EP 6
最強の鉄鍋と黄金チャーハン
男の胃袋を掴むには、まずは機材のメンテナンスからだ。
翌朝、夜明け前のララサ村。
朝霧が薄く漂う静まり返ったクルセイダー家の台所で、俺ことリオス・クルセイダー(5歳)は、極限の隠密ミッションを遂行していた。
標的は、昨晩の夕食で余った『米麦草』の冷や飯、自家製の燻製シーブピッグから切り出した白いラードの塊、庭の鶏小屋から今朝採れたばかりの新鮮な生卵、そして裏庭に生えている香草ネギだ。
(……足音を殺せ。気配を消せ。闘気を毛穴の内側に完全封絶しろ)
二階の寝室には、大陸全土にその名を轟かせた元S級冒険者夫婦が眠っている。
父親はわずかな殺気にも反応して大剣を抜く野生の勘を持ち、母親に至っては生命探知の神聖術式を無意識に常時展開している化け物だ。
万が一、5歳児が早朝に食材を抱えて森へ脱走しようとしているのがバレれば、「あらリオス、朝のランニングかしら?」「よし、丸太を担いで滝壺までダッシュだァ!」という地獄の朝練コースに直行である。
俺は【アイアン】を微弱に起動し、台所の勝手口の鉄製閂を分子レベルで浮かせ、一切の金属摩擦音を立てずに開錠した。
木箱に詰めた食材を抱え、影のように音もなく庭をすり抜ける。
「ふぅ……現場の安全確認、完了。よし、行くぞ」
朝日が昇り始める森の獣道を、俺は秘密基地へと疾走した。
* * *
森の奥深く、岩壁の洞穴――俺たちの秘密基地。
ひんやりとした朝の空気が満ちる洞穴の中央に、俺は昨日千五百度の溶銑から直接錬成したばかりの『南部鉄器風フライパン』をセットした。
「さぁて、まずは一番大事な『油ならし(シーズニング)』からだ」
新品の鉄鍋は、そのまま食材を放り込んでも焦げ付くだけのただの鉄屑だ。
鉄の表面には、肉眼では見えない無数の微細な凹凸――『ポーラス(微細孔)』が存在している。
そこに油を注ぎ、加熱して分子レベルで焼き付けることで、鉄の表面に不粘着性の酸化重合膜(ポリマー層)を形成しなければならない。これが、いわゆる「フライパンを育てる」という職人の儀式である。
持参した魔導カセットコンロのツマミを捻り、点火する。
青い魔導炎が、フライパンの分厚い底面を舐め上げる。
煙がうっすらと立ち上ったところで、シーブピッグの上質なラードをひとかたまり投入。
ジュワワワッ!と小気味よい音を立てて純白の脂が溶け出し、漆黒の鉄肌を滑らかに濡らしていく。
さらにネギの青い葉の部分をちぎって放り込み、鉄特有の金属臭を香草の香味成分で完全にマスキングした。
鍋肌に艶やかな黒光りが宿り、極上の油膜が完成した、まさにその時――。
「――くんくん……! なんだこの、暴力的に美味そうな匂いはァッ!?」
洞穴の入り口のツタが乱暴に跳ね除けられ、尖った豹耳をピンと立てたシャルムが飛び込んできた。
手には木槍を握りしめ、琥珀色の瞳をギラギラと輝かせている。
野生の肉食獣の嗅覚を舐めてはいけない。村からここまで、匂いだけを頼りに全力疾走してきたらしい。
「あ、シャルム君ずるーい! 置いてかないでって言ったのにぃ〜!」
続いて入ってきたのは、息を切らしながら世界樹の若木を杖代わりに引きずっているルナだった。
プラチナブロンドの長い髪を朝露で濡らしながら、俺の手元を覗き込んで目を丸くする。
「うわぁ……! リオス君、本当に昨日のお鍋で何か作ってる!」
「おう、約束通り来てやったぞ鉄屑! 腹が減って背中と腹がくっつきそうだ! 早くその美味そうな匂いの正体を食わせろ!」
シャルムが涎を垂らしそうになりながら、洞穴の敷石の上で前のめりに座り込んだ。
「騒ぐな、野良猫。今から作るんだよ。……刮目して見てろ、これが現代日本の現場を支えた至高の男飯――『黄金チャーハン』だ」
俺は深呼吸し、魔導コンロの火力を最大に引き上げた。
轟ッ!と青白い炎がフライパンの側面を包み込む。
普通の薄いフライパンなら一瞬で熱に負けて底が歪み、食材を投入した瞬間に急激な温度低下を起こしてしまう。
だが、俺が錬成したのは底厚五ミリ、炭素濃度三・五パーセントの極厚鋳鉄だ。
千五百度の溶銑から叩き上げられた鋼鉄は、火炎の熱エネルギーを逃さず内部にギュウギュウに溜め込み、熱の塊となって赤黒く脈動し始めた。
(蓄熱量、限界突破……今だ!)
カンッ!とフライパンをあおり、余分な油を切る。
新たにラードを一匙落とし、すかさず溶き卵を三つ、一気に流し込んだ。
ジュバァァァァァッッ!!
洞穴の中に、雷鳴のような強烈な爆裂音が轟いた。
激しい油煙と共に、卵が一瞬にして黄金の雲のようにフワッと膨れ上がる。
「うわっ!? 黄色い泡が爆発したぞ!?」
シャルムが目を丸くして飛び退く。
だが、見惚れている暇はない。
卵の底面が固まり、表面がまだトロトロの半熟であるコンマ数秒の刹那――俺は木鉢に盛られた冷や飯を、豪快にド真ん中へ投下した。
ドサッ!!
「なっ……冷たい飯をそんなに入れたら、鍋が冷めちまうぞ!?」
狩人の直感を持つシャルムが叫んだ。家庭の薄鍋を知る者なら当然の危惧だ。
「甘ぇよシャルム! この鉄鍋の蓄熱性を舐めるなッ!」
ジュウウウウウウウッ!!
冷飯が入っても、フライパンの温度は一ミリたりとも下がらない。
むしろ底面から吹き上がる猛烈な輻射熱が、米麦草の水分を一瞬にして爆発的に蒸発させていく!
(お米の表面のデンプンを、半熟の卵膜で一粒残らずコーティングする……!)
俺はフライパンの柄を握り、全身の闘気を腕に込めて、前後に力強くスナップを利かせた。
ザッ! ザッ! ザザザッ!!
極厚のフライパンが宙を舞い、重力に従って黄金の米粒が美しい弧を描いて天井近くまで跳ね上がる。
空中で熱風を浴びた米粒は、余分な水分を完全に失い、互いにくっつくことなくパラパラと解けて鍋肌へと吸い込まれていく。
米が踊っている。一粒一粒が、黄金の鎧を纏って生き物のように跳ね回っている!
「すごい……! お米がお空を飛んでるぅ……!」
ルナが緑のエメラルドの瞳を輝かせ、世界樹の若木を両手で握りしめて息を呑んだ。
仕上げに、自家製燻製肉の細切れと、刻み香草ネギを豪快に投入。
そして――。
「香り付けの、焦がし醤油風特製ダレ……回し入れッ!」
鍋肌の最も熱いフチを狙い、大豆を発酵させた塩気のある黒い調味液をツーツーと垂らす。
ジューーーッッッ!!
香ばしいメイラード反応の煙が爆発し、洞穴いっぱいに醤油とネギとラードの焦げた、抗いがたい暴力的なアロマが充満した。
鍋を最後に大きく三度あおり、熱を全体に閉じ込める。
「……完成だ。『至高の黄金チャーハン』、お待ちどう!」
ドンッ!と、平らな木の皿二枚に、山盛りの黄金が盛り付けられた。
立ち上る湯気。
一粒一粒が独立して自立し、油でギトつくことなく、朝日の光を浴びてキラキラと眩い黄金色に輝いている。
具材のネギの鮮やかな緑と、燻製肉の深紅が、完璧な色彩のコントラストを描き出していた。
「「……」」
シャルムとルナは、完全に言葉を失って皿を見つめていた。
この世界において、主食の米や麦は「硬い黒パン」か「どろどろに煮込んだオートミール状の粥」として食すのが常識だ。
こんな風に、米を高温の油と卵でパラパラに炒め上げる料理など、帝国の高級貴族の宮廷料理人ですら見たことがない。
「……おい、リオス。これ、本当に食っていいのか……?」
シャルムがゴクリと喉を鳴らし、震える手で木のスプーンを握った。
「毒なんて入ってねぇよ。冷めないうちに食え」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、シャルムはスプーン山盛りのチャーハンを掬い上げ、大きく開けた口の中へ放り込んだ。
咀嚼した瞬間――。
バチィッ!!と、シャルムの頭の豹耳が限界までピンと直立した。
「――っっっ!?!?!?」
「シャルム君? どうしたの? 痺れ薬でも入ってた?」
ルナが不思議そうに首を傾げる。
だが、シャルムは返事をするどころではなかった。
咀嚼するたびに、口の中で米粒がパラパラと心地よく解けていく。
ラードの濃厚なコクを纏いながらも、決して脂っこくない。卵のまろやかさ、香草ネギの爽快な刺激、燻製肉の凝縮された塩気、そして鍋肌で焦がされたタレの香ばしさが、味蕾を怒涛の勢いで蹂躙していく。
「う、うめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!!」
シャルムは洞穴を揺るがすような大音声で絶叫した。
その目からは、大粒の涙がボロボロと零れ落ちている。
「なんだこれ!? 米が……米が口の中で踊ってやがる! 噛むたびに肉の旨味が溢れ出して、止まらねぇ! 俺、こんな美味いもん生まれて初めて食ったぞ!!」
もはやスプーンの動きは止まらない。
がつがつ、がつがつと、まるで飢えた野生の獣のように、皿のチャーハンを猛烈な勢いで胃袋へとかき込んでいく。
それを見たルナも、恐る恐る小さな木のスプーンで一口掬い、桜色の唇へと運んだ。
もぐ……もぐもぐ……。
「……ふぁ」
ルナの陶器のように白い頬が、ボッと音を立てて真っ赤に染まった。
翡翠色の瞳がトロンと蕩け、世界樹の若木が手から滑り落ちてコロンと転がる。
「おいひぃぃぃぃぃぃぃぃ……っ♡ なにこれぇ、あったかくて、ふわふわで、お口の中がお祭り騒ぎだよぉ〜〜っ!!」
エルフの美少女もまた、完全に理性を吹き飛ばされていた。
普段のおっとりした上品さはどこへやら、小さな両手でスプーンを握りしめ、リスのように頬袋をパンパンに膨らませて夢中でチャーハンを頬張り始めた。
「あふっ、はふっ、おいちい……! 止まらないよぉ〜!」
「おいルナ、俺の肉を取るな! こっち見るな!」
「シャルム君の分の方がお肉おっきいもん! ちょっとちょうだい!」
「絶対にやらん!!」
山盛りにあったはずのチャーハンは、わずか三分で綺麗サッパリと二人の胃袋の中に消え失せた。
米粒一つ残っていない皿を前に、シャルムは満足感に満ちた特大の息を吐き出し、ルナはぽっこりと膨らんだ自分のお腹をさすって幸せそうに目を細めている。
そして――。
シャルムがガタッと立ち上がり、いきなり俺の前に両膝をついて頭を垂れた。
「リオス……いや、リオス様! 俺は決めたぞ! 俺は今日から、一生お前の家来になる!! お前をバカにする奴がいたら俺が槍で全員ブッ刺してやる! だから……だから明日もこれ食わせてくれぇぇぇっ!!」
「いきなり重いわ! 家来なんていらん!」
俺が即座にツッコミを入れると、今度はルナがトタトタと駆け寄ってきて、俺の首元にギュッと抱きついてきた。
甘い花の香りと、チャーハンの香ばしい匂いが混ざり合って鼻腔をくすぐる。
「リオス君……ルナ、決めたよぉ。ルナ、大きくなったら絶対にリオス君のお嫁さんになるぅ〜♡ 毎日リオス君の美味しいご飯を食べて、リオス君のお世話してあげるのぉ!」
「エルフのお姫様が5歳児にプロポーズしてんじゃねぇ! 世界樹の長老たちに俺が暗殺されるわ!」
抱きついてくるルナを引っペがそうとするが、過剰出力の魔力を無意識に纏った腕力はドラゴンの万力並みに強固でビクともしない。
(……やれやれ)
俺は額に手を当てて天を仰ぎ、だが、口元にはフッと満足げな苦笑を浮かべた。
前世の鉄鋼マン時代、職場の現場主任がよく言っていた言葉がある。
『人を動かすのは理屈じゃねぇ。腹を満たし、心を通わせた職人のメシだ』と。
将来、獣人王国の頂点に立つであろう近接戦闘の天才・シャルム。
そして、大陸の理をねじ伏せるほどの規格外の魔力を秘めたエルフの姫・ルナ。
この二人の絶対的な忠誠と好意――いや、『胃袋の支配権』を、俺はこの極厚の鉄鍋一つで完全に掌握したのだ。
(表舞台で輝くべき主役たちの胃袋を握り、安全圏から盤面を動かす……『鋼鉄のフィクサー』の足がかりとしては、最高の滑り出しだな)
「よし、シャルム、ルナ。明日も美味い飯を食わせてやる。……だが、タダ飯とはいかないぞ。飯を食いたきゃ、俺の特訓と作業を手伝ってもらうからな」
「応ともよ! 薪割りでも何でも言ってくれ!」
「えへへ、ルナ、魔法で何でもお手伝いするねぇ〜★」
こうして、森の奥の小さな秘密基地で、後に世界を震撼させることになる規格外の幼馴染トリオが、固い(そして美味い)絆で結ばれたのであった。
読んでいただきありがとうございます。
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