第25章 沙織
「秋山と沙織が、セックスし出したのは、三年の夏休みに入ってからで、夏休みが終わると、二人の態度が、あからさまに、それまでと違うんで、俺が冗談交じりに言ったら、秋山が白状した。沙織は沙織で、女友達に特に隠すことも無かったらしい。また、一年二年の時から、男絡みで、沙織には良くない噂があった。それで、秋ぐらいかな、俺が嫉妬半分、半分は本音で、秋山に言ったんだ。どうも沙織ってよく分からん、と」
多分、秋山が死なない世界線があるとすれば、その時だったのだろう。
萩原は、ちょっと遠い目をして押し黙った。
「すると、秋山は、怒ったような哀しんでるよな顔で言った。沙織は、可哀想な奴なんだ。俺と沙織が初めて抱き合った時、沙織は泣き出したんだ。俺は慌てたよ。そりゃそうだろう。初めての相手に泣かれるなんて。それで、沙織に俺は謝った。そしたら、沙織は、泣きじゃくなりながら言ったんだ。父親に繰り返しレイプされていたこと、だから、自分は好きな人に抱かれる資格はないんだと思っていたこと。でもこうやって、好きな人に抱かれたこと。それが嬉しくて嬉しくて。俺はこの時、思った。絶対に、この女を守ってやる。喩え、相手が、何であってもだ」
この時の沙織の言葉に嘘は無いだろう、いや、嘘であって欲しくない、と考えたに違いない、秋山も萩原も。
「そうして、事件が起きた。肌寒くなって来た頃だ。新聞の記事では、事件性が無いように書かれていたが、僕は、見たんだ。秋山が、三人ぐらいのヤクザ風に殴られているのを」
ああ、遂に来たか。
「その日、僕は秋山とゲームソフトを買おうと待ち合わせていたんだけど、少し遅れてしまって。僕は、秋山が殴られているのを見て、立ちすくんでしまった。そんな僕に、奴らが気が付いた。一人が、僕を追いかけ出した。僕は、懸命に逃げ出したが、相手の方が早くて、あっという間に捕まってしまった。そうこうしてると、残りの二人が、秋山を用水路に放り込む。それから、三時間ぐらいは、僕にとっても地獄だった。もちろん、秋山は死んでしまったのだから、僕の苦しみなんて、大してもんじゃない。奴らは、最後まで迷っていたようだ、僕を殺すかどうか。結局、奴らは、僕の学生証を取り上げると、噛んで含める様に言った。このことを黙っていろ、もし喋ったら、お前の母さん、父さんも死ぬんだぞ、って。夜になって、解放された僕は、警察に、友人が用水路に落ちた可能性がある、と電話したけど、その時はもう、病院で秋山の死亡が確認された後だった」
そうして、萩原が黙り込んでしまったので、僕が訊いた。
「沙織の親父さんがヤクザの組長だったことは知ってたんですか?」
「ああ。そういうのは、なんとなく分かってしまうものさ」
「なるほど」と僕は言ってから、「それから、秋山さんを殴ったヤクザの名前は分かりますか?」
萩原は、ゴクリと唾を呑みこんでから、言った。
「ああ、リーダー格は。手下から名前を呼ばれていたので。ウツギとか言ってた」
宇津木か。
萩原さんの苦しみは、その時から、今まで続いてたんだろう。そして、これからも。
ヤクザに脅されたとはいえ、友達を殺した奴らが分かってるんだから、警察に言うべきではないのだろうか。
この問いを、萩原さんは、これまで、何百、何千回と繰り返したことだろう。そして、これからも。
僕の考えを、感じ取った様に、萩原が言った。
「警察には言えなかったさ。でも、沙織には、言ったさ。沙織からもあれこれ訊かれたから」
「なるほど」
「それで、僕は、僕の見たままを、沙織に言ったさ。そしたら、沙織は何と言ったと思う?」
「・・・」
「パパの方が強かった、それだけじゃない、って。呆気らかんに言ったんだ」
僕と拓哉は、今度こそ、黙りこくってしまった。
五分だろうか、十分だろうか。或いは、僅か、一分程だったかもしれない。
不意に、拓哉が、ひどく残酷なことを言った。
「秋山さんだったら、どうしてたんでしょうか?」
バカ、バカ、バカ。
キッと拓哉を睨みつけた萩原さんの瞳に、みるみる涙が浮かんで来た。
拓哉は、萩原さんの視線を、受け止めると、呟く様に、言った。
「でも、俺やコイツだったら、萩原さんと同じ様に、警察には言えなかったでしょう。大学生になった今でも、恐らく、そうだろう、と思う」
「・・・そうかもしれないけど」
「弱いものは弱いものなりに生きていくしかないんじゃないですか」
そんな拓哉の言葉を、萩原さんは、ぼんやりと聞いていた。
僕と拓哉は、萩原さんの部屋をおいとますると、台所にいる、お母さまに、麦茶、ご馳走様でした、と言って、萩原家を出た。お母さまは、また、来てね、と声をかけてくれた。
僕と拓哉は、駅までの帰り道、そして、電車の中も、ずっと黙りこくったままだった。
別れ際、僕は、希望を込めて、言った。
「俺なら、警察に行くぜ」
拓哉は、フッと笑うと、言った。
「俺なら、そうならないようにする」
もう、うんざりだ。
沙織の言い分が正しいなら、長澤は畜生だし、そんな奴の頼みを聞く必要があるのだろうか?
沙織の言い分が嘘なら、そんな嘘つきなんて、路上で、くたばっちまえばいい。
大学のカフェテリアで、僕は、拓哉にそう言った。
今日は、偶には、ホットコーヒーを飲もう、とこちらにやって来た。
拓哉は、コーヒーを、二口、三口、味わってから、言った。
「やっぱ、ブルマンだな」
「お前に、コーヒーが分かるのかよ」
「少なくとも、違う、ということは分かる。ブルマンはレギュラーより、二百円高い。つまり、希少性があるということで、もちろん、ただ単に希少性があるという訳ではなくて、市場によって、その希少性に相応しい価値があると、評価されてる訳だ。と、この前、授業でやったじゃねーか」
僕は、白々として、言った。
「でもそこに、お前の価値観は無いじゃねーか」
「それはそう。だから、今日、検証して見た訳だ。ブルマンにその希少性に相応しい価値があるか」
僕は、大きく、ため息を、一つ、ついた。
もちろん、拓哉は、沙織探しの件と関係無く、ブルマンの話をしてる訳ではない。
拓哉は、時々、こういう七面倒な論法を使う。
「で、何が言いたい?」
「まあ、そう急くなよ」と拓哉。「ところで、俺たちが、大学ですべきことは何だと思う?」
勉強か?
女か?
「なんだよ?」
「コネ作りだ」
「・・・ほう。まあ、そう言われてみれば」
「だろ。クラスに相沢っているだろ?」
「ああ」
「あいつが、この前、力説してた」
「でも、コネなら、玲奈さんと馨子さんがいるじゃねーか」
「それはその通り。だが、あの二人は、ちと強力過ぎる」
「強力?」
「平たく言えば、次元が違う、というか、住む世界が違う、というか」
僕は、ゲンナリして言った。
「そういう、敢えて、見て見ぬふりしてることを、あっさり言うなよ」
「例えば、三年後、お前が、あの二人に電話かけれるか?或いは、あの二人から、電話がかかってくると思うか?」
「だから、ねーよ」
「NKKの活動に本腰入れれば、その可能性が出てくるが、今からでも、本腰入れるか?」
「まさか!」
「俺も同様だ」
拓哉は、言いたい放題言うと、再び、ブルマン鑑定、作業に入った。
レギュラーだって、上手いぞ。
と、心の中で、呟きながら、僕も、コーヒーを飲む。
・・・はあ。
本当に、ため息しか出ない。
確かに、玲奈さんや響子さんと顔合わせるのも、二人の卒業までの、半年ちょっとだろう。
拓哉の珍妙な理屈を推測するのも面倒なので、僕は、呟く様に、訊いた。
「で、沙織探しとどうつながるんだよ?」
「先ず、前提として、俺たちは、コネ作りの面で、大学に入学してから、成果がない。これはいいな?」
「チェッ。大抵の奴がそうじゃねーの」
「それはそれ」と拓哉。「そんなところに、今回の件だ」
「ようやく、沙織探しが出て来たか」
「ズバリ、言おう。神様にコネを作るチャンスじゃないか?」
僕は、口をあんぐりさせて、拓哉を見た。
神様にコネを作る?
アホか、こいつ。というか、不謹慎じゃねーか。つーか、強力過ぎて駄目だ理論は何処行ったんだ?




