第36章 娘
と、言うと、フッと沙織は笑った。「私もね、かな。これを機会に財務省側について、アイツを裏切ろうと思ってたの。それで、九条に近づいた。ところが、九条が、いきなり、嗜好用大麻は駄目だ、とか言い出して。九条とはそれっきり。本当、頭のいい奴の考えることは分からない・・・」
沙織は、俯きながら、淡々と話を続けた。
「ちょっと、どうしようかな、と私が思っていた頃、三島が、お嬢さん、一緒に逃げませんか、と言い出したの。バカじゃないの、と私が三島を見返したら、今なら二億円が手に入ります、とか言い出して。手に入るも何も持ち逃げなんだけど、まあ、私も、色々、行き詰っていて、なんとかなるかな、と」
「それで、その後、三島を裏切って、生川と逃げたわけか」
「三島を裏切るも何も、私、何も約束してないし・・・」
僕が、何て言おうか、考えていると、不意に、ドアが開いて、宇津木とチンピラ男が入って来た。
宇津木は、部屋の隅に置いてある、パイプ椅子に座り、チンピラ男が、残忍な笑みを浮かべて、僕に近づいて来た。
先程から、僕は、三十分だろうか、一時間程だろうか。
チンピラ男に殴られている。
ノートPCは、パスワードを入れないでも、ログイン出来る設定なので、あらかた中身は調べたのだろう。目ぼしい情報を、宇津木は、見つけられなかったのだろう。それも当然だ。実際、ないのだから。宇津木にとって、目ぼしい情報とすれば、僕のズボンのポケットの中のUSBメモリと、確かに、僕の頭の中だ。
宇津木は、パイプ椅子に座って、飽きもせずに、チンピラ男が、僕を殴るのを見ている。沙織は沙織で、興味無さそうに、体育座りをして、俯いたままだ。
殴っているチンピラ男が、一番、苛々している。
「テメエ、いい加減にしろや」
とても、人にモノを頼む態度とは思えない。
宇津木が、パイプ椅子から立ち上がると、僕の傍に寄ってきて、言った。
「おい。このままだと、お前、死ぬことになるぞ」
「助けて下さい」
「お前が、何か掴んでいることは分かってるんだ。さっさと喋っちまいな」
「お断りです」
「どうして?お前に、財務省に義理はないだろう」
「義理どころか、財務省は大っ嫌いです」
「それなら、猶更だ」
僕は、宇津木の瞳を見据えると、言った。
「財務省は嫌いだが、貴方も大っ嫌いだ」
チンピラ男が、切れて、僕を、殴りながら、言う。
「テメエ、次期組長に何、言ってんだ、あ?」
僕は、黙って、殴られる。
宇津木は、チンピラ男が、一息付くのを、待って、チンピラ男に、言った。
「あと、三十分で、こいつ、バラシていいわ」
「おっす」
と、チンピラ男が、目を光らせて、言う。
ところで、僕は、何も、無鉄砲に、こんな態度を取っていた訳ではない。
僕は、声を張り上げた。
「ミカエル様。頼む。助けてくれ」
天国で、僕の命を助け、そして、今や、僕は、光の戦士だ。
案の定、ミカが現れた。・・・通常モードなのが気になるが。
「ミカ、助けてくれ。僕は、これまで、頑張ったじゃないか」
驚くことに、ミカは、哀し気に首を振った。
えっ?
「ミカ、頼むよ」
「ごめんなさい、出来ないの」
「出来ないって。・・・それは、能力的に出来ないの?それとも、天国のルールで出来ないの?」
「・・・能力的に」
「バカな。天国では僕を蘇らせてくれたじゃないか」
と、僕は、言いながら、ハッとした。
ミカが、言う。
「そう、天国だから」
「・・・」
「主も私も、下界に対しては、何も出来ないの」
「それでも、神様か!」
と、僕は、極めて、失礼な言葉を、言った。
「神の奇跡は、下部である人間を通して、行われる。それが人類の歴史じゃない」
「・・・そう言われたら、そうだけどさ」
僕は、そう呟くと、押し黙った。
突拍子もない会話に、きょとんとしていたチンピラが、再び、僕を殴り出す。
「おいおい、頭イカレル前に、白状しろや」
僕は、殴られながら、考える、いや、感じた。
こりゃ、マジで死ぬな。
だが、まあ一度は死んだ命だ、惜しくはない・・・訳はない!!!
「ミカ、頼むよ。僕は、生きたいんだ」
ミカは、再び、哀し気に、首を振った。
ミカを見ていた僕にも、ミカの哀しみが伝わって来た。
それで、僕は、本当に、諦めた。
僕は、もうすぐ、死ぬんだ。
そうして、僕の全身から力が抜けだした。
ところが、しばらくして、部屋のドアの前から、物音がし出した。
と思ったら、ガヤガヤと、多くの人が入って来た。ほとんどが警官の制服姿だった。
警察?
一団は、あっという間に、宇津木を、チンピラ男を制圧してしまう。
地下にある部屋から、担架で運び出された僕を待っていたのは、熱海署の太田刑事、玲奈さん、響子さん、拓哉の顔だった。
玲奈さんが言う。
「なんだ、間に合ったか」
響子さんが言う。
「翔太君、無理しちゃ駄目だよ」
拓哉が言う。
「悪い。思ったより、手間がかかった」
僕は、拓哉に訊いた。
「よく、ここが分かったな」
「ああ、肩掛けカバン持って来ただろ?」
「ああ」
「あそこに、発信機があるから。追跡装置は、玲奈さんが持ってる。もっとも、大まかな位置は、警察の力だ」
「太田刑事は?」
「ちょっと前に、お前がいない時に、NKKを訪ねて来たんだよ。お前を探しに」
刑事って、会話の一つ一つを覚えてるんだなあ。
そして、僕は、感謝の念を込めて、拓哉に聞いた。
「・・・発信機なんて。どこで買ったんだ?」
「通販で」
「・・・通販、有難う」
という言葉を、僕は、最後まで、言えなかった。安堵感からか、気を失ったからだ。
次に、僕が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だ。陽菜に覚醒剤の錠剤を口に放り込まれて、気を失った、死んだ時と同じだ。だが、今回は、天国でガラポンをすることなく、再び、目を覚ますことが出来た。
今、僕の目の前には、ヒロから託されたUSBメモリがある。
一番、自然なのは、警察に持っていくことだろう。
だが、これが何の証拠になるのだろうか。
財務官僚が、メキシコのビジネスマンと飯を喰ってるだけだ。恐らく、ビジネスマンが藤倉秀樹に渡した民芸風バッグの中身は、札束か何かだろう。だが、そんな証拠はどこにもない。
では、マスコミにタレこむか。
それも、同様な理由で、心もとない。
また、僕より、年配の人は覚えているかもしれないが、随分前、マスコミは、官僚批判をしていた。また、消費税導入にも反対だった。だが、いつからか、官僚批判もしなくなったし、消費税の議論もしなくなった。つまりは、財務省と喧嘩したくないんだ、マスコミは。とは、玲奈さんの言い分だ。
ミカは言っていた。
沙織探しは、多くの人を助けることになると。
それは、どういう意味なのだろうか。
例えば、このUSBメモリを、ネットで公開して、話題になれば、嗜好用大麻の解禁は遅れるだろう。だが、これは、極めて、ある一つの見方で、もしかしたら、日本も、他の国と同様に、嗜好用大麻を解禁するべきなのかもしれない。
今日は、天気がいい。
不意に、窓から、爽やかな風が吹き込んだ。
あれこれ、考えて、クヨクヨ悩んでいる僕を嘲笑うかのようだ。そう言えば、ヒロは、言っていた。私、面倒なのは苦手なの。
僕だって、そうさ。これは自信がある。
他に、ヒロは何て言ってたっけ?
結局、三日間の入院で済んだ。散々、チンピラ男に殴られたが、内臓などはやられてなかったらしい。ただ、顔は相当ひどい。顔中が腫れあがってる。鏡に映った姿は、我ながら、不気味だった。これじゃ、ナンパなんてもっての他だ。もし、ナンパなんてしたら、恐らく、通報されてしまうだろう。
僕が、NKKの部室に顔を出すと、既に、玲奈さん、響子さん、拓哉は来ていた。僕が、招集したのだ。
僕の腫れあがった顔を見て、普段は、軽口を叩く、玲奈さんも、ギョッとしたような表情を見せたきり、何も言わなかった。
パイプ椅子に座ると、僕は、口を開いた。
「喋るのも面倒なので、端的に言います」
「おう」
「うん」
「だな」




