EP 7
初めての実戦と、鋼鉄の防衛線
至高の黄金チャーハンで二人の胃袋を完全に掌握してから、数日が経過した。
俺たちの秘密基地である森の洞穴は、いまや完全にシャルムとルナの溜まり場と化していた。
朝の地獄のような家庭内特訓(父ガリンとの木刀死合いと、母アリアの過剰出力ヒール座学)が終わるやいなや、二人は示し合わせたように俺の元へ押しかけてくるのだ。
「なぁリオス! 今日の男飯は何だ!? 昨日の『豚バラとニンニクの味噌炒め丼』もヤバかったが、今日も何か新作があるんだろ!?」
尖った豹耳をピコピコと揺らし、木槍を抱えたシャルムが涎を垂らしそうな顔で迫ってくる。
「ルナねぇ、お野菜がいっぱい入ったスープがいいなぁ〜♡ リオス君のお料理なら、苦いお野菜も甘くて美味しくなっちゃうもん!」
世界樹の若木を杖代わりにぽくぽくと歩くルナも、翡翠色の瞳を爛々と輝かせていた。
二人の期待に満ちた視線を前に、俺は腕を組んでフッと鼻を鳴らした。
「飯、飯と騒ぐな。言ったはずだぞ。『俺の男飯が食いたきゃ、特訓の相手をしろ』ってな」
「おうよ! 望むところだ! 腹を空かせた分、飯が五倍美味くなるからな!」
「ふふ、じゃあルナは今日も審判さんねぇ〜」
洞穴の前に広がる、木々に囲まれた小さな広場。
ここが俺たちの即席の道場だった。
ルナが切り株の上にちょこんと腰掛け、世界樹の若木をアンパイアの旗のように掲げる。
「は〜い、怪我をしたらルナが魔法で(消し炭ごと)治してあげるから、死ぬ気でやり合ってね〜! はじめぇ!」
「治す前に死ぬフラグを立てるな!」
俺のツッコミと同時に、シャルムの足元が爆発した。
バッ!と砂埃を巻き上げ、獣人特有の驚異的な瞬発力で距離を詰めてくる。
「行くぞリオス! 【ダブル】ッッ!」
空気がブレ、一瞬にしてシャルムの身体が二つに分裂した。
左右から挟み込むように突き出される、二本の木槍。
数日前の喧嘩のときとは違い、今のシャルムの動きには迷いがない。元将軍である父親クルーガーから直々に仕込まれた、鋭利にして無駄のない刺突術だ。
普通の5歳児なら、影すら捉えられずに喉元を突かれて終わるだろう。
だが――。
(右が本体、左が分身……いや、質量も闘気も完全に均等だ。だが、踏み込みの癖は消せてねぇな)
俺は手にした樫の短棒を構え、上半身をわずかに捻って右の槍を紙一重で見切った。
空気を切り裂く風圧が頬を撫でる。
すかさず左の分身が、死角から鋭い横薙ぎを放ってきた。
(現場の基本は、足元の安全確認(ゼロ災)だ)
俺は【アイアン】を極小出力で起動した。
狙うは、シャルムが履いている革靴の底――滑り止めとして打ち込まれている、小さな鉄の鋲だ。
カチリ。
左の分身が地面を蹴り込もうとした刹那、その靴底の鉄鋲の角度を、ほんのコンマ数ミリだけ外側へ傾けてやる。
ただそれだけで、完璧だったはずの重心移動がわずかに狂った。
「――っ!? しまっ――」
体幹のバランスを崩した左の分身の横薙ぎが、俺の頭上を大きく空振りした。
がら空きになった胴体へ、俺は踏み込み、樫の短棒の腹でシャルムの脇腹をトンと小突く。
「一本。姿勢が前のめりすぎるぞ、シャルム」
「ぐあああっ! またかよ! なんで肝心なところで足が滑るんだ!?」
ボフンと煙を上げて分身が消え、本体のシャルムが尻餅をついて悔しそうに草をむしった。
「足元への注意が足りねぇんだよ。現場じゃな、靴底の小石一つ、鉄板のミリ単位の傾き一つで命を落とすんだ。敵の攻撃ばかり見て足元の摩擦係数を計算できない奴は、一流の戦士にはなれねぇぞ」
「マサツケイスウ……? またわけのわからん呪文を……! くそっ、もう一本だ!」
負けず嫌いの獣人は、砂を払ってすぐに飛び起きてきた。
だが、その瞳の奥には確かな成長の光が宿っている。
俺の【アイアン】による微細な重心妨害にすら、回数を重ねるごとに感覚で順応し始めているのだ。さすがは次期大将軍の器、恐ろしい学習能力である。
「ふふ、シャルム君、お尻が泥んこだよ〜。ルナが泥ごと若木で削り落としてあげようか?」
「肉ごと削れるわ! 絶対に触るな!」
キャッキャと笑い合うルナとシャルム。
だが、俺は樫の短棒を下ろし、広場の周囲を囲む生い茂る木々へと視線を向けた。
(……この秘密基地を作ってから、もうすぐ二年。そろそろ『安全対策』の実地テストもしておきたいところだな)
前世の鉄鋼プラントにおいて、最も重視されたのは「予防保全」と「フェイルセーフ(安全設計)」だ。
事故が起きてから対処するのでは遅い。想定外の事態が起きても、設備と人員が致命傷を負わない仕組みをあらかじめ構築しておくのが、一流のエンジニアの鉄則である。
俺はこの秘密基地を作るにあたり、周囲の地形を徹底的に調査し、洞穴の入り口を「防衛拠点」として設計していた。
背後が切り立った頑丈な岩壁で塞がれているため、敵は正面の狭い通路からしか侵入できない。いわゆる『チョークポイント(隘路)』だ。
さらに――俺は広場と獣道の境界線に、手持ちの技術を惜しみなく注ぎ込んだ『防衛ライン』をすでに秘密裏に仕掛けてあった。
炭素濃度〇・八パーセント、極限まで不純物を排除し、分子の結晶格子を強引に引き延ばして錬成した――髪の毛よりも細く、鋼鉄の数倍の引張強度を誇る『高炭素鋼ピアノ線(極細ワイヤー)』。
それが、木々の根元や下草の隙間に、クモの巣のように張り巡らされているのだ。
「おいリオス、ぼーっとしてどうしたんだ? 次は俺が勝つ番だぞ!」
木槍を構え直したシャルムが、痺れを切らしたように声をかけてくる。
だが、次の瞬間――。
ピクンッ。
シャルムの頭の斑点耳が、電撃を受けたように直立した。
同時に、彼の琥珀色の瞳から子供らしい甘さが消え失せ、野生の猛獣特有の獰猛な警戒色が宿る。
「……風が、臭ぇ」
シャルムが低く唸った。
俺もまた、即座に身を低くし、体内の闘気を静かに巡らせた。
生ぬるい森の風に乗って運ばれてきたのは――腐った生肉と、動物の汚物が混ざり合ったような、耐え難い悪臭だった。
ザザ……ガサリ。
木々の茂みの奥から、湿った足音が近づいてくる。
一つや二つではない。五、六個の足音が、俺たちの広場を取り囲むように扇状に展開していた。
「あ……あれ……?」
切り株に座っていたルナが、小首を傾げて茂みを指差した。
「緑色のお猿さんたち……? みんな、なんだか怖いお顔をしてるよぉ……?」
茂みをかき分けて姿を現したのは、醜悪に歪んだ緑色の肌を持つ小鬼たち――『ゴブリン』の群れだった。
全部で六匹。
だが、村の大人たちから聞くような、ただの雑魚モンスターとは様子が違っていた。
どの個体もあばら骨が浮き出るほど痩せこけ、黄色く濁った眼球は血走り、口元からは飢餓による狂気の涎をボタボタと垂れ流している。
手には、錆びたナタや尖った動物の骨を握りしめていた。
(……飢えてるな。しかも、ここは村からそれほど離れていない森の浅瀬だ。普段ならゴブリンの群れがこんな人間の生活圏近くまで降りてくるはずがない……)
脳裏に警告アラートが鳴り響く。
森の深部で、何らかの異常事態――上位魔獣の縄張り争いか何かが起きて、住処を追われた小鬼たちが飢餓状態で南下してきたのだ。
「ギシャアアアアッッ!!」
「グギャッ! ギギギッ!」
子供三人の姿を捉えた瞬間、ゴブリンたちの喉から歓喜の絶叫が迸った。
小鬼たちにとって、5歳の子供など格好の獲物(ご馳走)にしか見えていないのだろう。
「ひっ……!?」
シャルムの小さな身体が、ピシリと凍りついた。
いくら模擬戦で大人顔負けの動きを見せようと、彼はまだ5歳の子供だ。
目の前で剥き出しにされる、本物の「殺意」と「食欲」。
シャルムが握る木槍の切っ先が、小刻みにカタカタと震え始めた。
「シャルム、ルナ! 洞穴の入り口まで下がれ!」
俺は鋭く一喝し、二人の前に立ち塞がった。
「だ、だがリオス! あいつら、武器を持ってるぞ!? 俺が……俺が前で戦わなきゃ……!」
恐怖で顔を青ざめさせながらも、獣人の戦士としての誇りで木槍を構え直そうとするシャルム。
頼もしい根性だが、実戦の経験がない5歳児が突っ込めば、数の暴力で囲まれて八つ裂きにされるのがオチだ。
「いいから下がってろ! 現場監督の指示に従え!」
「げ、げんばかんとく……!?」
俺は二人を背後の洞穴の入り口へ押し込み、完全に『チョークポイント』の布陣を敷いた。
敵が一度に突っ込めるのは、せいぜい二匹が限界の狭い通路だ。
「ギャハハハッ!」
獲物が逃げ場のない洞穴へ追い込まれたと誤認したのか、先頭の筋骨隆々とした大型のゴブリンが、錆びたナタを振り上げて一気に突進してきた。
それに続いて、背後の二匹も狂ったような奇声を上げて猛追してくる。
距離、十五メートル。
十メートル。
「リオス君、危ないぃぃぃっ!」
ルナが悲鳴を上げ、世界樹の若木から過剰な魔力の燐光が漏れ出す。
「ルナ、魔法は待て! まだ撃つな!」
俺はルナを制止し、右手の指先を静かに宙へと掲げた。
眼前に迫る、血走ったゴブリンの凶悪な形相。
だが、俺の心は千五百度の炉の前に立つ熟練工のように、どこまでも冷徹に研ぎ澄まされていた。
(侵入者、危険区域へ到達――)
「【アイアン】――防衛ワイヤー、展張ッ!」
パチンッ、と指を鳴らす。
瞬間、茂みの草葉の陰に眠っていた数十本の高炭素鋼ワイヤーが、磁力によって一斉にピンと跳ね上がった!
「ギ……!?」
突進していた先頭のゴブリンの足首に、目に見えない極細の鋼線が鋭利に食い込んだ。
時速三十キロ近い突進の慣性エネルギーが、そのまま強靭無比なワイヤーへと叩きつけられる。
ブツンッ、と肉の裂ける鈍い音と共に、先頭のゴブリンの突進が強制停止させられた。
バランスを完全に失った巨体が前方に派手にのめり込み、顔面から砂利道へ激突する!
「グギャァァァッ!?」
さらに、後ろから勢いよく突っ込んできた二匹目と三匹目が、倒れた先頭の巨体に足を取られ、もつれ合うようにして団子状態で宙を舞った。
ドッシャァァァンッ!!
「な……っ!? 転んだ……!?」
背後で見ていたシャルムが、信じられないものを見るように目を見開いた。
だが、俺の防衛システムは『足止め』程度で終わるほど生温くはない。
「次は、視界遮断と関節拘束だ」
俺は地面に両手をかざした。
昨日、川原から運んできて洞穴の前に撒いておいた、数百キロの『高純度砂鉄』。
それが、俺の【アイアン】の魔力に共鳴して、ザザザザッ!と黒い生き物のように地表を波打たせた。
「いけッ!」
バシュッッ!!
地面から跳ね上がった漆黒の砂鉄の奔流が、まるで何本もの大蛇のように宙をうねり、もがき起き上がろうとしていた三匹のゴブリンの顔面へと正確に突き刺さった!
「グギャッ!? ギギィィッ!?」
目、鼻、口、耳――あらゆる粘膜と気管へ、不純物ゼロの超微細な鉄粉が容赦なく侵入する。
激痛と呼吸困難に狂乱し、ゴブリンたちは武器を投げ出して自分の顔面を掻きむしり始めた。
さらに、四肢に絡みついた砂鉄が磁力によって瞬時に超高密度に凝縮され、まるで『鋼鉄の手錠』のようにゴブリンたちの手足を地面の岩石へと縫い止めていく。
完全なる無力化。
わずか五秒足らずの間に、凶暴な群れの半数が、身動き一つ取れないダルマへと成り果てていた。
「す、げぇ……! 触りもしないで、罠と砂だけでバケモノどもを制圧しちまった……!」
シャルムが震える声で呟いた。
恐怖はすでに消え去り、その瞳には圧倒的な武威への畏怖と興奮が満ち満ちている。
「ギ……ギシャァッ!」
残された後方の三匹のゴブリンが、仲間たちの無惨な姿を見て後退りし、腰を引かせた。
飢餓で狂っていた頭に、本能的な「死の恐怖」が急速に蘇ったらしい。
だが――俺のテリトリーに無断で土足で踏み込んできた害獣を、タダで帰す気など毛頭ない。
「シャルム、ビビりは取れたか?」
「……おうっ! バッチリだ!」
シャルムが木槍を力強く構え直し、爛々とした猛獣の笑みを浮かべた。
俺は腰の魔法ポーチに手を突っ込み、昨日油ならし(シーズニング)を終えたばかりの、あの黒光りする『相棒』を引き抜いた。
ズシリ、と掌に収まる極厚五ミリの重厚な鋳鉄。
千五百度の溶銑から叩き上げられた、南部鉄器風フライパンだ。
「よし……現場の安全を脅かす害獣ども。お掃除(解体作業)の時間だ」
黒光りする鉄鍋を右手に提げ、5歳のフィクサーは冷酷な笑みを浮かべて一歩を踏み出した。
読んでいただきありがとうございます。
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