表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
しがない人形師は、濡れ衣の夜を暴く 〜灰銀のハンターと噛み跡だらけの怪異事件簿〜  作者: なつめ
第3部 火刑の街

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/124

第37話 嘘ではない証言



 録音機の赤いランプは、泣き声にも同じ光を当てる。


 霧杜中央署の音声解析室は、面談室よりもさらに白かった。壁際には録音機器と解析端末が並び、正面のモニターには波形が細い山脈のように連なっている。蛍光灯の光は冷たく、机の上に置かれた証拠写真や調書の紙を、どれも同じ温度に見せていた。


 そこには、感情を置く場所がない。


 だからこそ、泣き声が異物のように響いた。


 告発者の女性の証言記録が、低い音量で再生されている。


『怖かったんです……本当に。あの人は、前から変で……』


 声は震えていた。鼻をすする音。息を飲む間。ハンカチを握る布擦れ。椅子の脚が床にかすかに当たる音。嘘を吐こうとして整えた声ではない。少なくとも、そうは聞こえない。


 白石澪奈は、モニターの前で指を止めた。


「ここです」


 榊悠真が腕を組んだまま画面を見る。ルスト・ヴァルレインは後方に立ち、鋼色の瞳を細めていた。クラウディオ・ルジェリウスは、端末の横に置かれた現場写真を見ている。


 火の気のない地下展示室。


 燃え広がっていない壁。


 床に残った黒い輪郭。


 そして、端だけ焦げた白い紙片。


 魔女。


 その二文字は、今日も燃え残っていた。


 澪奈は音声を止め、波形を拡大する。


「告発者が“魔女”という語を口にした箇所だけ、波形が跳ねています。通常の声の強弱では説明しづらい揺れです」


 榊が顔をしかめる。


「感情が高ぶっただけじゃないのか」


「その可能性もあります。ただ、紙片裏の線、工房の鍵穴傷、廃校の作られた声の波形と、一部似ています。完全一致ではありません。でも、同じ癖があります」


 クラウディオが、そこで薄く笑った。


 楽しそうではない。むしろ、吐き気を飲み込むような笑みだった。


「声に癖があるんじゃない。使い方に癖がある」


 榊は彼を見る。


「どういう意味だ」


「同じ音を作ったというより、同じ方向へ曲げている」


 クラウディオは、告発者の証言メモを指先で軽く叩いた。


「怖かった。守りたかった。みんな言っていた。魔女みたいだった。私だけじゃない。仕方なかった」


 紙の上に並んだ言葉は、どれも普通だった。


 怖い時、人はそう言う。


 自分の行動に理由をつける時も、そう言う。


 だから、余計に見分けづらい。


「どこにでもある言葉だ。だから混ぜやすい」


 ルストが低く問う。


「混ぜる?」


 クラウディオは答えない。代わりに、モニターを見た。


 澪奈が証言の別箇所を再生する。


『私だけじゃなかったんです。みんな、怖がっていました。あの人は、魔女みたいだって……』


 赤いランプが点る映像の中で、告発者は泣いている。目元は赤い。肩は震えている。声は途切れ、何度も息を詰まらせる。演技ならば見事すぎる。


 いや、演技ではないのだろう。


 クラウディオはそう見ていた。


 だからこそ、目が冷えている。


 澪奈は証言の時系列メモを表示した。


「彼女の話は、事実の順番と一致しません。最初に“怖かった”と語り、その次に被害者女性が怪しかった理由、その後に家族の不調や不幸を話し、最後に“みんなを守りたかった”と締めています」


 榊が言う。


「感情の順番としては自然にも聞こえる」


「はい。ですが、実際の出来事の順番とは違います。母親の体調悪化は、被害者女性に睨まれたとされる日の前から兆候があった。息子の発熱も、学校で流行していた感染症と時期が重なります。夫の仕事の不調は、勤務先の人員整理と関係している可能性があります」


 榊は資料をめくる。


「つまり、それぞれ別の理由で説明できる」


「はい。ただし、告発者本人がそれを嘘として語っているとは限りません」


 クラウディオが、低く言った。


「嘘はついていない」


 室内の空気が、一瞬止まった。


 榊が顔を上げる。


 ルストも、クラウディオを見る。


 彼が告発者の証言を切り捨てると思っていたからだ。泣けば正しいと思うな、と冷たく言った男が、告発者の涙ごと証言を突き崩すのだろうと。


 だが、クラウディオは逆を言った。


「嘘はついていない」


 彼は、もう一度繰り返した。


「だから厄介なんだ」


 録音機の赤いランプが、無言で光る。


 クラウディオは椅子に座らず、机の端に指を置いたまま続けた。


「自分で物語を作っているなら、折れる。矛盾を突けばいい。だが、これは違う。女は本当に怖がっている。本当にそう見た。本当にそう感じた。本当に、みんなを守りたかったと思っている」


 榊は眉を寄せた。


「なら、証言としては」


「嘘ではない。だが、真実でもない」


 クラウディオの声は静かだった。


「証言そのものが汚染されている」


 澪奈の手が止まる。


 ルストが低く言った。


「汚染」


「言葉の汚染だ。記憶の汚染でもある」


 クラウディオは、モニターに映る波形を見た。


「誰かを“魔女”と呼ぶ。その言葉を聞いた者の中にある不安、嫌悪、恐怖、記憶の穴へ入り込む。完全な嘘を植えるわけじゃない。曖昧な記憶を、告発として成立する順番へ並べ替える」


 榊が息を呑んだ。


「告発として成立する順番……」


「怖かった順じゃない。燃やしやすい順だ」


 クラウディオは告発者の証言メモを指差した。


「最初に恐怖を置く。次に相手の異物性を置く。その後に不幸を積む。最後に自分の善意で閉じる。私は怖かった。あの女は怪しかった。不幸が続いた。みんなを守りたかった」


 彼は薄く笑う。


「よくできている。吐き気がするほど」


 ルストは告発者の映像を見た。


 彼女は泣いている。


 だが、その涙の奥で、言葉はきれいに並びすぎている。


 彼女自身が並べたのか。


 誰かに並べられたのか。


 あるいは、そう信じ込まされたのか。


 榊は低く言った。


「本人が信じているなら、なおさら厄介だな」


「だから言った」


 クラウディオは冷たく返す。


「涙で片づけるからだ」


 ルストの眉が少し動く。


 前の面談室で、彼は告発者を守ろうとした。泣いている女を、クラウディオの冷たい言葉から庇おうとした。それ自体は間違いではない。だが、彼女の涙を守ることが、死んだ被害者女性の名を燃やすことと隣り合わせだった。


 ルストは、低く問う。


「なら、彼女は被害者か」


 クラウディオはすぐに答えた。


「被害者で、加害に使われた声だ」


 その言葉は、刃物のように正確だった。


 ルストは黙った。


 守るべき者が一人ではない。


 泣く告発者も、何かに利用された可能性がある。だが、その声は被害者女性を死後も火刑台へ押し上げている。


 この面倒くささこそ、人間社会の通常営業である。返品したいが、保証書は燃えている。


 澪奈は端末の別画面を開いた。


「地域掲示板、SNS、報道時刻、告発者の証言記録を並べました。“魔女”という語は、警察発表前に出ています。ただし、告発者本人が発信したと断定できるものは、まだありません」


 榊が問う。


「言い回しは」


「似ています。“怖かった”“みんなを守りたかった”“私だけじゃない”“仕方なかった”。告発者の証言に出る言葉と、初期投稿に似た表現があります」


「文体だけで特定はできない」


「はい。できません。ただ、無視はできません」


 クラウディオが口を挟む。


「自分の言葉にしては、整いすぎている」


 澪奈は頷いた。


「同感です。特に“みんなを守りたかった”という締め方が、複数箇所で繰り返されています」


 榊は机に手をついた。


「だが、本人は覚えていないと言っている」


「本当に覚えていない可能性があります」


 澪奈の声は冷静だったが、目は少し険しかった。


「重要な部分だけ、記憶が抜けています。誰が最初に魔女と言ったのか。どこで聞いたのか。いつからその言葉を使っていたのか。紙片が報道される前に、なぜその語が出ていたのか。自分が書いたのか、誰かに話したのか。どれも、覚えていない」


 ルストが低く言う。


「都合がいい」


「ええ」


 澪奈は短く答えた。


「ただし、都合がよすぎるから嘘、とは言えません。本人は本当に覚えていないように見えます」


 榊は小さく舌打ちを飲み込んだ。


「嘘じゃない証言を、どう疑えっていうんだ」


 クラウディオは淡々と言った。


「証拠で疑え」


「調書には何と書けばいい。証言汚染、なんて言葉で通るのか」


「通るようにしろ。それが警察の仕事だろう」


「簡単に言うな」


「簡単なら俺が言わない」


 榊は黙った。


 腹立たしいが、そういう男だ。クラウディオは簡単なことを偉そうに言うのではなく、難しいことを当然のように言う。人類にとっては最も腹立たしい種類の正論である。


 澪奈が録音をさらに細かく区切る。


『魔女みたいだったんです』


 その瞬間、波形が跳ねる。


 通常の音声波形とは違う、細い棘のような揺れが乗る。


 澪奈は拡大した。


「ここです。“魔女”と言ったところだけ、別の層が重なっています。音声としては本人の声です。でも、その奥に違う成分があります。紙片裏の線に似ています」


 ルストは目を細めた。


「血術の匂いは薄い」


「薄いから厄介なんだろう」


 クラウディオが言った。


「核ではない。残滓だ。火種に近い」


 榊が問う。


「告発術式、ということか」


 その言葉は、まだ部屋に馴染まなかった。


 だが、クラウディオは否定しなかった。


「そう呼ぶしかないな」


 彼は録音機を見た。


「嘘を吐かせる術じゃない。嘘を吐かずに人を焼かせる術だ」


 その場にいた者は、誰もすぐには声を出せなかった。


 言葉そのものが、あまりにも嫌だった。


 嘘を吐かせるのなら、まだ分かりやすい。


 だが、嘘を吐かせない。


 本人の恐怖をそのまま使う。


 本人の涙をそのまま使う。


 本人の善意も、被害意識も、曖昧な記憶も、全部そのまま燃料にする。


 そして、誰も自分を嘘つきだと思わない。


 クラウディオは続けた。


「よくできている。嘘を吐かないから、罪悪感が薄い。自分は見たことを話しただけ。感じたことを言っただけ。みんなを守りたかっただけ。全員が少しずつ正しい顔をして、ひとりを燃やす」


 ルストの表情が苦くなる。


「厄介だな」


「だから言った」


 クラウディオは冷たく返す。


「涙で片づけるからだ」


 澪奈は、別のデータを表示した。


「証言記録を再生すると、室温が微かに上がります。機器の熱や人の出入りだけでは説明しづらい変動です。さらに、保管袋の中の紙片を同時撮影した映像では、“魔女”という文字が濃く見える瞬間があります」


 榊が言う。


「見える、か」


「はい。照明条件の影響は排除しきれません。ただ、録音波形の跳ねとタイミングが一致しています」


 クラウディオは言った。


「言葉に反応している」


「魔女という語に?」


「正確には、その語で誰かを焼こうとする声にだ」


 ルストが低く問う。


「告発の声」


「そうだ」


 クラウディオは録音機へ視線を落とした。


「言葉そのものが火種になる。泣き声も、善意も、怖かったという訴えも、全部だ。火刑台は、燃えるものなら何でも拾う」


 榊は額に手を当てた。


「これを証拠として扱うには、まだ弱い」


「だから、弱い証拠を束ねろ」


 クラウディオは容赦がない。


「時刻。言い回し。波形。紙片の変化。保管映像。告発者の記憶の空白。全部を別々に見れば弱い。重ねろ。重なったところが術式の輪郭だ」


 澪奈は、小さく頷いた。


「科学的には証明しきれません。でも、データは同じ方向を向いています」


 榊は息を吐く。


「本人が信じている証言を、どう扱うか」


「信じているから危険なんだ」


 クラウディオの声が低くなる。


「魔女狩りもそうだろう。全員が嘘を吐いていたわけじゃない。家畜が死んだ。子どもが病んだ。作物が枯れた。誰かに睨まれた。誰かが祈っていた。そこまでは、本当にあったかもしれない」


 彼の目に、火の色はない。


 だが、火を見ているようだった。


「そこへ、魔女という名前を貼る。あとは勝手に並ぶ。不幸が証拠に見える。恐怖が証言に見える。善意が薪になる」


 ルストは、クラウディオの横顔を見た。


 過去へ沈みかけてはいない。


 少なくとも今は、戻っている。


 火を見ているのではなく、火の構造を見ている。


 それでも、その言葉の底には、古い焦げ跡がある。


 榊の端末が震えた。


 警察庁共有資料。


 榊は画面を見て、眉間に皺を寄せる。


「久遠院顧問からだ」


 クラウディオは、露骨に嫌そうな顔をした。


「呼んでいない」


「送られてきた」


「燃えやすい場所に油を持ってくる男だな」


 榊は読み上げた。


「証言が虚偽でないことと、証言が真実に到達していることは別です」


 澪奈の手が止まる。


 ルストの目が細くなる。


 榊は続けた。


「共同体が共有した恐怖は、個人の記憶へ逆流することがあります。告発とは、事実の提示ではなく、役割の付与として機能する場合があります」


 クラウディオの目が冷えた。


「よく知っているな」


 榊はさらに読む。


「泣く者は嘘をついていないかもしれない。けれど、嘘をついていない者ほど、術式には使いやすい」


 音声解析室に沈黙が落ちた。


 正しい。


 嫌になるほど正しい。


 だからこそ、気味が悪い。


 クラウディオは低く言った。


「使ったことがあるみたいな言い方だ」


 榊は端末を閉じる。


「久遠院を犯人と見る証拠はない」


「分かっている」


「分かっている顔じゃない」


「分かっているから嫌なんだろうが」


 クラウディオは、端末から視線を外した。


「整いすぎている。だが、整っていることは罪じゃない」


 ルストが言う。


「証拠を見る」


 クラウディオは、ほんの少しだけ目を細めた。


「学習したな」


「遅いか」


「かなり」


 ルストは否定しなかった。


 告発者の証言記録が、もう一度再生される。


『私は、みんなを守りたかっただけです』


 その声は震えている。


 本当にそう思っている声だ。


 だから、折れにくい。


 澪奈が波形を確認する。


「この部分にも、別の層が出ています。“守りたかった”の直後です」


 録音に、低いノイズが重なる。


 群衆の声。


 魔女。


 魔女。


 魔女。


 泣き声が混じる。


 最初は、告発者の嗚咽だと分かる。


 だが、次第に輪郭が崩れていく。


 誰かを悼む声なのか、誰かを責める声なのか、区別できなくなる。


 室内に、微かな焦げた匂いがした。


 榊がすぐに空調を確認する。


 澪奈は機器の熱源を確認する。


 ルストは、録音機を見る。


 クラウディオは、動かない。


 録音の中で、告発者の声が一瞬だけ別の声に変わった。


『見たのでしょう?』


 それは、告発者の声ではなかった。


 被害者女性の声かどうかも分からない。


 クラウディオの声でも、ルストの声でもない。


 穏やかで、近くて、耳の奥に直接入ってくるような声。


 澪奈が息を止める。


「今の声、記録にありません」


 榊が低く言う。


「告発術式そのものの声、か」


 クラウディオは答えなかった。


 ただ、録音機の停止ボタンを押した。


 音が消える。


 だが、焦げた匂いは少し残った。


 泣き声も、耳の奥からすぐには消えない。


 ルストが静かに言った。


「彼女は嘘をついていない」


 クラウディオは、録音機を見たまま返す。


「だから燃える」


 ルストは黙った。


 クラウディオは続けた。


「嘘なら折れる。信じている声は折れにくい」


 その声は低く、苦かった。


 榊は資料を閉じる。


「告発者は保護する。再聴取もする。ただし証言は汚染の可能性ありとして扱う。被害者女性を加害者確定にはしない。紙片、波形、SNS時系列、告発者の記憶の空白、全部を重ねる」


 澪奈が頷いた。


「音声データと保管映像を同期します。紙片の変化が本当に起きているか、条件を揃えて比較します」


 ルストは、クラウディオを見た。


「告発者も狙われている」


「使われている、だ」


 クラウディオは短く返す。


「使われている者は、だいたい狙われてもいる」


 ルストは頷いた。


「守る」


「証拠も見ろ」


「見る」


「ならいい」


 その会話は短かった。


 だが、前より少しだけ同じ場所を見ていた。


 泣く者を守る。


 死者の名も守る。


 証拠を見る。


 火を見失わない。


 厄介すぎる仕事だ。誰がこんな設計にしたのか。人類である。知っていた。最悪だ。


 音声解析室を出る準備をしていた時、録音機が勝手に再起動した。


 誰も触れていない。


 赤いランプが、ゆっくり点る。


 澪奈が振り返る。


「止めたはずです」


 録音機から、告発者の声が流れた。


『私は、みんなを守りたかっただけです』


 その声は、先ほどよりも遅かった。


 水の底から引き上げられたように、言葉が重い。


 泣き声が、その後に続く。


 そして、別の声が重なった。


『なら、火を持ちなさい』


 室内の誰も、その声を録音した覚えはなかった。


 クラウディオが顔を上げる。


 ルストの息が止まる。


 録音機の赤いランプだけが、静かに燃えるように光っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ