EP 5
秘密基地の誘導加熱(IH)と、1500度の南部鉄器錬成
夕暮れの茜雲が、ララサ村の穏やかな田園風景を赤銅色に染め上げていた。
腹を派手に鳴らしたシャルムとルナを引き連れ、俺は村外れの小川へと足を向けていた。
「なぁリオス、飯を食わせてくれるんじゃねぇのかよ? なんでこんな川原に来るんだ? まさか魚を手掴みで生食いしろとでも言う気か?」
シャルムが不服そうに尖った豹耳をピコピコと動かし、木槍を杖代わりにしながら文句を垂れる。
「ルナ、お魚さんの生臭いの苦手ぇ……。あと骨がチクチクするの嫌だなぁ」
隣を歩くルナも、国宝であるはずの世界樹の若木を引きずりながら、眉を八の字にして唇を尖らせた。
「生魚なんて食わせるかよ。言ったろ、『最高の調理器具』を錬成する手伝いをしてほしいってな」
「調理器具……? 料理の道具なら、リオスの家の台所にいくらでもあるだろ」
「あんなペラペラの銅鍋や粗悪な鉄板じゃ、本物の『炒め物』は作れねぇんだよ」
俺は即座に言い切った。
前世の過酷な鉄鋼現場で、唯一の楽しみだった夜の自炊晩酌。
男の料理において、調理器具への妥協は死を意味する。
この世界の家庭で使われている一般的な鍋やフライパンは、強度が低く熱ムラの激しい薄銅板か、鍛冶師が叩いて適当に伸ばした不純物まみれのナマクラ鉄板ばかりだ。
そんな軟弱な道具で強火の炒め物をしようものなら、食材を入れた瞬間に鍋肌の温度が一気に急降下し、野菜や肉から余計な水分がドバドバと滲み出てベチャベチャの煮浸しになってしまう。
(強火に耐え、熱を逃さず、食材の表面を一瞬で焼き固めて旨味と水分を閉じ込める――男のロマンを体現した『分厚い鋳鉄』がどうしても必要なんだよ)
俺は川原の砂地に膝をつくと、目を細めて足元を見つめた。
川底から打ち上げられた黒みがかった砂。そこには、上流の鉱山地帯から削り取られて流れてきた無尽蔵の砂鉄が眠っている。
「シャルム、ルナ。少し下がってろ」
「あ? 何する気だ?」
俺は両手を砂地の上へかざし、静かに深呼吸した。
起動するのは、教会で『釘を数センチ転がすだけのゴミ』と笑われた我がユニークスキル――【アイアン】だ。
(不純物を弾き出せ。石英、長石、雲母、チタン化合物をミリ単位で排除……フェライトの結晶だけを拾い上げる)
チチチチッ……!
指先から放たれた極小の青白い火花が、川原の砂を舐めるように走った。
瞬間、川原の地面が生き物のように蠢き始めた。
ザザザザッ!と乾いた音を立てて、広大な砂地の中から、黒光りする無数の微粒子が一斉に空へと吸い上げられていく。
夕陽を浴びてキラキラと輝く黒い奔流。それはまるで重力を失った漆黒の竜巻のように、俺の手のひらの上へと収束していった。
「う、うわっ!? なんだこれ!? 砂が勝手に浮いて飛んでいくぞ!?」
シャルムが目を丸くして飛び退き、尻尾をピンと逆立てる。
「わぁ〜! すごいすごい! 黒い竜巻だぁ! えへへ、真っ黒で美味しそう!」
相変わらず味覚と危険察知能力がバグっているエルフの少女が、呑気にパチパチと拍手をした。
みるみるうちに、俺の頭上には直径五十センチほどの巨大な『純度百パーセントの砂鉄の球体』が形成された。
質量にしておよそ三十キログラム。
大人の男でも腰を痛める重量だが、俺の【アイアン】による磁気操作下にある限り、羽毛のように宙に浮き続けている。
「よし、原料の採取完了だ。……行くぞ、俺たちの『秘密基地』へ」
俺は頭上に巨大な鉄球を浮かせたまま、森の奥へと歩き出した。
それを見たシャルムは、顔を引きつらせながらポツリと呟いた。
「……あいつ、本当に『釘しか転がせない無能』なのか……? どう見ても人間やめてるだろ……」
* * *
村の大人たちが決して近づかない、森の奥深くの切り立った岩壁。
ツタと生い茂る低木をかき分けた先に、ぽっかりと口を開けた奥行き十メートルほどの天然の洞穴があった。
ここが、俺が3歳の頃から両親の目を盗んでコツコツと整備してきた秘密基地だ。
外からの視線を遮るように木組みの目隠しを作り、湿気を防ぐために床には平らな石を敷き詰めてある。
「うわぁ……! すげぇ! 森の中にこんな場所があったのかよ!」
シャルムは先ほどまでの警戒心をすっかり忘れ、目を輝かせて洞穴の中を走り回った。少年にとって「秘密基地」という単語は抗いがたい麻薬のようなものだ。
「ひんやりしてて気持ちいいねぇ。あ、あそこにコウモリさんのお家がある〜」
ルナは世界樹の若木を杖にして洞穴の天井を見上げ、ふにゃりと微笑んでいる。
「ここなら煙も光も外に漏れねぇし、音も反響して遮断される。……さて、モノづくりの時間だ」
俺は洞穴の中央に立ち、浮遊させていた砂鉄の球体を目の前の空間へと静止させた。
普通の鍛冶師が鉄器を作るなら、まずは石造りの炉を組み、木炭を山のようにくべ、フイゴで必死に空気を送り続けて何時間も加熱しなければならない。
だが、俺にはそんな設備も時間もない。
(手持ちの武器だけで、炉の限界を超越する。現場叩き上げの知恵を見せてやるよ)
俺が応用するのは、現代日本が生み出した偉大なる調理技術――『電磁誘導加熱(IH)』の基本原理だ。
変動する磁場の中に金属を置くと、金属の内部に「渦電流」が発生する。
そして、鉄自身が持つ電気抵抗によって、その渦電流が凄まじい「ジュール熱」へと変換されるのだ。
要するに、鉄の分子を超高速で振動させ、分子同士の摩擦によって自分自身の熱で内側から焼き溶かす。
(いくぞ……!)
俺は丹田に力を込め、全身の気脈を解放した。
元S級戦士ガリンから受け継いだ強靭無比な肉体と闘気。
元S級僧侶アリアの過剰出力ヒールによって限界突破し続けた、底なしの魔力プール。
5歳児の小さな器から、大人の一流魔導士すら圧倒する莫大なエネルギーが奔流となって噴き出した。
「【アイアン】――超高周波励起!!」
バチバチバチィッッッ!!
青白い電弧が、暗い洞穴の中を昼間のように照らし出した。
空中に静止していた黒い球体の中で、無数の鉄分子が狂ったように超高速振動を始める。
キィィィィィィン……と、耳の奥を劈くような金属の高周波摩擦音が洞穴に響き渡る。
黒かった砂鉄の表面が、わずか数秒で暗褐色へと変色した。
(五百度……八百度……オーステナイト変態点を突破!)
球体が淡い赤色に発光し始める。洞穴の気温が一気に跳ね上がり、肌を焦がすような熱風が吹き荒れた。
「あ、熱っっつ!? なんだこれ!? 火も焚いてねぇのに、鉄が赤くなっていくぞ!?」
シャルムが悲鳴を上げて洞穴の壁まで後退し、顔を腕で覆った。
「きれい……! ねぇリオス君、夜空のお星さまみたい! 触ってもいい?」
「絶対に触るな! 指どころか腕ごと炭化して消滅するぞ!」
呑気すぎるルナを怒鳴りつけながら、俺はさらに魔力と闘気の出力を跳ね上げた。
全身の毛穴から汗が滝のように噴き出し、皮膚がチリチリと焼けるような感覚に襲われる。だが、集中力は寸分たりとも途切れない。
(千百度……千二百度……まだまだ足りねぇ! 炭素を抱き込み、すべての不純物を焼き尽くす臨界点まで――上がれェッ!!)
ズォォォォォッ!!
音を立てて、球体の発光が赤から眩い山吹色、そして目を開けていられないほどの白銀色へと変わった。
(――千五百度! 融点突破!!)
ドロリ。
空中に浮かぶ金属塊が、ついに個体としての輪郭を失った。
オレンジ色の光を放ちながら波打つ、超高温の液体――『溶銑』へと完全相変態を遂げたのだ。
「ひ、火の玉だ……あいつ、手品どころか神話の魔術師かよ……!」
シャルムがガチガチと歯を鳴らして腰を抜かしている。
だが、ここからが前世の鉄鋼マンとしての腕の見せ所だ。
ただ溶かすだけなら子供の火遊びに過ぎない。俺が創り出すのは、至高の料理を約束する究極の調理器具なのだ。
(炭素濃度を、均一に三・五パーセントへ調整……)
刃物に使うなら炭素量は〇・八パーセント前後が理想だが、フライパンに必要なのは硬度や切れ味ではない。
高い蓄熱性と、溶湯の流動性、そして熱衝撃に耐えうる柔軟性。それらを実現する『ねずみ鋳鉄』の組成へと、周囲の炭素原子を原子単位で溶銑の中へと均一に潜り込ませていく。
(成形開始!)
宙に浮かぶ灼熱のオレンジ色の液体が、俺の脳内図面に従って滑らかに変形を始めた。
木型も砂型もいらない。三次元の空間そのものを鋳型とし、磁気拘束によってミリ単位の精度で肉厚をコントロールしていく。
底面の厚みは、強烈な蓄熱力を誇る極厚の五ミリ。
側面は炎を巻き上げるように滑らかなカーブを描かせ、フライパンをあおった際に食材が宙を舞いやすい絶妙な立ち上がり角度をつける。
さらに、持ち手の部分は中空構造にし、調理中に熱が伝わって火傷しないよう、熱伝導の遮断スリットを刻み込む。
そして最後の仕上げ――。
「急冷、ならびに表面酸化処理(黒皮被膜形成)!」
ジュウウウウウウウッッ!!
空中の水分をわずかに引き寄せ、表面温度を一気に五百度まで引き下げる。
熱せられた鉄の表面が空気中の酸素と激しく反応し、赤錆(酸化第二鉄)ではなく、緻密で美しい漆黒の酸化皮膜――『四酸化三鉄』の黒皮が一瞬にして表面全体を隙間なく覆い尽くした。
油馴染みを劇的に良くし、百年の酷使にも錆びない、現代の南部鉄器と同じ不壊の黒い鎧だ。
キン……キィン……。
甲高い余熱の収縮音が、洞穴の静寂の中に澄み渡るように響いた。
白熱の光が完全に収まり、熱気が冷え固まったとき。
宙に浮かんでいたのは――。
濡れたような深い漆黒の光沢を放ち、無骨でありながら機能美の極致を体現した、重厚な一振りの『鉄フライパン』だった。
スッ、と俺が右手を下ろすと、フライパンは重力に従って静かに落下し、俺の掌へと吸い込まれるように収まった。
ズシリ、とした頼もしい重量感。
重心は寸分の狂いもなく手元に寄り、指先に吸い付くような完璧なバランス。
「……ふぅ。一発勝負だったが、上出来だな」
額の汗を袖で拭い、俺は満足感に浸りながらニヤリと笑った。
千五百度の溶銑から直接錬成した、前世の知恵と異世界の魔力が融合した奇跡の鋳鉄フライパンだ。
「お、おい……リオス……」
恐る恐る近づいてきたシャルムが、俺の手に握られた黒い鉄塊を信じられないものを見るような目で見つめた。
「それ……本当に、さっきのドロドロの火の玉から作ったのか……? 魔法も使わずに?」
「魔法じゃない、ただの冶金工学だ」
「ヤキンコウガク……? よく分かんねぇけど、なんだか凄まじい気迫を感じるぞ……。黒くて、すっげぇ頑丈そうだ」
シャルムが指先でコンコンとフライパンの底を叩くと、まるで名鐘のような澄んだ重厚な金属音が洞穴に響いた。
「ねぇねぇリオス君、それ何に使うの? 殴る武器? それとも盾?」
ルナが無邪気に首を傾げながら尋ねてくる。
「武器じゃねぇよ、フライパンだ。飯を作る道具さ」
俺はフライパンを軽く振ってみせ、二人の規格外の幼馴染を見据えて言った。
「今日はもう日が暮れるから解散だが……明日、またここに来い。このフライパンの『火入れ式』を兼ねて、お前らが今まで一度も食ったことがないような、最高に美味い飯を食わせてやる」
「本当か!? 絶対に美味いんだろうな!?」
シャルムの腹が、期待に満ちた特大の音を立てて鳴った。
「わぁい! リオス君のご飯、楽しみだなぁ〜!」
ルナも満面の笑みで飛び跳ねる。
大国の権力闘争も、神々の思惑も届かない、森の奥の小さな秘密基地。
後に帝国全土を揺るがすことになる最強の幼馴染トリオの胃袋を掴む『至高の男飯』の舞台は、こうして鋼鉄の熱気と共に整えられたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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