第18章 宇津木の罠
「おお、目が覚めたか。そろそろ、起こそうと思ってたんだ」
という、何処か、のどかな声がした。
声の主を見ると、見知らぬ中年男性が立っている。
中年男性は、紺のくたびれた背広を着ているが、目は軽く笑っているものの、顔つきからは油断ならない感じがした。ガラが悪いと言ってもいい。宇津木のお友達だろうか。
「ここは何処、お前は誰、って顔してるな」
と、男は言った。「ここは熱海署。で俺は殺人課の太田だ」
熱海署?殺人課?・・・僕は逮捕された?
「ちょっと話が聞きたい。これは任意だ。別にお前を逮捕したわけじゃない」
そう言われて、じゃあ、帰ります、という訳にもいかないだろう。
僕は、やれやれと立ち上がると、太田刑事に向かって、軽く頷いた。
太田刑事は、ちょっと歩いて、僕を、取調室三に、導き入れた。そして、対面の席に付くと、こう言った。
「先ず、俺が見たことから話そう」
僕は、黙って頷く。
「ホテルに呼ばれて、俺が、五〇一に入ると、突っ伏してる人影が二つあった。一つは、お前で、もう一つは死体だった。未だ、身元は判明してない。そして、お前は、凶器のナイフを右手に握りしめていた。傷口とナイフの正確な鑑定はこれからだが、俺の長年の経験からすると、恐らく、凶器だろう」
僕は、ゴクリと唾を呑んだ。
宇津木の野郎、殴るだけじゃなくて、そんなことまでしてったのか。
太田刑事は、僕をじっと見つめた後、厳かに言った。
「さあ、説明して貰おうか」
「お水貰えますか?」
と、僕は、取り敢えず、言った。
一体、何処から何処まで話せばいいのだろうか。
先ず、天国に行った話は、まずいだろう。
すると、グレートリゾート熱海を訪ねた理由がいる。
これは、例のカップルのフリでいいだろう。でも、僕、彼女いないじゃん。玲奈さんか響子さんか。いや、どうも不釣り合いだ。すると、セクシー野獣じゃない、陽菜か、マイラか。二人とも頼めた義理じゃないが、一生に一度のお願いをしてみよう。効果があるか、分からないが。
よし、ホテルを訪ねた理由はこれでいい。
次は、五〇一を訪ねた理由だ。
・・・ない。理由がちっとも思い浮かばい。
五階はどうだ。五階を訪ねる理由は何かないか。
部屋の下見だ。もちろん、部屋の中には入れないが、廊下の窓から景色を見る、ってのはどうだ。
いやいや、廊下に窓なんてあったか?
待て、非常口はある、に違いない。
四階でもなく、六階でもなく、五階だという理由は思いつかないが、取り敢えずこれで行こう。
「おい、水は飲まないのか?」
と、太田刑事が、半ば呆れたように、言う。
なるほど、目の前の机に、グラスに注がれた水が置いてある。
僕は、グラスの水を一口、二口飲んでから、言った。
「ご説明しましょう」
「よろしく頼む」
「先ず、グレートリゾート熱海を訪ねた理由を説明しましょう」
「ほう」
「下見です」
「何の?」
「乱痴気パーティーです」
「それはいいな」
「でしょう。と言っても、僕は絶倫じゃありませんので、女の子は二人にします」
「なるほど」
「最初は、玲奈さんと響子さんにしようと思いましたが、やっぱり、止めました」
「どうして?」
「あの二人はお高く止まっていて駄目だ。というか、この話には乗ってこないでしょう」
「それはそうだろう」
「それで、マイナと陽菜にしました」
「マイナ?変わった名前だね」
「ええ、メキシコとのハーフですから。ムチムチです」
「ムチムチか、それはたまらんな」
「ええ。でも、実は、陽菜の方が凄いんです」
「陽菜は日本人か?」
「ええ。でも、人間というか、野獣です、セクシー野獣です」
「つまり、ムチムチとセクシー野獣を相手にするわけか?」
「そうです、最高でしょう?」
「まあ、ホテルに来た理由は分かった。では、なんで、五〇一にいた?」
「それがですね、五〇一にいたのではなくて、五階にいたのです」
「ほう」
「非常口をチェックしようと思いまして」
「用心深いな」
「ええ。何せ、乱痴気パーティーですから」
「ガサ入れがあるかもしれないと、踏んだか?」
「まあ、そんなことです」
「でも、何で、五階なんだ?例えば、どうせなら最上階の十二階とかの方がいいんじゃないか」
「それは素人の発想です」
「俺は素人か。これは悪かった」
「先ほど、非常口をチェックしたと言ったでしょう?」
「まあな」
「チェックするということは、使うことを想定するわけです」
「なるほど」
「それで、いざという時、十二階から階段で降りるのですか?」
「それは勘弁して欲しい」
「でしょう。かと言って、二階や三階じゃ、景色が良くない」
「ふむ」
「例えば、五階建てのマンションでも、エレベーターのない物件があるでしょう?」
「それは建築基準法の問題だな」
「建築基準法?ああ、そうなのですか。取り敢えず、まあ階段使うのも、五階ぐらいならよし、とするか、みたいな感じです」
「なんだか、ちょっと、納得してきたぞ」
「有難うございます」
「まあ、五階にいた理由は分かった。でもなんで、五〇一で、ナイフを握りしめて倒れていたんだ?」
「先ずですね、五〇一を訪ねた理由ですが、僕が訪ねたんじゃりません。声がしたんです」
「声?」
「ええ、助けてくれ、という」
「それが、あの死んでいた男か?」
「ええ。非常口に行こうとしたら、切羽詰まった声がした。声の方向を見たら、五〇一から、ヨロヨロと男が出ようとしてたとこでした」
「ふむ」
「僕が、あれっと駆け寄ると、男は、外に出ることが出来ずに、内側にまた引き戻されて行きました。それで、僕も釣られる様に、部屋に入りました」
「誰かいたのか?」
「流石、刑事さん。ご名答です」
「お世辞はいい」
「そして、僕は、その男に殴られて、伸びてしまったという訳です」
「確かに、腹と顔に殴られた跡がある」
「でしょう?僕は、人殺しなんてしてません。未だ、乱痴気パーティーもやったことが無いのに、人なんて殺しますか?」
「なんだ、乱痴気パーティーはやったことがないのか?」
「ええ、残念ながら。だから、念のため、下見をしたわけです」
「下見ねえ。俺はそんな下見はしたことないね」
「どうでしょう?信じてくれました?」
「全然」
「そうでしょう」
「そもそも、お前は、その話を俺が信じると思ったのか?」
「全然」
「そうだろうな」
「・・・」
「・・・」
そうして、僕と太田刑事は、しばらく黙りこくった。
予算がないのか、取調室の時計は、昔ながらの壁かけ時計だった。その秒針の音が、やけに響く。
うーむ、と唸りながら、首をコキッコキッと、太田刑事は動かしてから、言った。
「お前の作り話が面白いんで、順序が逆になったが、基本的なことを聞いていいか?」
「どうぞ」
「名前と年齢は?」
「相賀翔太。二十才」
僕に、警察の取調室で、偽名を使う度胸はない。
「職業は?」
「大学生です」
「何処だ?」
「Y大です」
「結構、優秀じゃないか」
「どうも」
「今日は、授業はないのか?」
「自主休講です」
「サボりか?」
「その方が、一般的な言い方かもしれません」
「サークルは?」
「NKKです」
「なんだ、それは、IT関連か?」
「いや、日本経済を考える会、です」
「また、冗談路線に戻ったか?」
「とんでもない、事実です。日本経済を考える会、です。部室もあります」
「それは、ひどく真面目そうなサークルに見えるが、実際そうなのか?」
「ええ。皆、糞真面目で、嫌になります」
「お前なら、そうだろうな」
「他人に言われると、ちょっとムカつきます」
「いや、お前も、世間一般の基準からしたら、真面目だよ。なんせ、日本経済を考えるんだから」
「それはそうでしょう」
「とてもじゃないが、人を殺すようなタイプには見えん」
僕は、この時、初めて、NKKに入って、良かった、と心の底から思った。
「だからだ、お前が、乱痴気パーティーの下見なんてするとも思えん」
「・・・」
なるほど。
太田刑事は、大きく一つため息をついてから、言った。
「警察は初めてだろう?」
「ええ、もちろん」
「警察だって、馬鹿じゃない」
「・・・」




