする。ゆっくりと右手を鴎の鼻先にやると、わずかに風が当たる。更にゆっくりと顔を近づけ、鴎の胸に密着させた。確かに耳を打つ心臓の鼓動。
生きている。
数秒経って理解すると大粒の涙があふれる。両手で掴んだ鴎の手を握りしめる。そこから伝わった熱が胸いっぱいに広がった。目頭まで届いた気がして、結は顔を上に向ける。月光の柔らかい光が、少女の姿を照らしていた。
ひとしきり大泣きした後、結は鴎の顔を見つめながら、どうして無事なのかを考える。それ自体は喜ばしいがあのカエルの攻撃は直撃していたし、そのすぐ後に自分が確かめた時は、間違いなく呼吸が止まっていた。あの破壊力を思うと、呼吸が止まる程度の打撲だと考えるのには疑問が残る。
しかし今の鴎の体には外傷が無いようだ。まさか治ったというのか?そんな再生力は、それこそあのカエルの領分だ。
そこで結の背を、堪えようのない怖気が襲った。考えをまとめ切らないまま、後ろを振り返る。そこには、地面に広がる血だまりだけがあった。
すぐさま立ち上がり、威装を纏う。“遺産”を起動し、風を周囲に送った。その範囲が学校の敷地内すべてまで広がったことに驚きつつ、そうするまでもなかったことに気付いた。
ぽつぽつと、血痕が続いていたのだ。
結は鴎の方を振り返り、じっと視線を送った後、血の道をなぞるように歩き出した。
光の届かない校舎の中、目を凝らしながら進むと、荒い息遣いが聞こえる。罠に注意しながら音の方へ歩く。
一階の水飲み場、壁にもたれるようにして、大谷栞里は座っていた。頼りない呼吸を続けながら、結の足音に反応したように頭を上げる。不健康な青白さの顔に焦燥を色濃く浮き出ていた。
結は無言のまま近づく。数秒間の見つめ合い、しばらくすると薙刀が突き刺さる音がした。




