首相官邸からの脱出
佐藤俊夫が雑居ビルでMREを選んでいた頃、官邸では高橋総理が化粧室で顔を洗い、気合を入れていた。
「よし!」
「総理、ほぼすべての閣僚が待っております」
「ほぼ?誰が来てないの?」
「総務大臣が前総理を含む議員との会合から戻れないとの連絡が」
「......まぁいいわ、始めましょう」
そして、今朝十時十分に工作員によって謎のウイルスが撒かれ、住民には自宅にて退避するようにと言う所まで、総理はTV会見で語った。
危機管理センターでは、集まった閣僚に、これまでの在日米軍との遣り取り、昨夜米軍より警報が出された事、事前に対処指示書を機密文書として防衛省及び、各警察本部宛てに配布したばかりだった事。
ここ数日の出来事を丁寧に話した。
そして、発生するまでこの情報を発表する事が出来なかった事を詫びた。
「こんな荒唐無稽な話を事前に話したら、それこそ内閣が吹っ飛びますな」
「こんな話は誰も信じる事が出来なかったでしょう」
「いくら在日米軍が警告してきたとしても、ねぇ......」
「しかし、総理はそれを信じたと?」
「はい、信じるに値する人物と極秘に会談をいたしました」
「この話を事前に知っていたのは?」
「私と、副総理、官房長官、防衛大臣の四名と統幕の実働部隊数名です」
「副総理はこういった話に詳しそうですな」
「それほどでもねえがな!物語の中だけで済めば良いと思ってたな」
「それで、現状はどうなってる?」
防衛省から統合幕僚長が状況説明をはじめた。
「昨夜、北の国の工作員に新潟より侵入され、追跡中の実働チームが今朝、品川で三名捕捉し、確保を試みるも銃撃戦の末、制圧に成功」
「その際に謎のウイルスは放出された後でした。
工作員はすでに感染していた様子で、二名は発症しておりました」
「即座に現場を離れ、化学防護隊の派遣を要請。
周囲には噛まれて発症し始めた民間人が増え始めて混乱状態に陥り、広がっていった模様です」
「対応したチームの状況は?」
「感染は免れたと思われますが、念の為厳重に隔離されて経過観察中です」
「銃撃戦の際に民間人への誤射の可能性は?」
「未発症の民間人への発砲はゼロです」
「現在、どこまで広がっていますか?」
「品川駅を中心として、同心円状に広がって、今しがた入った報告によると、速度は歩く程度だそうですが、新橋はすでに到達し、先頭は東へ進んでいるようです」
「その新橋の拠点からの報告ですが、発症までの時間に個人差がある模様で、車で逃げ出したあと、そこで発症した疑いがあるそうです」
「その際に、発症前に新幹線に乗車された場合、遠くまで感染の恐れが指摘されましたので、JRに連絡して運行停止して貰いました」
「その他の鉄道会社、交通機関にも運行停止命令を即座に出してあります」
「羽田発の航空機は離陸禁止、現在羽田に向かっている飛行中の便は、セントレア、関空、千歳へ振り分けております」
「都内北部では、防衛出動命令を受け練馬駐屯地から出動、環状七号線を最終防衛線とし、西側は多摩川を防波堤として橋の封鎖、都心部を目指して順次封じ込めを進めております」
「習志野駐屯地では、警告に従い、荒川に掛かる橋の封鎖計画を策定、本日の機密文書開封命令をもって、河口から上流に向けて順に橋を封鎖中です」
「海自も事前の米軍よりの警告に従い、艦艇は離岸待機に入っておりました」
「現在、横須賀から護衛艦いずも、呉から回航してあったおおすみ、ようこうの三隻が東京湾奥をめざして航行中です」
「ありがとう、拡散の最前線の状況は?」
警察庁からの報告が始まった。
「現在、所轄の警官、機動隊員全員に武装を指示し、墨田川で食い止める為に橋の封鎖に全力を傾けて拡散を食い止めている状況です」
「と言う事は、東西は多摩川と墨田川で封鎖、北から環七を南下し、首都高三号線に沿って二子玉川辺りまで、南は海で押し留めている状況って理解で良いのね?」
「はい、現状ではその通りです」
「区域内に取り残されてる住民の救出状況は?」
「比較的感染者の薄い地域から公営、民間のバスにて圏外へ移送しておおります」
「検問所での感染者のチェックは厳重に行ってね!」
「ひとりでも見逃したら、あっと言う間にひっくり返されるわ!」
そこへ、警備担当者が走り込んで来た。
「総理!そろそろ退避の準備をお願いします!」
「官邸の周囲も溢れ返っています」
「そうね、それでは一旦ここは封鎖して、脱出しましょう」
「官房長官、あそこを使うわよ!」
「しかし、あそこは......」
「ヘリじゃ全員脱出できないでしょ?」
「陸路は当然無理よね?」
「はぁ......」
「良いから、良いから!」
官邸に居た全員に、一階のエントランスへ集まってもらった。
「これから見る物、経験する事は墓まで持って行く事!」
「全員誓ってね!」
「......」
「官房長官、お願い」
エレベーターホールの奥、清掃道具やらが置いてあるドアを開けて入って行き、段ボールが積まれたスチールラックを片手で軽々とずらすと頑丈そうな金属製のドアが現れた。
官房長官は総理から預かったキーと自分の持っているキーでそのドアを開けて内側の照明を点けると、長い下りの階段が伸びている。
「みなさん私に着いてきてね」
高橋さなえ総理はその階段を迷わず降りていった。
「噂には聞いていたが、ここが隠し通路だったとは知らなかった」
「で、どこへ繋がってるんだ?」
ニ十分ほど歩いて階段を上ると古びた匂いのする部屋に出た。
皇居内、吹上護衛署の一室で、本部長が直々に出迎えてくれた。
高橋総理と官房長官は本部長の案内で、御所の執務室へ案内された。
そこには天皇と皇后両陛下がすでに待っておられた。
「高橋さなえでございます」
「よくぞご無事で参られました」
「厚かましくも官邸から全職員を引き連れて参りました」
「もっとも、防衛省からは数名、留守番をお願いして参りましたが」
「それで、みなの様子は?」
「はい、今現在判っているすべての状況を説明させて頂きたく参じました」
「はい、宜しくお願いします」
総理の話は、一月ほど前、横須賀の米海軍基地に一人の日本人がヨットに乗って現れた事から始まった。
その日本人は30年前の1996年のハワイに行き、そして自分自身も30歳若返っていたと。
そのハワイに到着した直後、ゾンビ騒動が始まり、そこを切り抜けて海兵隊や米海軍らと協力してゾンビ騒動を終息させて日本に戻ってきたら、元の2026年に戻れた事、そして自分も元通りの60歳に戻っていた事。
その経験と情報を在日米軍と防衛省で共有し、対応策を立てられた事。
その後、ゾンビの原因とされる謎のウイルスが、米軍の監視の目を逃れ、日本に持ち込まれて品川で拡散されてしまった。
しかし、その対応策は事が発生しない事には表沙汰に出来ない為、ギリギリの選択しか出来なかった事を陛下に詫びた。
そして、感染地域は同心円状に広がり、霞が関周辺にも溢れだし、官邸で立て籠もって対応指揮を執っていたが、陸路での脱出が無理な状況に追い込まれていたこと。
スタッフ、警備関係者その他で総勢250人ではヘリでの全員を脱出させる事ができないと判断し、やむなくこの通路を利用した事等の説明をさせて頂いた。
「このような次第でございます」
「そうでしたか。皆さんも無事なのですね」
「はい。幸い、現在のところ全員無事です」
「それは何よりです」
その後は、現在の東京の封鎖状況。
全国への感染拡大についてはまだ断定できないこと。
自衛隊・警察が対応中であること。
海自が東京湾へ展開していること。
お台場確保作戦が進行中であること。
政府として今後も国家機能を維持すること。
そして、引き連れて来たみなさんを一晩休ませて頂きたいことと、自分は側近のスタッフを引き連れていずもへ移乗し、そこから指揮を執るつもりであると、簡潔に報告を済ませた。
「わかりました。どうか国民をよろしくお願いします」
「はい、全力を傾けて乗り切る所存でございます」
高橋さなえ総理は深く頭を下げ、その場を辞した。
「総理、準備が出来ております」
地下通路で割り振ってあった側近と共にCH47へ乗り込んだ。
「さあ次は、いずもへ飛ぶわよ!」
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