金曜 生物準備室(4)
「……さっきの口ぶりからして、最初、君はそれの効果を正しく把握していなかった」
鴎が沈黙を破る。
ショックで黙り込んでいると捉えていたのか、大谷は鴎がそれと呼んだ芋虫に落としていた視線を、もう一度上げた。
「だから、散発的にカエルやら何やらを六城さんにけしかけてたのは、多分そのデータをとるためだ」
肯定も否定も示さない両眼を無視して、鴎は話を続ける。
「そうして君は、僕に説明したことと、六城さんについての情報を得た」
自分を気にかけていたとはいえ、結がカエル一匹に苦戦すること。そしてカエルがそれほどまでに強化されていたこと。
「十分だったはずだ。後はカエルの数をそろえてから、六城さんに勝負をかければいい。なのに君は、今夜カエルを三体も投入してまで、六城さんを僕から引きはがして接触することを優先した。それは」
「鴎くんが私のことを探り始めたから?」
いいや。
「違う」
鴎は目前の大谷に目もくれないほど集中していた。思考の過程をなぞりながら、口にしていくたびに、朧げだった大谷への所感がはっきりとした輪郭を持つ。
「自分で説明してよくわかった。僕は大したことをしてない。学校関係者全員を調べたって、結局経歴を偽っているのが誰か、断定できるわけじゃない。放っておいても、君の脅威にはならない、構わないんだ」
「でも君は、カエルの数を増やすことより、六城さんを倒すことより、僕を今夜、この教室で脅すことを優先した。なぜなら」
結論から口にする。
「このままじゃ不利になる一方だからだ」
「……なんでそう思うの?」
大谷の問いは、暗に認めているようなものだが、今の鴎にはそれに気づく余裕がなかった。
「まず、六城さんは入学して以来、“可能種”としての力を発揮できていないって聞いた。“楔”、がなかったからって。それって、君たちは見たらわかるものなんだろ」
“可能種”が存在を定着させるためには“楔”となる人間が必要。車中で庵から聞いた話、そして結の儚さが脳裏をよぎる。
「君の行動から透けて見える余裕は、それに裏打ちされていたんじゃないか。焦らなくてもそのうち消えてしまうかもしれない六城さんは、僕ほどじゃなくても、君にとってはやっぱり脅威じゃなかったんだ。でも、君の大幅有利な状況は一週間足らずで逆転してしまった」
今日はよく喋る日だとぼんやり思う。内から発した熱に浮かされたように、鴎は喋り続けた。
「さっきの会話の中で一度、明らかに君が僕の話を遮った。僕がクラス中に聞いて回った話の時だ」
ここまで、合いの手を入れるような発言はあっても、茶々を入れられたのはあの時だけだ。
聞いているだけだった大谷は無意識に行ったのかもしれないが、話す側の鴎はそのことに気づいていた。
「僕はあの時、こう続けるつもりだった。その後に、泣いてる君と会ったんだって」
「……」
「あの日、朝学校に行った僕は、花壇に向かう途中で誰かが口論してるのを聞いた。そしてそれは、六城さんから聞いたことと何か関係があるんじゃないかって思った。あの直感は正しかったんだ。君は誰かと喧嘩別れをしていた。その誰かは君の“楔”だったんだろ」
あの泣き顔は演技ではない、少なくとも自分に見せるためのものではない。大谷はあの日、自分自身の存続を左右する他人を突き放した、決別したのだ。そしておそらくそれは、今日まで変わっていない。
「六城さんは僕と会ってから、段々状態が安定していったらしい。多分、個人的な込み入った話を、人間としたからだ」
余計なことを口走ったな、と鴎は内心舌打ちする。内容についてまで喋るところだった。
「つまり、今の君には“楔”がいない。だから今までほどの力は発揮できない。なのに、弱る一方だったはずの六城さんはどうしてか力を増している。それが“可能種”の君には分かって、原因は最近関わるようになった僕だと考えた。だから君は焦って、僕の始末にかかったんだ」
日に日に増す結の存在の圧迫感は、同じようにぐらつき始めた自身の存在も相まって、大谷の焦燥感を激しく煽ったのだろう。
「“楔”との仲を修復するのより優先したってことは、君はもうその人とは」
重量のある落下音が教室に響く。
驚いた鴎がそちらを見ると、芋虫が床の上で短い四肢を悶えるように振り回している。そしてそれを落とした持ち主の、底冷えするほど暗い瞳がこちらに向けられていた。




