第22章 山田弘子
「そうじゃ、名曲じゃ」
「それで、亭主関白の歌詞以外に、ヒロさんに伝えたことはないんですか?」
「・・・ない」
ないんかい!
僕は、一つため息をついてから、ヒロに言った。
「卓三さんは、生前から、さだまさしの亭主関白を聞いてた?」
「うん。よく聞いてた。婆ちゃんは苦い顔してた」
「じゃあ・・・」
「さっきのは、亭主関白でしょ。直ぐ分かった。でも、それ以外に何かないの?」
僕は、卓三さんをもう一度見た。
「何か、ないんですか?」
卓三さんが首を振る。
僕はちょっと迷ったが、勝手に、次の様に言ってしまった。
「今日のコンサートを見て、弘子が、歌が好きなのはよく分かった。好きで始めたことなんだから、最後まで頑張ってみなさい」
すると、驚いたことに、ヒロの瞳から、大粒の涙が溢れ出て来てしまった。そして、グスングスンと泣き出してしまった。
すると、拓哉は、何故かハンカチを持っていて、ヒロに差し出した。
こいつ、本当、抜け目ない。
僕は、そんな拓哉に無言で問いかける。
俺、変なこと言った?
拓哉が無言で首を振る。
「卓三さん、これはどういうこと?」
いつもは飄々とした感じの卓三さんが、苦い声を絞り出すように言った。
「ワシは弘子の芸能界入りは反対だったんじゃ。今も反対じゃ。それで、死ぬ前は、弘子と喧嘩状態のまま、ポックリ逝ってしまって」
なるほど、それで、学芸会を見に行きたい、と。
「どうして芸能界入りは反対だったんですか?」
「どうしても何も芸能界は危険じゃろ。特に、弘子みたいな若い娘には」
なるほど。それは一理ある。
僕は、ヒロに向き直ると、言った。
「追加で、卓三さんからの伝言です」
ヒロが、鼻をグスングスンとさせながらも、顔を上げる。
「芸能界入りに反対なことは今も変わらない。だから、好きな歌が歌えなくなったら、直ぐに、辞めなさい。また、怪しい大人の、歌を歌わせてやるから、と言った言葉も疑ってかかりなさい」
「うん、卓三爺ちゃん、分かった」
僕は、それから、しばらく、ヒロの気持ちが落ち着くの待ってから、言った。
「ちょっとだけ、質問させて貰っていい?」
「うん」
「九条さんって知ってる?財務省のお役人さんなんだけど」
「知らない」とヒロ。「兄は厚労省だから」
へえー。
「大澤組って知ってる?これは東京のヤクザ」
「知らない。なんだか、物騒な話ね」
「もう一つだけ。長澤、宇津木、三島って名前に心当たりは?大澤組」
「うーん、知らない」
「そう、有難う」
僕は、拓哉と顔を見合わせて立ち上がると、ヒロにメモを渡しながら、言った。
「卓三さんと話したくなったら、電話下さい。もちろん、いつまでもという訳にはいかないだろうけど、まああと半年ぐらいは大丈夫なんじゃないかな。でも、もしかしたら、一か月ぐらいかもしれない」
これは僕にも分からない。
九十九人の願いを叶えるまで、いつまでも続くんだろうか。
待てよ。
卓三さんの願いは叶えたことになるから、もしかして、もう消えてしまうんじゃないか?
と思って、横を見たら、卓三さんもヒロから、貰い泣きしてる。
まあ、いいや。よう分からん。
僕と拓哉は、それじゃ、と言って、その部屋を後にした。
さて、ユートピアのライブを堪能出来たのはいいが、それが沙織さん探しにどうつながるのか、さっぱり、分からなかった。ヒロの兄が厚労省勤務というのは収穫なような気もしたが、財務省とつながっているのだろうか。
次にどうしようかと思ったが、名探偵拓哉の嗅覚を尊重して、沙織さん探しの担当者で、今は、行方をくらましている生川の家を訪ねてみることにした。
探偵の真似事は初めてだが、取り敢えず動いてみる、というのが重要なんだろう、ということが分かって来た。
僕は、携帯を取り出すと、所長の高見に電話した。
「生川さんの住所教えて貰えませんか?」
こっちには、キョウコさんとエツコさんがついてるんだぞ!
「現住所か。ちょっと待て」
と、高見はサラリと言うと、直ぐに、再び、受話器に出て、教えてくれた。
僕は、半ば怪訝な気持ちで、
「やけにあっさり教えてくれましたね?」
「ああ。調べれば、直ぐわかる話だ。ただ、一つ、条件というか、まあ先に教えてしまった以上、お願いか。生川のことで何か分かったら教えてくれ。忙しくて、俺も手が回らん」
なーる。
「分かりました。キョウコさんとエツコさんの名に賭けて」
「・・・お前、何を知っている?」
「名前だけです」
「本当だな?」
「ええ。もちろんですとも」
と、僕は早口で言うと、慌てて、電話を切った。
キョウコさんとエツコさんの名前を出してから、明らかに、高見の反応が怖くなった。
高見さん、キョウコさんとエツコさんに何をしたんです?
そんな訳で、僕と拓哉は、生川のアパートの前にいる。
二人で、アパートをやや見上げたら、拓哉がボソッと呟いた。
「思ったより、ボロいな」
「そうでもないだろ。ただ、由緒ある建物なのは確かだ」
と、僕は、なんとなく、生川のアパートを弁護した。
「探偵って儲からねーのかな?」
「高見事務所は良心的なのさ」
生川の部屋は、二〇一で、角部屋だった。僕と拓哉は、アパートの周りをグルリと回ってから、先ず、郵便受けをチェックした。ここにも、もちろん、鍵などない。中身を覗けたのはいいが、全て、広告のチラシだった。それで、階段で、二階に行った。もちろん、エレベーターなんて洒落たものは無い。
部屋のドアを、ガチャガチャさせたが、もちろん、鍵がかかっている。
僕は、窓の淵であるとか、そういうとこをチェックし出した。
拓哉が言う。
「何してるんだ?」
「鍵探してるんだ」
「俺、鍵開けられるかも」
「どうして?」
「ピッキング勉強した」
「誰から?」
「通販で」
さめざめと泣く美女にサッとハンカチを差し出した騎士道精神からは、信じられない発言だが、鍵が開くのなら、それは確かに助かる。
拓哉は、懐から、針金のようなものを取り出すと、鍵穴に、差し入れ、ピッキングの腕前を披露し出した。
「それも通販で?」
「入会特典」
原価は幾らだ?原価は。
一分程だろうか。
それから、僕は、拓哉の腕前をしげしげと眺めていたが、鍵が開く様子がないので、ぼんやりと、アパートの周囲の風景を観察し出した。
辺りは住宅街で、北面は駐車場だったが、残りは、マンションなどに取り囲まれている。駅からは十分程だった。まあ、そう考えてみると、部屋の間取りによっては、家賃も結構するのかもしれない。
探偵が薄給だというのは、様子見だ。
そして、隣接している駐車場を見ながら、思った。探偵業に、車は必須とは言わないが、あった方が便利だろう。だが、東京の駐車場代は本当、高い。仮に、生川が、駐車場も借りているとすれば、ボロアパートの家賃と合わせて、かなりの額だ。
うーむ。探偵が薄給だというのは、かなり怪しいぞ。
不意に、「おっ」と拓哉の声がした。
僕が、拓哉を振り返ると、拓哉は、爽やかな笑顔で、Vサインをしてみせた。
明らかに、犯罪なのだが、その爽やかな笑顔からは、微塵も罪悪感は感じられない。
騎士道精神は何処行った・・・。
「ピッキングは初めて?」
「もちろん、実物では」
「初、破り、おめでとう」
「おう」
僕と拓哉は、今更ながら、周囲を見回して、誰もいないことを確認して、二〇一のドアを開けた。
間取りは、一Kで、風呂は無しだった。トイレはある。うーむ。
ただ、間取りは六畳だが、プチ廊下みたいなものがあって、キッチンは完全に別だった。また、その六畳の部屋も、どうも、昔の作りだからか、色々と出っ張りや、収納があって、結構、広かった。
そして、その部屋のやや中央に、机があって、資料が散乱していた。机の横には、カラーボックスがあって、書類が入っていた。
拓哉が、部屋全体を見回してから、言った。
「翔太は、机の上の書類を頼む」
「拓哉は?」
「プロは、先ず、部屋全体を見る。トイレ、キッチン・・・」
これは頼もしい!
部屋全体はプロに任して、僕は、机の上にとりかかった。




