EP 9
鉄鍋の蹂躙、獣の覚悟、そして天然の災害
「ギャギャッ! ニンゲンダ! コドモダ!」
秘密基地である洞穴の入り口。
茂みをかき分け、醜悪な笑みを浮かべた3匹のゴブリンがよだれを垂らしながら侵入してきた。
彼らの目には、俺たちが『無力で美味しそうな獲物』にしか見えていないのだろう。
だが、甘い。甘すぎる。
俺の前世は、安全第一と段取りを重んじる鉄鋼メーカー勤務だ。
(防衛線を張るのに、何の準備もしていないわけがないだろうが)
ゴブリンたちが、俺から数メートル先の地面――入り口の『扼地』に足を踏み入れた、その瞬間。
「よし! 【アイアン】! ゴブリンの足に絡め!!」
俺が右手を強く握り込むと、枯れ葉の下に隠しておいた『鉄線』が、まるで意思を持つ大蛇のように跳ね上がった。
事前に川辺の砂鉄から錬成し、罠として張り巡らせていた極細のワイヤーである。
「ギャギャッ!?」
何が起きたか理解する間もなく、鉄線はゴブリンたちの両足首にガッチリと巻きつき、その動きを完全に縛り上げた。
ドテッ!! ズザザザーッ!!
勢いよく走っていたゴブリンたちは、綺麗に足をすくわれ、無様に顔面から地面に突っ込んだ。
「そら隙だらけだ! おりゃあああああっ!!」
俺は地面を蹴って跳躍し、背中に隠し持っていた『相棒』を全力で振り被った。
剣ではない。槍でもない。
漆黒の輝きを放つ、手作りの【南部鉄器風・重厚フライパン】である。
バコォォォォンッ!!
「ギャベッ!?」
メキバコォォォォンッ!!
「アベッ!?」
鈍く、そして極めて暴力的な打撃音が洞穴に響き渡る。
俺のS級バフが乗った5歳児の筋力と、炭素を絶妙に配合した鋳鉄の尋常ではない硬度と重量。それが脳天にクリーンヒットしたのだ。
2匹のゴブリンは、ピクピクと痙攣したのち、白目を剥いて完全に沈黙した。
「ふぅ……。流石は南部鉄風フライパンだ。威力がダンチだな」
俺はフライパンの底についたゴブリンの血(とちょっとした脳漿)を払いながら、満足げに頷いた。剣のように刃こぼれを気にしなくていい最高の鈍器である。
「ギャ……ギギギッ!」
その時、罠の端っこに引っ掛かり、致命傷を免れた残る1匹のゴブリンが、フラフラと立ち上がった。
血走った目で、錆びた剣を構え直す。
俺が再びフライパンを構えようとした、その時だった。
「……リオス。ここは、俺一人に任せてくれ」
横からスッと、木槍を構えたシャルムが前に出た。
「シャルム?」
俺が呼びかけると、シャルムは頭の豹耳をピンと立て、普段のわんぱくな少年とは違う、戦士としての鋭い眼光でゴブリンを睨みつけていた。
「俺は、ここから……勝って、勝って、勝ちまくって、最強の戦士になるんだ。親父殿と共に、一族を再興するために……ここで雑魚一匹にビビってるわけにはいかねぇんだよ!」
小さな背中から放たれる、重い覚悟。
彼は5歳にして、背負うべきものの重さを知っているのだ。
「……わかった。行け、シャルム」
俺はそっとフライパンを下ろし、道を譲った。
「こいっ!!」
シャルムの咆哮に呼応するように、ゴブリンが怒り狂って飛びかかってきた。
「ギャギィィッ!」
錆びた剣が、無造作に振り下ろされる。
「遅ぇ!!」
シャルムは豹特有のしなやかなバネでその一撃を紙一重で躱すと、下段から木槍を突き出した。
「まずは足だ!」
「ギャギャアッ!?」
ゴブリンの太ももに、木槍の先が深く突き刺さる。
激痛に体勢を崩すゴブリン。その最大の隙を、シャルムは見逃さなかった。
「ふぅぅぅ……っ!!」
シャルムが短く息を吐き出すと、彼の小さな体から、銀色に輝くオーラのようなものが立ち昇った。
獣人族の特権にして、最強の身体強化技術『闘気』だ。
それが手にした木槍へと流れ込み、ただの木の枝を『鋼の刃』と同等の切れ味へと変貌させる。
「秘技! 【竜牙一閃】!!」
銀色の光を纏った木槍が、横薙ぎに振り抜かれる。
空気を裂く鋭い音。
ゴブリンの胴体は、木製の槍によって、まるで豆腐のように綺麗に一刀両断されていた。
ドサリ、と2つに分かれた緑色の肉塊が地面に崩れ落ちる。
「……ふぅ」
「凄〜い! シャルム君、すっごくかっこよかったよぉ!」
背後で見ていたルナが、ぴょんぴょんと飛び跳ねて拍手をした。
「やったな、シャルム。見事な一撃だった」
俺が歩み寄って拳を突き出すと、シャルムも嬉しそうに笑って、ゴツンと拳を合わせてきた。
「はぁ……はぁ……あぁ。でも、ゴブリン1匹倒すのに、闘気を使いすぎて体力を殆ど持っていかれたぜ。……まだまだだな、俺は」
少し悔しそうに膝に手をつくシャルム。
しかし、その顔は初陣を自らの力で飾った誇りに満ちていた。
「勝ちは勝ちさ。初陣にしちゃ上出来すぎる」
俺がそう言って労った、まさにその時だった。
「じゃあ、お掃除しないとね★」
「「え?」」
俺とシャルムが同時に振り返ると。
そこには、純真無垢な笑顔を浮かべ、伝説のアーティファクト『世界樹の若木』を高く掲げたエルフの少女が立っていた。
彼女の視線の先には、ゴブリンの死体と、飛び散った血痕。
「ちょ、ルナ? お前、まさか……」
俺の制止の声は、遅かった。
「いっくよ〜! えいのっ、えいのっ、えいっ★ 【ウォーター】!!」
彼女の杖の先から放たれたのは、血痕を洗い流すような可愛らしい水流などではなかった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!
それは、ダムの決壊。
あるいは、都市部を襲う特大サイズの消防車の放水ホース(出力MAX)。
「おいいいいいいっ!?」
「ぎゃああああああああっ!!」
洞穴という逃げ場のない閉鎖空間で、極大水圧の鉄砲水が炸裂した。
ゴブリンの死体も、飛び散った血痕も、そして初陣の余韻に浸っていた俺とシャルムも。
すべてまとめて、凄まじい濁流に飲み込まれた。
「ぶくぶくぶく……っ!(死ぬ死ぬ死ぬ!!)」
ジャババババババババッ!!!
* * *
数分後。
洞穴から遠く離れた森の木の下で。
俺とシャルムは、全身ズブ濡れになり、白目を剥いて地面に転がっていた。
ゴブリンの死体は、水圧でどこか遠くの果てまで流されていったらしい。
「あわわ……ご、ごめんなさい……また出力間違えちゃった……」
半泣きで俺たちを突っついているルナを見上げながら。
俺は口からチョロチョロと水を吐き出し、心の中で深く誓った。
(やっぱり……ルナには絶対に魔法を禁止させるべきだった……!!)
最強の戦士への道は、まだまだ前途多難である。




