「勇気の結果」
結局、二学期になった。
何かが大きく変わったわけでもない。
有本との関係が進展したとも言えない。
ただ、時間だけが妙にきれいに過ぎていった。
壊れたものはない。
けれど、前に進んだ実感もない。
その「何も起きなかった感じ」が、いちばん胸に残った。
――でも。
千代田から、いろいろ話を聞いた。
あれは忠告であり、後押しであり、たぶん励ましだった。
少しだけ、勇気をもらった気がする。
勇気っていうのは、
怖さが消えることじゃなくて、
怖いままでも一歩踏み出せることなんだろう。
そう思いながら、家に帰り、夕飯を食べ終え、
風呂の順番待ちで自分の部屋に戻った。
スマホを手に取る。
――今なら、行けるか?
既読がつくかどうか。
それだけで心拍数が変わる自分が、情けなくて笑えた。
それでも、指は止まらなかった。
またあのショッピングモール行かない?
今度の週末とか……。
特に用事はないだろうけど。
送信。
もう取り消せない。
あとは、返事を待つだけだ。
少しして、画面が光った。
「……なにそれ、ちょっと回りくどい言い方」
思わず息を詰める。
「『特に用事はないだろうけど』って前置きするの、中村っぽいけどさ。
まぁ、嫌いじゃないけど」
その一文で、肩の力が抜けた。
「今度の週末ね。
土曜は用事あるけど、日曜の午後なら空いてるかな。
前みたいにプレゼント目的とかじゃなくてもいいなら」
――ダメじゃない。
それだけで、今日は少し報われた気がした。
勢いで、余計な一言を打ってしまう。
じゃぁ、デートって事でいいのかな?なんて。
「……もう、そういう言い方するんだから」
少し間が空いて、続く。
「うーん。
デートってことでいいよ。
誰に言い訳するでもないし。
ママにもそんな事言われたし」
デート。
その単語が、画面越しに妙な現実味を帯びる。
「ただし条件。
今度はちゃんとスイーツも食べようね」
思わず苦笑いする。
またドタキャンされたらなー、なんて言うかねー。
わかるよねー?
「なっ……今それ言う?」
慌てたような返事。
「ほんとに用事できたんだって。
逃げたとか、そういうのじゃないからね」
そして、少しだけ真面目な文。
「ちゃんと説明しないで帰ったのは、ちょっと悪かったかなって思ってる。
だから今回は、ちゃんと行く。約束」
――疑わない番。
そう言われて、胸の奥が少し締まった。
デートって事は……いや、なんでもない……。
「……なに?
そこで止めるの、ずるくない?」
言いたい。
でも今言ったら、この関係が変わってしまいそうで怖かった。
なんでもないよ、気にしないで。
「それは通らないでしょ」
「まぁ、言いたいことはだいたい想像つくけどさ」
――想像、ついてるんだ。
それが、少しだけ救いだった。
「重く考えなくていいよ。
今は一緒に出かけるってだけでいいじゃん」
「続きは、日曜にでも聞いてあげる。
その方が、ちょっと楽しいでしょ?」
その言葉に、喉が詰まる。
勢いで通話を提案しかけて、結局やめた。
今じゃない。
逃げたけど、自分で選んだ逃げだ。
日曜日に、ちゃんと顔を見て。
――もう逃げない。
そう決めた。
⸻
そして、約束の日は、あっという間に来た。
服を選び、鏡の前で何度も立ち位置を変える。
笑顔の練習なんて、普段なら絶対にしない。
玄関を出た瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
楽しみと不安が、同じ重さで押し寄せる。
モール前。
人が多い。
いつもの場所なのに、今日は少し違って見えた。
「あ」
「あ、中村。早いね」
――いた。
それだけで、全部報われた気がした。
並んで歩く。
肩と肩の距離が、思ったより近い。
ゲームの話をして、ショップを覗いて、
いつも通りのやり取りなのに、どこか特別だった。
そして、約束のスイーツ。
甘い匂いの中で、
千代田の言葉がふっと頭をよぎる。
――今だ。
食べ終わって、何気ない話の流れで、
気づけば口が動いていた。
「……僕のことは、どうなのかな」
心臓の音が、やけにうるさい。
少しの沈黙。
「嫌いだったら、今日ここに来てないよ」
それだけで、胸が軽くなる。
「一緒にいて楽しいし、安心するし……
だから、好きだよ」
ちゃんと言ってくれた。
でも。
「その『好き』が、今すぐ恋かって言われると……
まだ自信がない」
否定じゃない。
考えてくれている。
「今はね、
もう少し一緒に時間を重ねたいっていう『好き』」
それで、だめ?
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「……それで、いい」
そう答えた自分の声は、思ったより落ち着いていた。
拒まれなかった。
決定打でもない。
でも、これはきっと――
ちゃんと前に進んでいる。
そう信じたかった。
……帰ったら、千代田に聞いてみようか。




