第33話 すっと伸びた手
マンガショップを出ると、有本はすぐに次の目的地を探し始めた。
「次、こっち!」
「ちょっと待って」
中村がスマホを取り出す。
「次はスイーツの予定」
「うん」
「だったら、なんでそっちに行くの?」
「スイーツのお店、こっちだから」
「……本当?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
千代田が笑う。
「まあ、行ってみようよ」
「千代田も?」
「だって面白そうだし」
「二人とも自由だなぁ」
三人で歩き始める。
有本は先頭を歩いている。
中村がその少し後ろをついていく。
千代田は二人の後ろを歩いていた。
休日のショッピングモールは、さっきより人が増えていた。
家族連れや友達同士の客が、あちこちから流れてくる。
有本は人の多さなど気にする様子もなく、目的の店を探している。
「有本、ちょっとゆっくり」
「え?」
「人、多いから」
「大丈夫だよ」
有本は振り返って笑う。
「ちゃんといるよ」
「そういう問題じゃなくて」
「じゃあ、中村がちゃんとついてきて」
「僕が?」
「うん」
「分かったよ」
有本は満足そうに笑って、また前を向いた。
その後ろを中村が追う。
千代田も二人についていく。
その時だった。
「あ……」
千代田が小さく声を漏らした。
前から来た人を避けようとした拍子に、少し横へ押し出される。
さらに反対側から人が流れてくる。
気づけば、中村との距離が開いていた。
「……」
千代田は足を止めかける。
前には有本がいる。
その少し先を、中村が歩いている。
声をかければいい。
そう思うのに、人の流れの中では思うように近づけない。
その時、中村が振り返った。
「千代田?」
「……うん」
「どうしたの?」
「ちょっと、人に押されて」
「そっか」
中村は周囲を見る。
人の流れが途切れるのを待つこともなく、千代田の方へ戻ってきた。
「こっち」
中村が足を止める。
そして、何の迷いもなく、すっと手を出した。
「え?」
千代田の視線が、その手に止まる。
差し出された手。
その意味を理解するまで、ほんの少しだけ時間がかかった。
「人、多いから」
中村は、それだけ言った。
「……」
千代田は手を見つめる。
取っていいのだろうか……。
そんなことを考えているうちに、中村が軽く千代田の手を取った。
そして、そのまま少しだけ引く。
「ほら」
「……うん」
千代田の身体が一歩前へ動く。
そのまま中村の隣へ戻った。
手が触れている。
中村の手が、自分の手を包んでいる。
ただ、それだけだった。
でも、千代田の胸は大きく鳴っていた。
「……」
何か言わなければ。
そう思うのに、言葉が出てこない。
人の声が聞こえる。
店内から流れてくる音楽も聞こえる。
なのに、その全部が遠く感じる。
今、意識できるのは自分の手だけだった。
中村の手。
温かい。
思っていたより、ずっと普通のことなのに。
どうしてこんなに意識してしまうんだろう。
千代田は自分の指先に力を入れかけた。
このままでもいい。
そう思ってしまう。
むしろ、もう少しだけ、このままでいたい。
そんな気持ちが浮かんだところで。
「……あ」
中村が自分の手を見る。
そこでようやく気づいたようだった。
「ご、ごめん!」
中村がぱっと手を離す。
「なんか、普通に手つないじゃった」
「……」
千代田は何も言えなかった。
離れた手を見る。
そこには、さっきまで触れていた感触が残っている。
「人が多かったから、つい」
中村が慌てて説明する。
「嫌だった?」
「……ううん」
千代田は首を横に振る。
「別に」
少しだけ笑う。
「助かったし」
「そっか」
中村が安心したように笑う。
「よかった」
千代田はその笑顔を見る。
中村にとっては、本当にそれだけなのだろう。
人が多かった。
自分が遅れた。
だから手を取った。
それだけ。
分かっている。
分かっているのに、胸の奥はまだ落ち着かなかった。
「有本、先行っちゃった」
中村が前を見る。
「うん」
「急ごう」
「……うん」
二人で歩き出す。
千代田は自分の手を見ないようにした。
でも、意識してしまう。
さっきまで中村の手に触れていた。
その感触が、まだ残っているような気がする。
千代田は反対の手で、そっと自分の手を包んだ。
顔が熱い。
「千代田?」
「なに?」
「顔、赤くない?」
「……暑いから」
「暑い?」
「うん」
「そう?」
「うん」
中村は少し考えたあと、納得したように頷いた。
「じゃあ、無理しないでね」
「……うん」
まただ。
そういうところ。
何気なく優しくする。
こっちは勝手に意識しているのに。
中村は、何も知らない。
千代田は前を見る。
少し先で、有本がこちらを振り返っていた。
「二人とも遅いよー!」
「今行く!」
中村が返事をする。
有本は手を振っている。
「急ごう」
中村が歩く速度を上げる。
千代田もその後を追う。
けれど、さっきより少しだけ中村との距離を意識してしまう。
もう一度、手を伸ばしたら。
そんな考えが浮かぶ。
でも、今度は自分から伸ばす勇気はなかった。
千代田は歩きながら、もう一度だけ自分の手を見る。
ほんの少し前まで、中村の手がここにあった。
中村にとっては、ただ人混みの中で手を引いただけ。
何気ない行動だった。
でも、千代田にとっては、そう簡単に片づけられることではなかった。
そして……。
この気持ちを中村に知られるのは、今はまだ少し恥ずかしかった。




