第08章 メキシコ料理屋シエロ
そして、クルリと踵を返すと、玄関の奥に消えてしまった。
僕は家に帰ると、早速、クリアファイルの中を改めた。
中には、A四で八枚のレポートと、沙織さんと思われる写真が三枚程、入っていた。同一人物なので、沙織さんだろう。
昨日、宇津木さんと会ってから、機嫌が悪いというか、怒ってる、長澤さんを元気づける為にも、僕は、声に出して言った。「美人な方ですね」
「そうだな」
と、長澤さんがボソリと呟く。
実際、写真の中の沙織さんは、美人だった。スッと鼻筋が通っていて、博多人形とでも言えばいいのか、透明感のある顔立ちだった。と同時に、未だ二十四才なのに、妖艶な感じもする。
正直、この仕事?には、ウンザリというか、宇津木さんからは、身の危険まで感じる案配だったので、ミカに手を引かせてくれ、と言おうと思っていた僕だが、俄然、やる気が出てきた。
続いて、レポートの方に目を通す。
報告者、調査員の名前は、生川哲郎とあった。
だが、結論から言うと、大した情報は無かった。
無理もないだろう。
本人が失踪してから、一週間の間の調査で、浩一さんの奥さんや、沙織さんの職場の同僚の話がまとめられてるだけだった。オフィシャルな恋人もいない、ということだった。
僕は、レポートに一通り、目を通すと、長澤さんが見れるように、今度は、一枚一枚ゆっくりとめくっていった。
長澤さんは読み終わると、がっかりしたように言った。
「高い金を払ってもこんなもんか」
「困りましたね」
「そうだな」
考えられるのは、もう一度、僕と長澤さんで、奥さんや沙織さんの職場の同僚から話を聞く、ということだ。長澤さんが一緒にいることで、何か、また違った質問も出来るかもしれない。だが、長澤さんは、ガンで入院してたんだから、この線も、あまり、有効かどうかは疑問だった。
すると・・・。
長澤さんが、あまり気乗りしない感じで言った。
「バイトでもして貰うか」
「そうですね」
と、僕は相鎚を打った。
報告書に、沙織さんがよく行くお店として、メキシコ料理屋のシエロという名前があった。職場の同僚が二人、このお店の名前を口にしている。
長澤さんが気乗りしないのは、長澤さんも、僕と同じことしか、所でしか、見聞きできないからで、今更、飲食店でバイトでもないと思ったのだろう。
調査としても、ダイレクトじゃない、時間がかかる。だが、仮に何か情報を得るとしたら、スタッフとして潜り込むのが一番、現実的、確実だろう。
クラブ通いというか、ナンパも、入院以来してないので、暇と言えば暇だ。
拓哉も、同じく、暇してたらしい。
そんな訳で、拓哉が、僕に訊いた。
「お前、これからどうするの?」
「バイトの面接」
「バイト?家庭教師止めたの?」
「家庭教師はやってる。それとは別に」
拓哉は、しげしげと僕の顔を見つめて、
「へえー、勤労意欲に目覚めたか?」
「まあね」
「何のバイト?」
「メキシコ料理屋」
「メキシコ?なんでまた?」
「僕は、日本一のタコス職人になるんだ」
「タコス職人とは初めて聞いた」
僕もだ。
拓哉は、解せない顔で、それもそうで、料理に興味がありそうなのは、どちらかと言えば、拓哉の方だ。コンビニのおにぎり選びに時間を割くのは、いつも拓哉だ。
それでも、拓哉は、話の流れから、更に、僕に、質問した。
「それじゃあ、キッチンか?」
どうなんだろう?
ネットで調べた感じだと、スタッフ募集とだけ、書いてあって、キッチンなのか、ホールなのか良く分からなかった。
「ホールかもしれない」
「?」
「先ずは、タコス職人が丹念に作り上げたタコスを、お客様がどのように味わうか、感じ取ることも重要だろう」
「食べ残しがあるか、皿を見れば分かるだろう」
と、ここで、拓哉が、グルメ漫画で読んだ様な知識を披露した。
やはり、拓哉は、料理に興味があるのだろう。
「僕は、一介のタコス職人で終わるつもりはない。タコス職人兼オーナーになることだって考えてる」
「まあ、そっちの方が、分かりやすいと言えば分かりやすいが」
と、拓哉は呟いてから、「今日は俺、暇だから、付き合うわ」
そんな訳で、放課後、拓哉と二人で、メキシコ料理屋・シエロに行くことになった。
シエロは、大学から五十分程のとこにあった。
電車を一回乗り換えて、シエロのある最寄り駅に着いた。シエロは、駅から十分程のとこだ。付近に、高校があるのだろうか、学生服姿の高校生の姿も見える。
駅から幾らか、歩いたところで、
「触らないでよ」
と、いう女の子の声が飛び込んできた。
声の方を覗いてみると、人通りのある道から、ちょっと入ったところに、男子学生の姿が三人、見える。どうやら、声の主は、その人影の奥にいるようだ。
僕と拓哉も、平均身長以上はあるが、三人組の二人は、僕らより大きかった。それにまあ、一目で、不良さんとわかる格好だった。正直、怖くさえあった。
僕と拓哉は、顔を見合わせると、拓哉が、取り敢えず、様子だけ見るか、と呟いた。僕も頷く。
自分達もナンパするので、一概に、三人組を悪と、決めつけるつもりはない。ただ、放っとくにしては、女の子の声が、つっけんどんだった。
僕と拓哉は、出来るだけ静かに、三人組の傍に行って、というか、通りかかるようにして、先ほどの声の主の姿をあらためた。
女の子は、あれま、という感じだった。
歳は、僕らと同い年ぐらいだろうか。
可愛いいというか、セクシーというか、ムチムチなのである。
ハーフだろうか、褐色がかかった顔立ちは、彫りが深く、髪は短く、ボーイッシュで、柄の入った赤いシャツに、デニムのショートパンツなのだが、それがかえって、ムチムチ感を強調してる。
これは、僕らでも、ナンパのターゲットだ。
なんで、三人組の男子高生にシンパシーが沸いた・・・わけではない。
ナンパだってルールがあって、相手がちょっとでも嫌がってたら撤退するのがルールだ。
女の子は明らかに嫌がってる。
思わず、じっと見つめてしまったのだろうか。
女の子の、青味がかかった薄いとび色の瞳と、僕の瞳が鉢合わせした。
その女の子の視線に、三人組も気づいて、こっちを見る。
「なんだ、お前ら」
と、リーダー格らしい、オールバックの長身の男子高校生が言った。
僕は、内心、どうも、最近、こういう怖い系に縁があるぞ、と呟く。
ところで、拓哉は、マッチョ志向で、どうも、体を鍛えてるっぽい。そのせいではないだろうが、結構、余裕があって、携帯を取り出すと、三人組に言った。
「警察に電話する?」
「そうだな、十分ぐらい、僕らだって稼げるさ」
と、僕が言う。
うーん、十分はきつい気もするが、どうだろう。
三人組は、顔を見合わせると、チェッと舌打ちして、止めた、止めた、と言いながら、大通りの方に、向かって行った。もちろん、僕と拓哉のところを、通り過ぎる時に、ガンを飛ばしていくのは、忘れない。
三人組が通り過ぎてしまうと、僕は、視線を、女の子に戻した。
女の子はツツッと、僕と拓哉に、歩み寄って来ると、甘い声で言った。
「有難う」
「う・・うん」
と、僕と拓哉は、声にならない声を出した。
「どう、お茶でもしない?」
と、喉元まで出かかっていたのだが、僕は、辛うじて、その言葉を飲み込んだ。拓哉もそんなとこだろう。
代わりに、僕は、この場合の常套句を言った。
「家は近いの?もし、あれだったら送っていくよ」
「有難う。でも、家は近いから、大丈夫」
「そうか」
と、思わず、残念気な響きを滲ませながら、僕は言った。
女の子は、そんな僕の心中を知ってか知らずか、
「ここらへんの人?」
「いや、違う。今日は、バイトの面接で」
「へえー、何のバイト?」
「メキシコ料理屋」
メキシコ料理、という言葉に女の子は反応して、言った。
「何て、お店?」
「シエロ」
「ああ、シエロか。近くだから、送ってあげるわ」
「そうなの?それは助かる。有難う」
と、僕は、心から、言った。
シエロまで、五分間程だったろうか、僕たち三人は、なんとなく、話すことがなくて、黙々と歩いた。




