金曜 生物準備室(6)
「里見くん!里見くん!」
「うっ…?」
呼びかける結の震え声に、鴎は目を覚ました。冷えた空気とそれ以上に鋭い床の冷たさが、まだ半覚醒状態の意識を刺す。
少し体をよじると、折れた足の映像がフラッシュバックし、鴎はガバリと起き上がる。右足は
「…何ともない」
足は骨折などしておらず、動かしても違和感はない。
鴎が呆然としていると、結がその顔を覗き込む。
「里見くん、何があったんですか」
何があった。
鴎は先程までの光景を思い出し我に返ると、膝立ちで床を進む。よく目を凝らすと、床には何か引きずったような跡が残っていた。しかし、あの芋虫の姿はどこにもない。
混乱した頭で周りを見渡し、こちらをじっと見つめる結に気づく。何から伝えるべきか、迷いはなかった。
「六城さん、大谷さんが…」
しかし鴎の話が終わるのを待たずに、結の肩が跳ね、立ち上がりながら後ろへ振り向く。
「あ、ちょっと…」
そのまま窓際へ近づく背中に戸惑いの目を向けながら鴎は追いかけた。横に並び、同じように駐車場へ視線を向けると、そこにはカエルの集団があった。
「…は?」
受け入れ難い光景に、まるで抗議するような声を漏らす鴎の隣で、結が静かに
「五体…、それに中心にいるのは…」
駐車場に円形で並ぶ五体の巨大ガエル、その真ん中にはこちらを見つめる大谷の姿があった。
「大谷茉莉さんですか」
ここからもよく見える、異形の生き物に囲まれながら、まるで友人と談笑しているときのような佇まいが。
鴎は気絶直前の浮遊感を思い出し、生唾を飲み込む。
どこへ行ったのかと思えば、わざわざ姿を晒すとは。結に勝負を呼びかけるつもりなのか、瞳に宿る闘争心が、ここからでも感じ取れた。
「…六城さんが下に行った後、この教室が光ってるのが見えたんだ」
ちらりとこちらを見る結の目に責める色はなく、純粋に心配しているのが分かる。
約束を破った罪悪感に胸がチクリと痛みを覚える。その痛みをごまかす様に、鴎は言葉を続けた。
「その、何かこの事件と関係あるんじゃないかって思って、見に行ってそしたら…」
「彼女がいたんですね」
コクリと頷く。
「自分が校舎にあいつらを放ってた“可能種”だって。僕を脅すために六城さんと引き離したらしい」
「里見くんを脅すために…?」
「実は、一昨日朝学校に行ったとき、誰かと喧嘩してるのを偶々見たんだ。その相手が“楔”で、それから弱り始めてるみたい。だからそれを知ってる僕を黙らせるために…」
なるほど、という呟き。
「里見くんを私から引き離せば、弱みを知られる心配はないし、私の弱体化も狙えるということですね」
そこで鴎に顔を向ける。
「でも、里見くんが無事なのは、私が間に合ったということでしょうか、それとも…」
「その、僕がそのことに気づいてべらべら喋っちゃって、大谷さ、大谷が怒ってたから、逃げようとしたんだけど、隠れてたカエルか何かに吹っ飛ばされて、気絶してたみたい」
もう一度右足に視線を向け、床を何度か踏んでみる。
「そのとき足が折れてたの見たはずなんだけど…」
やはり何度確かめても右足に異常はない。それどころか、いくら動かしても引きつりを一度も感じない。
不思議そうに足元を見る鴎に、結ももの問いたげな視線を向ける。
「あっ!」
肝心なことを伝え忘れていたと気づき、結に慌てて向き直った。
「大谷は、何か、虫を持ってた!」
「虫…ですか?」
「うん!僕の腕くらいある芋虫みたいな、虫。それを生き物に埋め込んだら」
ドシンと腹の底に響くような地響きがして、二人は音のした方、駐車場に顔を向ける。
カエルの手前のアスファルトが、そこだけ工事用のハンマーでも振り下ろされたようにへこんでいる。
足元に転がった板チョコのクズのような破片を蹴飛ばすと、大谷はもう一度こちらを見る。
「…ああなるみたい」
急かしているのか、カエルの張り手、もしくは四股踏みの作った穴に釘付けになっていた目を、鴎は結へ向けた。
よく見ると、服は汚れが目立ち、所々破れている。額に滲んだ汗と、常にない浅い呼吸がその消耗を物語っていた。
そうか。
ここにたどり着いたということは、結は既に三体のカエルと連戦したということだ。
「六城さん…」
「今日ケリをつけます」
ここは逃げようと提案するつもりだった鴎は、泡を食って結を制止する。




