第30話 「朝のショッピングモール」
駅を出ると、朝の空気が少しだけ暖かくなっていた。
日曜日の街は、平日とは違う。
通勤する人も少なく、店のシャッターもまだ閉まっている。
その先に、目的地のショッピングモールが見えていた。
「……着いた」
中村が立ち止まる。
「着いたね」
有本も建物を見上げる。
「でも」
千代田が時計を見る。
「まだ開店前」
「うん」
中村は頷く。
「予定通り」
「本当に開店前に来たんだ……」
有本が少し呆れた顔をする。
「昨日の冗談じゃなかったんだね」
「冗談じゃないよ」
「そこまで本気だとは思わなかった」
中村は少し得意そうに胸を張る。
「主催者だから」
「はいはい」
有本が笑う。
入口の前には、すでに何人か並んでいる。
休日の朝。
開店前から来る人たちは、それぞれ目的があるらしい。
「結構いるね」
千代田が列を見る。
「限定グッズかな」
「たぶん」
有本が列の先を見る。
「今日、ゲームショップで限定イベントあるって言ってたし」
「それか」
中村が頷く。
「じゃあ僕たちも並ぼう」
「何買うの?」
「まだ決めてない」
「え?」
有本が振り向く。
「決めてないの?」
「うん」
「じゃあ、何のために並ぶの?」
「……遠足だから?」
「意味が分からない」
有本が笑う。
千代田も笑っている。
「でも、こういうのも面白いかもね」
「千代田、また肯定する」
「だって予定外のことをやってみるって決めたから」
「そうだった」
中村は頷いた。
「じゃあ、並んでみよう」
三人は列の最後尾についた。
しばらくすると、入口の近くに案内板が立てられた。
『開店まで、あと二十分』
「二十分か」
中村が時計を見る。
「何する?」
「何もしない」
有本が即答した。
「え?」
「こういう時間も遠足でしょ」
有本はスマートフォンを取り出す。
「私はゲームする」
「じゃあ僕も」
「中村はダメ」
「なんで?」
「主催者がゲームしてたら、なんか変」
「じゃあ何するの?」
「周りを見る」
「それも暇だよ」
千代田が笑う。
「二人とも、朝から元気だね」
「千代田は?」
「マンガ読む」
「持ってきたの?」
「もちろん」
千代田はバッグから一冊取り出す。
「遠足にマンガ?」
「遠足だからマンガ」
「その理屈は分からない」
「中村にはまだ早い」
「何の話?」
有本が笑う。
「私も読ませて」
「いいよ」
千代田が本を渡す。
有本は表紙を見る。
「あ、このマンガ」
「知ってる?」
「名前だけ」
ページをめくる。
「へぇ……」
中村が横から覗く。
「何の話?」
「恋愛」
「……」
中村が少しだけ固まる。
有本がそれに気づく。
「何、その顔」
「いや、別に」
「また変なこと考えてる?」
「考えてない」
千代田が笑う。
「中村、分かりやすいね」
「最近そればっかり言われる」
有本がマンガを閉じる。
「でも」
「ん?」
「こういうの読むと、千代田がマンガからいろいろ学んでるっていうの、ちょっと分かるかも」
「でしょ?」
千代田が少し嬉しそうにする。
「マンガは人生だから」
「それ、前も聞いた」
「大事なことだから何度でも言う」
「そっか」
中村は笑う。
その二人のやり取りを見ていた有本が、少しだけ首を傾げた。
「……ねえ」
「ん?」
中村が振り向く。
「二人って、いつからそんな感じなの?」
「そんな感じ?」
「なんか、すごい息合ってるじゃん」
「そうかな?」
「そうだよ」
有本は笑っている。
でも、その笑顔には少しだけ考えている色があった。
「私が知らない話、結構あるんだね」
中村が答えようとする。
しかし千代田が先に口を開いた。
「まあ、相談とかしてたからね」
「……相談してるんだー」
有本が少しだけ反応する。
声は軽い。
でも、さっきより明らかに意識している。
「中村、私にはあんまり相談しないのに」
「いや、それは……」
中村が困った顔になる。
「有本に相談したら、本人に相談することになるじゃん」
「……あ」
有本が目を丸くする。
「そういうこと?」
「うん」
「そっか」
有本は少し考えてから笑った。
「じゃあ、今度から私にも相談してよ」
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、そうする」
「約束ね」
「うん」
千代田は二人を見ていた。
有本が中村に向ける笑顔。
その中にある小さな変化。
以前より、ほんの少しだけ近い。
でも。
まだ有本自身は、その理由を分かっていない。
「……何?」
有本が千代田を見る。
「ううん」
千代田は笑う。
「何でもない」
「怪しい」
「本当に何でもないよ」
「ならいいけど」
有本はまたマンガを開いた。
やがて、店内から音楽が流れ始めた。
「開店準備だね」
中村が言う。
シャッターがゆっくり上がっていく。
列が少しずつ動く。
「おお」
有本の顔が明るくなる。
「開いた!」
「そんなに嬉しい?」
「だって、やっと入れるじゃん」
有本が先に歩き出す。
「ほら、早く!」
「待って」
中村が追いかける。
「主催者より先に行かないで」
「主催者だから何?」
「……何もない」
「でしょ?」
千代田も二人の後を追う。
入口を抜ける。
明るい店内。
休日の朝とは思えないほど、すでに活気がある。
「どこから行く?」
中村が聞く。
有本が辺りを見る。
「ゲームショップ!」
「やっぱりそこ?」
「もちろん」
千代田が笑う。
「有本らしいね」
「千代田も来るでしょ?」
「行くよ」
「中村は?」
「もちろん」
三人で歩き出す。
エスカレーターに乗る。
上へ向かう。
中村は二人の後ろ姿を見る。
有本。
千代田。
どちらも、今日ここにいる。
自分が誘った。
自分が企画した。
でも、今はもう、自分だけの遠足ではない。
有本が行きたいところへ行く。
千代田が見たいものを見る。
自分も行きたいところへ行く。
その全部を合わせて、一日になる。
「……なんか」
中村が呟く。
「ん?」
有本が振り返る。
「いや」
中村は笑った。
「今日、いい日になりそうだなって」
有本が少しだけ笑う。
「うん」
千代田も頷いた。
「そうだね」
三人はそのまま歩いていく。
まだ朝。
遠足は始まったばかり。
そして……。
この一日が、三人の関係を少しずつ変えていくことを、誰もまだ知らなかった。




