第28話 前日の夜
土曜日の夜。
中村は、自分の部屋で机に向かっていた。
机の上にはスマートフォン。
その横には、明日の予定を書いたメモ。
集合――七時半。
行き先――ショッピングモール。
目的――三人で遊ぶ。
帰宅――未定。
「……未定か」
中村は、その文字を眺める。
予定表としては、かなり雑だ。
いつもなら、もっと細かく決めている。
何時に着いて。
最初にどこへ行って。
昼は何を食べて。
混雑したらどうするか。
疲れた時の休憩場所。
帰る時間。
場合によっては、雨が降った時の代替案まで考える。
でも今回は。
「……決めないって決めたんだよな」
自分で呟いて、少し笑う。
主催者権限、半分放棄。
そう宣言した。
「僕、成長したんじゃない?」
自分で言ってみる。
誰も返事をしない。
「……寂しいな」
スマートフォンを手に取る。
グループメッセージはない。
というか、そもそも三人のグループなんて作っていない。
個別に連絡を取るだけだ。
中村は有本とのトーク画面を開いた。
最後のメッセージ。
『じゃ、明日ねー』
その下に、何か送ろうとして、指が止まる。
「……何送るんだよ」
明日の確認なら、もう必要ない。
七時半。
駅前。
それは決まっている。
「楽しみだね、とか?」
入力する。
『明日、楽しみだね』
ちょっと眺める。
「ああ……重い」
消す。
『寝坊するなよ』
「……なんで上から目線なんだよ」
消す。
『朝ご飯奢りたくなかったら早起きしてね』
「……これは有本が怒る」
消す。
そして結局、何も送らない。
スマートフォンを伏せる。
「……明日、直接言えばいいか」
その言葉に、自分で納得する。
明日は、直接話せる。
それだけで十分だった。
***
同じ頃。
有本はベッドの上に寝転がりながら、スマートフォンを眺めていた。
ゲームを起動しようとして……やめる。
動画を見ようとして……やめる。
「……明日かぁ」
声に出してから、自分でも少し驚いた。
「なんで私、こんなに気にしてるんだろ」
明日は中村と千代田と出かける。
ただ、それだけ。
別に特別なことではない。
友達と遊びに行く。
それだけの話。
なのに、明日のことを考えると、少しだけ落ち着かない。
「朝七時半……」
時計を見る。
「早すぎるって」
ベッドの上で寝返りを打つ。
「しかも開店前に並ぶとか」
思わず笑ってしまう。
「中村、ほんと真面目だよね」
でも、その真面目さが、嫌ではなかった。
むしろ少し楽しみだった。
中村は、きっと明日もいろいろ考えてくる。
そして、途中で何かあれば、慌てる。
「……でも」
有本はスマートフォンを胸の上に置く。
「明日は、私もちゃんと楽しもう」
そう思った。
中村に楽しませてもらうのではなく。
千代田に合わせてもらうのでもなく。
三人で。
自分も、その中にいる。
「……それでいいんだよね」
答えは返ってこない。
でも、それでよかったと思えた。
***
千代田は、自分の部屋でマンガを読んでいた。
正確には、読もうとしていた。
ページを開く。
数行読む。
戻る。
また読む。
「……全然入ってこない」
マンガを閉じる。
机の上には、明日のために用意したバッグ。
財布。
スマートフォン。
ハンカチ。
モバイルバッテリー。
そして、折り畳み傘。
「雨、降るかもしれないし」
自分に言い訳する。
「必要なものだから」
それだけ。
別に明日を楽しみにしているわけではない。
そう思おうとする。
でも、明日、中村に会う。
有本にも会う。
三人で一緒に過ごす。
そのことを考えると、胸の奥が少しだけざわつく。
「……三人、か」
千代田は呟く。
中村と二人きりなら、
きっとまた、余計なことを考えてしまう。
有本と中村だけなら。
自分は距離を取ることができる。
でも三人なら、もしかしたら……。
「……普通に笑えるかな」
それが一番の問題だった。
以前のように、
中村の相談に乗るだけの自分には戻れない。
有本を応援するだけの自分にも戻れない。
それでも、明日は逃げたくなかった。
「私も……ちゃんと行こう」
千代田はバッグの中身を確認する。
「楽しむ」
言葉にしてみる。
少しだけ恥ずかしい。
「うん」
もう一度。
「楽しもう……よし!」
今度は、少しだけ自然に言えた。
***
そして、日曜日の朝。
まだ空が完全には明るくなっていない時間。
中村は布団の中で目を開けた。
「……」
時計を見る、六時。
「早すぎた」
目覚ましは六時半に設定していた。
とりあえず目覚ましはいつも通りに設定し直す。
流石に、もう眠れない。
「……遠足かよ」
自分で呟いて、笑う。
高校生にもなって?
日曜日の朝に?
そして遠足前の小学生みたいに目が覚めた。
でも、嫌ではなかった。
むしろ胸の奥が少しだけ軽い。
中村は布団から出る。
カーテンを開ける。
朝の光が部屋に入ってくる。
「晴れてる」
それだけで、少し嬉しい。
服を着る。
鏡を見る。
昨日と同じように、襟元を確認する。
「……普通でいい」
髪を整える。
財布を確認。
スマートフォン。
モバイルバッテリー。
そして、メモ。
中村はそれを手に取る。
そこには、昨日までなら細かく書いていたはずの予定が。
今日は、三つしかない。
『無理しない』
『三人で楽しむ』
『ちゃんと帰る』
「……これでいい」
メモを財布にしまう。
玄関へ向かう。
靴を履く。
ドアノブに手をかけたところで、ふと思う。
今日は……。
何かを成功させる日じゃない。
有本との関係を進める日でも。
千代田との距離を決める日でもない。
ただ、三人で一日を過ごす日。
「……行ってきます」
誰に言うでもなく呟く。
ドアが閉まる。
***
その頃、有本も家を出る準備をしていた。
「眠い……」
鏡の前で髪を整える。
「七時半って、やっぱり早いよ」
そう言いながら。
口元は笑っている。
玄関で靴を履く。
母親から声が飛んでくる。
「今日は中村君たちと出かけるんだっけ?」
「うん」
「気をつけてね」
「はーい」
「楽しんできなさい」
「……うん」
その言葉だけ。
でもなぜか少し嬉しかった。
有本は外へ出る。
朝の空気が、思ったより涼しい。
「……晴れてる」
空を見上げる。
そして、歩き出す。
*
千代田も家を出た。
バッグを肩に掛ける。
駅までの道を歩く。
スマートフォンを確認する。
連絡はない。
当然だ。
集合は七時半。
まだ少し早い。
「……早く着きすぎたらどうしよう」
そう考えて、すぐに笑った。
「昨日の中村じゃないんだから」
でも、歩く速度は、少しだけ速かった。
*
駅前。
朝の空気は、まだ静かだった。
人通りも少ない。
コンビニの明かり。
改札から聞こえる電子音。
バスが遠くで走っている。
千代田は時計を見る。
七時二十五分。
「……ちょっと早かったかな」
そう呟いて、ベンチに座る。
スマートフォンを取り出す。
画面を見る。
そして。
小さく笑った。
「……私まで何やってるんだろ」
七時二十六分。
人影が一つ。
駅の入口から歩いてくる。
見慣れた服。
見慣れた歩き方。
千代田は顔を上げる。
「……中村」
中村も、こちらに気づいた。
「え?」
足が止まる。
「千代田?」
時計を見る。
「まだ七時半前だよ?」
「うん」
千代田は少し笑った。
「知ってる」
「……早くない?」
「中村にだけは言われたくない」
「あ」
二人とも笑う。
そして、中村はベンチの隣を見る。
「有本は?」
「まだみたい」
「そっか」
中村は少しだけ息を吐いた。
千代田は、その横顔を見る。
以前なら、この時間が二人きりなら、もっと嬉しかったかもしれない。
今は……少しだけ緊張する。
でも、逃げない。
「ねえ、中村」
「ん?」
「今日さ」
千代田は前を向いたまま言う。
「ちゃんと楽しもうね」
「うん」
中村が笑う。
「三人で」
その言葉を聞いて。
千代田も笑った。
「うん。三人で」
その時。
「おーい!」
遠くから声がした。
二人が同時に振り向く。
有本が、少し早足でこちらへ向かってくる。
「ごめーん!」
そして、笑いながら手を振る。
「……まだ七時半前だけど!」
中村が時計を見る。
「……ほんとだ」
千代田が笑う。
「朝ご飯、奢らなくて済んだね」
「そこなの!?」
有本が笑いながら二人のところへ駆け寄る。
朝の駅前に、三人が揃った。
まだ遠足は始まっていない。
けれど。
今日という一日は、もう確実に動き始めていた。




