第32話 千代田と二人
ショッピングモールの中を進む三人。
休日の昼前ということもあり、通路には人が増えていた。
家族連れや友達同士のグループが行き交う中、
有本は相変わらず自分のペースで歩いている。
ゲームショップを出たと思ったら、今度は大きな本屋の前で足を止めた。
「あ」
有本が立ち止まる。
「……また?」
中村が嫌な予感を込めて声をかける。
「マンガ」
「予定では次、スイーツだけど」
「だって新刊出てる」
有本は店頭の看板を指差す。
「予定は変更されたんじゃなかった?」
「変更されたけど……」
「じゃあいいじゃん」
「そういう問題かな」
千代田が後ろから笑う。
「中村、もう諦めた方がいいよ」
「そうなのかな……」
「うん」
「千代田までそっち側なの?」
「だって、有本もう入ってるよ」
見ると、有本はすでに本屋の入口を抜けていた。
「ほら、行こう!」
少し離れたところから、有本が手を振っている。
「はいはい」
中村が追いかける。
千代田も二人の後を追おうとした。
その時だった。
店の入口近くに置かれた新刊コーナーに、見覚えのある表紙があった。
「あ……」
千代田の足が止まる。
目の前にある一冊から、視線を離せない。
「どうしたの?」
少し先まで行っていた中村が振り返る。
「このマンガ……」
千代田が一冊を手に取る。
「新刊出てたんだ」
「好きなの?」
「うん」
千代田の声が、少しだけ明るくなる。
「前に話してたやつ?」
「そう」
「覚えてたんだ」
「そりゃ覚えてるよ」
中村は何気なく答える。
千代田は表紙を眺めながら、少し嬉しくなる。
「ちょっと見てきてもいい?」
「もちろん」
「有本は?」
「もう奥に行った」
中村が店内を見る。
「たぶん、また何か見つけてる」
「やっぱり」
千代田が笑う。
「じゃあ、追いつくまで少し見ようかな」
「うん」
「中村は?」
「僕もいるよ」
「え?」
「付き合う」
千代田が少し驚く。
「いいの?」
「うん」
中村は何でもないことのように答える。
「今日は千代田の見たいものも見るって決めたし」
「……そうだったね」
千代田は小さく笑った。
その言葉が、思っていたより嬉しかった。
二人で本棚の前に並ぶ。
有本と一緒にいる時とは、少し違う空気だった。
有本と一緒にいると、次に何が起きるのか分からない。
気になるものを見つければ、すぐに立ち止まる。
そのまま中村を連れていく。
それはそれで楽しい。
でも、千代田といる時は、もっと静かだった。
無理に話題を探さなくてもいい。
本を眺めながら黙っていても、それほど気まずくならない。
中村は、その空気が心地いいと思った。
「これ」
千代田が一冊の本を抜き取る。
「前に話してたやつ?」
「そう」
「覚えてたんだ」
「そりゃ覚えてるよ」
「中村って、意外と覚えてるよね」
「意外とって何?」
「もっと適当な人かと思ってた」
「ひどいな」
千代田が笑う。
「だって、普段は結構適当じゃない?」
「そんなことないよ」
「そう?」
「ちゃんと覚えてるよ」
「じゃあ、私が前に何て言ったか覚えてる?」
「え?」
中村が考える。
「このマンガの主人公が好きって話?」
「違う」
「じゃあ……」
「ほら」
千代田が笑う。
「やっぱり適当」
「いや、今のは問題が難しい」
「言い訳」
「じゃあ、もう一回」
「いいよ」
千代田は楽しそうに笑う。
「じゃあ、このマンガのどこが好きだって言った?」
「……主人公が、最初は不器用だけど少しずつ変わっていくところ」
「……正解」
千代田の表情が少し柔らかくなる。
「覚えてたんだ」
「だから覚えてるって」
「うん」
千代田は嬉しそうに本を見る。
「ありがとう」
「何が?」
「覚えててくれたこと」
「それくらい普通だよ」
「そうかな」
「うん」
二人で本棚を眺める。
しばらく会話が途切れる。
でも、嫌な沈黙ではなかった。
むしろ千代田は、その静かな時間を心地よく感じていた。
「……こういうのも、いいな」
中村がぽつりと言う。
「何が?」
千代田が顔を上げる。
「こうやってマンガ見てるの」
「うん」
千代田も本を眺めながら答える。
「私も好き」
「マンガ?」
「それもだけど」
千代田が少しだけ中村を見る。
「こういう時間」
「……」
中村は、その言葉の意味を考える。
千代田はすぐに本へ視線を戻した。
「ほら、これ」
「ん?」
「この巻、結構面白いよ」
「そんなに?」
「うん。前の巻より好きかも」
「じゃあ、あとで見せてもらおうかな」
「貸すよ」
「いいの?」
「うん」
千代田が笑う。
「中村ならちゃんと返してくれそうだし」
「信用されてる」
「一応ね」
「一応なんだ」
「だって中村、積みゲーしてるって言ってたじゃん」
「あれは……ちゃんとやってるよ」
「本当?」
「本当」
「じゃあ、今度確認しようかな」
「何を?」
「ちゃんと進んでるか」
「そこまで管理されるの?」
「貸したマンガを返してもらうため」
「何その微妙な信用」
二人で笑う。
その笑顔を見ながら、千代田は思う。
もっと、こうしていたい。
有本がいる時とは違う。
中村と二人で話していると、自分の言葉を急がなくていい。
笑ったあとに黙っていてもいい。
そんな時間が、思っていた以上に好きだった。
その時。
店の奥から声が聞こえてきた。
「中村ー!」
有本の声だった。
「……呼んでる」
「うん」
千代田が本を閉じる。
もう少しだけ。
あと少しだけ、この時間が続けばいい。
そんな気持ちが胸に浮かぶ。
けれど、千代田はそれを口にはしなかった。
「行こう」
「そうだね」
本を棚へ戻す。
二人で歩き出す。
千代田は中村の隣を歩く。
ほんの少しだけ、その歩幅を合わせる。
その距離が、妙に嬉しかった。
ところが、少し先まで進んだところで、有本がこちらへ戻ってきた。
「遅いよー」
「ごめん。千代田がマンガ見てたから」
「そっか」
有本は千代田を見る。
「面白かった?」
「うん」
「新刊?」
「そう」
「へー」
有本は頷く。
それから中村を見る。
「じゃあ次、こっち!」
有本が中村の袖を軽く引く。
「ちょ、待って」
「早く」
「分かったから」
そのまま中村を連れていく。
「本当に自由だな……」
中村は苦笑しながら、有本についていく。
千代田は二人の後ろを歩く。
さっきまで隣にいた中村が、今は少し先にいる。
「……」
千代田の胸に、ほんの少しだけ寂しさが広がる。
さっきまでの時間が、急に遠くなったように感じる。
でも、さっきの時間は確かにあった。
二人でマンガを見た。
くだらない話をした。
自然に笑えた。
中村は、自分が見たいものに付き合ってくれた。
そのことを思い出すと、寂しさの中にも温かいものが残っている。
「千代田、早く!」
中村が振り返る。
「うん、今行く」
千代田は歩き出す。
少しだけ歩幅を速める。
三人の距離が、また元に戻っていく。
まだ、これでいい。
今は、それでいい。
そう思いながらも。
千代田は自分でも気づかないうちに、胸の奥で呟いていた。
「もう少しだけ、中村と二人でいたかった」




