第12章 高見探偵事務所
僕はなんとなく、僕もワゴンカーから降りて、九条さんを見送った。夜風がちょっと冷たくて、僕を身震いさせたが、その冷たさは、これから僕が巻き込まれる事件の、ほんの入口の冷たさに過ぎなかった。
授業が終わり、さて、NKKの部室に顔をだそうと思い、その前に、とトイレに行き、用を足し始めたら、ヌッと、長澤さんが、顔を出した、現れた。
「おい」
僕はビクッとして、抗議の声を出した。
「ちょっと、イキナリ、顔を出さないで下さい」
「俺には、イキナリしかないだろうが」
「そうじゃなくて。トイレで、って意味です」
「なんでだ?」
「なんでも何も、トイレでは、用を足すことによって、足しながら、リラックスしてるんです」
「変わった奴だな」
「別に、変わってないですよ。三上、という言葉があって、昔から、ものを考えるには、馬、枕、厠ってのがあるんです」
長澤さんは、しげしげと、僕の顔を見つめて、言った。
「結構、学があるな」
「学があるも何も、大学生ですから」
「ふむ」と長澤さんは呟いてから、「実は頼みがある」
僕は、嫌な予感がしながらも、まあ、聞くしかない。
「何ですか?」
「金を十万程、用意して欲しい」
「天国にキャバクラってありましたっけ?」
「ない」
「天国にもクラブがあるんですか?その年で、若いですね」
「ない」
「天国にも・・・」
「うるさい!」
僕は、大きく、ため息を一つ、これみよがしに呟いてから、言った。
「そりゃ、十万ぐらいありますよ。でも、大金ですよ、大金」
「それは分かってる」
「そうですか。なら、いいんです。で、何に使うんです?」
「無論、沙織を探す為だ」
「無論、それはそうでしょう」
ここで、僕と長澤さんは睨みあった。
無論、折れるのは、長澤さんの方だ。今の長澤さんは、僕に頼るしかない。
こういうのはハッキリさせといた方がいいよね。
今度は、長澤さんがため息をついてから、言った。
「自分の立場は分かってる。もちろん、お前にも感謝してる」
「なら、いいんです」
流石に、長澤さんもムカついたようで、コホンと咳払いしてから、感情を整理したような感じで、言った。
「宇津木のことは覚えてるか?」
「そりゃ、覚えてますよ。それで、昨日、ああやって、九条さんにまで辿り着いてるんじゃないですか」
「それはそうだが、それ以外にだ」
「それ以外?」
「宇津木の話で気になったことはないか?」
「気になったこと?」と僕。「ちっともないです」
「あくまで、推測だが、恐らく、十万を使う、というか、十万が役立つことになると思う」
あれ、なんかあったけ?
宇津木さんが、沙織さんの捜索を、調査会社に依頼した。そして、その報告書が、今は手元にある。
それ以上でもそれ以下でもない気が。
・・・うーむ。分からない。
それで、僕と長澤さんは、急遽、作戦会議を開いた。何せ、十万だ。事前に、説明を聞く権利ぐらい僕にもあるだろう。
「ここですね」
と、僕は、五階立てのビルを見上げて、言った。
周囲には、大人向けの、いわゆるHなお店があって、心がそわそわする。ただ、未だ、お店が開くには、時間が早く、どちらかと言えば、スエタ匂いの方が気になる。
目当てのビルは、年代物のビルで、一階の郵便受けの向かいにあるプレートの、四階部分には、なるほど、高見探偵事務所とある。
僕は、長澤さんに言った。
「もっと、いいトコに頼んだ方が良かったんじゃないですか」
「ここは昔からの付き合いなんだ」
「高見さんとはお知り合いで?」
「まあな」
僕は、先ほど銀行に行って、下ろした十万円を入れた封筒をしまってる肩掛けカバンを、そっと上から撫でる。
日本経済からすれば、文字通り、ゴミみたいな金額だ。だが、もちろん、僕にとっては、大金だ。これ、経費で、天国から出るんだろうか?ミカに聞いてみよう、とも思うが、ミカに聞いたところで、
「命に比べれば安いものでしょ」
と言われそうだ。
実際、それはその通りなのだが。
僕は、エレベーターで、四階に上がり、高見探偵事務所のドアを、こんにちは、と言いながら、開けて、すっと入った。
広さはどのくらいだろうか。
十畳ぐらいだろうか。
奥にデスクがあって、手前には、ソファー三つの応接セットがあるだけだ。
その奥のデスクに座っていた男性が、立ち上がり、入り口の僕に、寄って来た。
「ご依頼で?」
「まあ、そんなものです」
この人が高見さんだろうか。
くたびれたスーツというか、茶色の背広を着ていて、いっちゃあ悪いが、風采が上がらない感じだ。ただ、丸顔の中で、動く瞳は、油断のならない感じで、お金を稼いでいる大人の目だ。
高見さんは、僕を、ソファに座らせると、自分も、真向かいに座って、言った。
「どんな御用件で」
僕は、先ほどの作戦会議通りに、話し出した。
「僕は、長澤さんの遠縁のものです」
高見さんは、ほう、と呟いてから、言った。
「長澤組長の」
あーあ、組長、来ました。予想はしてたけどね。
「ええ」と僕は、ゴクリと唾を飲み込んでから、続けた。「沙織さんの捜索依頼をしてたじゃないですか」
「ああ」
「担当の生川さんとお話したいんですか」
高見さんは、天井を見上げてから、言った。
「生川とは連絡が取れてない」
「いつから?」
「もう一週間になるか」
実は、このへんは、長澤さんが予測していた。
それで、僕は、愈々、本題と言えば、本題に入った。
「生川さんって、高見さんへの報告はどうされてました?」
「二、三日に一回、メールでさせてた」
このへんは、現代的だね。
僕は、鞄から、その生川さんが作成した、沙織さんに関する報告書を取り出した。宇津木さんから貰ったものだ。そして、それを、机の上で、拡げながら、作成日の日付を指で差した。
「生川さんと連絡が取れなくなったのは、何時からですか?」
「その日付の一週間後だな」
「そうですか。メールは来てました?」
報告書の日付以降、という意味だ。
「来てたよ。でも、宇津木から貰った料金は、その報告書の日付までだ」
「すみません」
と、僕は、頭を下げた。
そして、僕は、続けた。
「そのメール見せて貰えませんか?」
高見さんは、僕をしげしげと眺めてから、言った。
「兄さん、若いのに頭が回るな。流石、組長の親戚だっていうだけある」
もちろん、全て、長澤さんの考えだ。
脈あり、と見た僕は、鞄から、十万円の封筒を取り出すと、机の上で、スッと滑らせた。
「只、とは言いません。少ないですが」
高見さんは、封筒を手に取ると、中を確認した。ちょっと、がっかりしたような表情が浮かんだのは気のせいか。しかし、何も言わずに、その封筒を、背広の内ポケットにしまった。
「その報告書は俺も呼んだ。そこに書いてないことは、一つだけだ」
「何ですか?」
「沙織は、若頭の三島と逃げたんだ。まあ、駆け落ちみたいなもんだ。当然、宇津木は知っているし、二人を探させているだろう」
さて、目的は達したし、ボロが出ないように帰ろうと、内心、考えていたら、高見さんが声をかけてきた。
「ところで、兄さん?」
「はい?」
「兄さんが組長の遠縁だって証拠はあるのかい?」
ありません。
「もちろん、ありますとも。でも、その前にちょっと、トイレをお借りします」
と言うと、僕は、立ち上がって、高見さんの視線の先のトイレに、歩み寄って、入った。
トイレに入ると、僕は、水を流しながら、言った。
「ちょっと、どうします?」
長澤さんは、ヌッと姿を現すと、しばらく考えてから、言った。
長澤さんの言葉を聞いた、僕は、また、それですか、と呟いてから、トイレを後にした。
僕は、高見さんの前のソファに戻って、座らずに、そのまま、鞄を手に取りながら、言った。
「長澤さんからの伝言です」
「伝言?」
「キョウコ、エツコ」
高見さんは、その名前を聞くと、僕が申し訳なくなるほど、オロオロしてから、立ち上がるなり、狭い事務所だが、僕を先導するような形で、入り口に向かい、ドアを開け、言った。
「さあ、帰った、帰った」
高見さん、キョウコさんに何をしたんです?




