EP 4
5歳の休日と、規格外の幼馴染ふたり
教会の祭壇で錆びた鉄釘を転がし、「釘しか動かせないハズレスキル持ちの無能」という最高の偽装を勝ち取ってから、早くも2年の歳月が流れた。
俺ことリオス・クルセイダーは、5歳の誕生日を迎えていた。
そして、我がクルセイダー家における日々の英才教育(という名の拷問)は、3歳の頃とは比べものにならないほど苛烈を極めていた。
午前中は、父ガリンによる武術と闘気の基礎訓練。
5歳児の小さな背中に、大人の胴回りほどもある巨大な丸太を括り付けられ、村の裏山を何十往復も走らされる。それが終われば、大人用のずっしりと重い樫の木刀を渡され、元S級大剣使いとの文字通りの『死合い』だ。
父さんは「ガッハッハ! 良い太刀筋だぞリオス! 死ぬ気で踏み込んでこい!」と豪快に笑いながら、丸太のような腕から放たれる剛剣で容赦なく俺を吹き飛ばしてくる。まともに受け止めれば骨ごと砕け散る一撃を、俺は紙一重で見切り、全身の闘気を一点に集中させて受け流す技術を叩き込まれていた。
そして午後は、母アリアによる基礎魔法と大陸史の座学である。
ダイニングテーブルに向かい、分厚い魔導書を延々と読み解くのだが、もしも睡魔に襲われて船を漕ごうものなら――。
「あらリオス、少し集中力が途切れてしまったかしら? 母さんが頭をスッキリさせてあげるわね♡」
母さんは聖母のような極上の笑みを浮かべ、鈍器のような樫の杖から【パーフェクト・ヒール】の衝撃波を俺の頭頂部へ直撃させるのだ。
バチィィッ!!と黄金の魔力が脳髄を揺らし、疲労物質どころか雑念すらも強制的に消し飛ばされる。
脳のシワがツルツルに漂白され、強制的に覚醒させられるあの感覚は、ある意味で父さんの木刀よりも恐ろしい。
だが――そんな地獄のスパルタ生活の中、今日という日は奇跡のような恩赦が下されていた。
「たまには子供らしく、村のお友達と遊んでおいでなさい」
母さんのその一言により、俺は丸一日という貴重すぎる自由時間を勝ち取ったのである。
* * *
「ぜぇ……はぁ……っ、や、やっと娑婆の空気が吸えたぞ……!」
我が家から猛ダッシュで脱出した俺は、ララサ村の広場にある素朴な公園へとやってきていた。
抜けるような青空、心地よい風、そして誰からも木刀を振り下ろされない平和な世界。
前世の25歳独身男性としての魂が、歓喜の涙を流していた。
(さて……せっかくの休みだ。どうやって過ごすか……)
もちろん、ただブランコを漕いで5歳児らしく砂遊びをする気など毛頭ない。
俺の当面の目標は、平穏無事なスローライフの基盤を作ることだ。
そのためには、両親の目を盗んで【アイアン】を思う存分行使できる『秘密基地』を確保し、前世の鉄鋼技術を試作するための設備を整えなければならない。
そんなことを考えながら歩いていると、公園の砂場にしゃがみ込んでいる小さな後ろ姿が目に入った。
陽光を浴びてキラキラと輝く、絹糸のようなプラチナブロンドの長い髪。
透き通るような白い肌と、頭の横からぴょこんと突き出た特徴的な尖った耳。
同じララサ村に住む、俺と同い年のエルフの少女――ルナだった。
彼女は右手に一本の『木の枝』を持ち、真剣な表情で砂の上にガリガリと何かを描き殴っていた。
……いや、待て。
木の枝にしては、周囲の大気を歪ませるほどの凄まじい生命力と神聖魔力の燐光が漏れ出ている。
あれはどう見ても、エルフの聖域にしか存在しないはずの伝説のアーティファクト『世界樹の若木』そのものだ。あんな国宝級の代物を、なぜ5歳児の少女が砂遊びの落書き棒代わりに振り回しているのか。
「……何を描いてるんだ、ルナ?」
俺が背後から声をかけると、ルナはパッと顔を輝かせて振り返った。
宝石のように澄んだエメラルドグリーンの瞳が、俺を捉える。
人形のように完成された美少女である。将来は間違いなく傾国の美女になるだろう。
「あ、リオス君! えへへ、見て見て〜! リオス君のお顔を描いてるの!」
ルナは自慢げに胸を張り、砂場に描かれた作品を指差した。
俺は視線を落とし、そして静かに眉間を押さえた。
そこにあったのは、およそ人道的な倫理観を疑うような、禍々しい異形の落書きだった。
四角い輪郭から無数に生えたトゲ、血走った巨大な単眼、そして裂けた口から垂れ流される謎の液体。
「……これが、俺?」
「うんっ! 力強くて、すっごく格好いいでしょ?」
「どこがだよ。深海から引き揚げられた古代の怨霊にしか見えねぇよ」
「えぇ〜!? ひどいよぉ! 一生懸命描いたのにぃ……!」
ルナの大きな瞳に、みるみるうちに大粒の涙が溜まっていく。
前世で女性に免疫のなかった元鉄鋼マンにとって、美少女の泣き顔はドラゴンのブレスよりも破壊力が高い。
「う、わ、分かった! 悪かったよ! じっとしてるから、もう一回描き直してくれ!」
「ホント!? えへへ、じゃあ動かないでね!」
一瞬で満面の笑みに戻るルナ。
(……女って、5歳児の時点ですでに恐ろしい生き物だな)
俺は溜息をつき、砂場の前で直立不動の姿勢を取った。
ルナは世界樹の若木を構え、「お鼻がこうで、お口がこうで……」とブツブツ呟きながら真剣に砂を引っ掻き始めた。
退屈な時間が流れる。
5分経過。
俺がそろそろ足の痺れを感じ、欠伸を噛み殺そうとした――その瞬間だった。
「――よぉ! 鉄屑ッッ!!」
背後から、けたたましい雄叫びと共に、鋭利な殺気が一直線に突き刺さってきた。
空気を切り裂く風切り音。
俺は反射的に上体を横へ倒し、直感を信じて半歩横へ滑り込む。
ヒュンッ!!と、俺の耳元を鋭い蹴りが掠めていった。
空振りに終わった蹴りの風圧だけで、砂場の砂がバッと舞い上がる。
着地したのは、褐色の肌に豹の耳、そして斑点模様のしなやかな尻尾を生やした少年だった。
手には子供用の木槍を構え、琥珀色の瞳をギラギラと吊り上げている。
かつてレオンハート獣人王国の将軍を務めていた猛将クルーガーの息子――シャルムだ。
「ちっ、避けやがったか! 反応だけは一人前だな、ハズレスキルのリオス!」
「いきなり人の後頭部を蹴っ飛ばそうとする奴があるか! 危ねぇだろ、野生のクソ猫が!」
「猫じゃねぇ、誇り高き豹耳族の戦士だ! 父上から『戦場では常に先手を打て』と教わったんだよ!」
シャルムは木槍を構え直し、ニヤリと不敵に笑うと、体内の闘気を一気に跳ね上げた。
その瞬間、彼の身体の輪郭がブレた。
「喰らえ! 俺のユニークスキル――【ダブル】ッッ!!」
ボフンッ!と煙が立ち込め、シャルムの真横に、全く同じ姿形をした『もう一人のシャルム』が出現した。
残像ではない。質量も闘気も完全に同等の、本物の分身だ。
5歳児にして、すでに近接格闘のエリートとしての才能を開花させつつある規格外の獣人。
左右から同時に、二人のシャルムが木槍の穂先を突き出して突っ込んでくる。
「はさみ撃ちだ! 降参するなら今のうちだぞ!」
だが――俺は慌てない。
毎朝、父ガリンの理不尽すぎる超重量スイングを掻い潜ってきた俺にとって、5歳児の突進など止まって見えるに等しい。
(右が本体、左が分身か……? いや、どっちも本物だな。だが――)
俺はあえて武器を抜かず、身を沈めて二本の木槍の軌道を見極めた。
突きの切っ先が鼻先をかすめる瞬間、懐へ潜り込む。
そして、すれ違いざまに右側のシャルムの『斑点尻尾』を、ガッチリと素手で引っ掴んだ。
「ぎゃっ!? し、尻尾を掴むなァッ!!」
尻尾を急ブレーキ代わりに引っ張られた右のシャルムがバランスを崩し、突進の勢いのまま左のシャルムへと派手に突っ込んだ。
分身していても、急所の痛みと衝撃はきっちり本体へフィードバックされるらしい。
ドッシャァァァンッ!!
もつれ合い、砂埃を巻き上げながら豪快にすっ転ぶ二人のシャルム。
煙が晴れると、分身は消滅し、砂まみれのシャルムが一人、目を白黒させて転がっていた。
「い、痛ってぇぇぇ……! 卑怯だぞ鉄屑! 戦士なら正面から槍を受け止めろ!」
「不意打ちを仕掛けてきた奴がどの口で『戦士』を名乗ってんだ! 現場じゃな、安全確認を怠った奴から怪我するんだよ!」
「あんだとコラァッ!」
「やるか野良猫!」
そこからはもう、闘気もスキルも関係ない。
ただの5歳児同士の、泥まみれの取っ組み合いの喧嘩である。
俺の中身は25歳の社会人だが、理不尽に売られた喧嘩をスルーするほど人間ができているわけじゃない。
「痛い! 髪を引っ張るな!」
「お前こそ足を踏むんじゃねぇ! 爪を立てるな!」
砂場の上をゴロゴロと転がり回りながら、互いの頬を引っ張り合う。
せっかくの休日が完全に台無しだ。
ふと、俺は我に返った。
(……しまっ、ルナがいるんだった! こんな野蛮な殴り合いを見せられたら、エルフのお嬢様が怖がって泣き出しちまう――!)
俺は慌ててシャルムの頭を押さえつけ、喧嘩を止めようとルナの方を振り返った。
だが。
「……あ」
そこにいたのは、怯える可憐な美少女などではなかった。
ルナは両手に世界樹の若木を握りしめ、目を爛々と輝かせながら、砂場の縁でピョンピョンと跳ねていた。
頬を桜色に染め、極上の天使のような笑みを浮かべながら、その鈴を転がすような美声で叫ぶ。
「ふたりとも、もっと頑張って〜! 遠慮しないで顔面を殴り合って〜! 血飛沫とか出た方がカッコいいからぁ〜〜っ!!」
「「……」」
時が止まった。
極上の美少女から放たれた、あまりにも純粋で、あまりにも狂気に満ちた天然サイコパスの歓声。
砂まみれの俺とシャルムは、ピタリと取っ組み合いを止め、顔を見合わせ、そして同時にルナへ向かって全力のツッコミを叩き込んだ。
「「無茶苦茶言うな! 血が出るわッッ!!」」
* * *
公園の隅、生い茂る大木の木陰。
村の子供たちが繰り広げるドタバタ劇を、腕を組んで静かに見つめる一つの巨影があった。
レオンハート獣人王国の元将軍、クルーガー。
全身に歴戦の古傷を刻み、かつて敵国の軍団を単身で壊滅させたと言われる歴戦の猛者である。
「……ふむ」
クルーガーは厳格な顔つきのまま、隻眼を細めて公園の中央を観察していた。
息子シャルムの【ダブル】は、獣人族の中でも数世代に一人しか現れない稀有な戦闘天賦だ。
すでに5歳にして大人顔負けの闘気を纏い、速度と手数においては同年代の追随を許さない。
奇襲を仕掛けたシャルムの攻撃は、並の大人であっても回避は困難だったはずだ。
だが――。
(ガリンとアリアの息子、リオス……か)
クルーガーの視線が、砂を払いながらシャルムの頭をペシペシと叩いている少年に注がれる。
教会の鑑定では「釘を数センチ転がすだけのハズレスキル」と判定され、村人たちからは落ちこぼれと憐れまれている少年。
しかし、先ほどの身のこなしはどうだ。
シャルムの不可視の奇襲を、まるで風の流れを読むかのように最小限の動きでわした。
さらに、分身の特性を瞬時に見抜き、本体の急所である尻尾を正確に捕縛して同士討ちへと持ち込んだあの戦術眼。
無駄な力みが一切なく、体幹はドラゴンのように揺るがない。
(スキルこそ雑用であれ、あの眼光……そして骨の髄まで叩き込まれた『戦いの理』。元S級夫婦の英才教育の賜物か、それとも――)
クルーガーは口元に、歴戦の武人特有の猛々しい笑みを浮かべた。
(シャルムよ、良い好敵手を持ったな。あの少年は、いずれお前の背中を預ける無二の友となるか、あるいは世界を裏から操る怪物となるぞ……)
* * *
そんな歴戦の将軍の深謀遠慮など、当の本人たちには知る由もない。
「痛ってぇ……砂が目に入ったぞ、リオス」
「自業自得だバカ。ほら、水筒の水で洗え」
夕暮れ時、茜色に染まる公園のベンチで、俺たちは並んで腰を下ろしていた。
シャルムは不貞腐れながら俺から受け取った水筒で目を洗い、その横でルナは「ふふ、仲直りできてよかったねぇ」と、相変わらず天然の微笑みを浮かべている。
(やれやれ……とんでもない幼馴染たちだぜ、まったく)
脳筋の元S級両親。
喧嘩っ早いが根は純粋な獣人の戦士シャルム。
そして、圧倒的な美貌の裏に破壊的な狂気を秘めたエルフのルナ。
前世の鉄鋼マン時代、毎日一人で残業し、コンビニの弁当を啜るだけだった俺の人生とは、まるで別世界だ。
騒がしくて、理不尽で、胃が痛くなるような日常。
だが――不思議と、嫌な気はしなかった。
(こいつらと笑って暮らすためにも……俺がしっかりしなきゃならねぇな)
シャルムはいずれ、一族の誇りを背負って過酷な戦場へ赴くことになるだろう。
ルナのその膨大な魔力も、いずれ欲深い貴族たちの標的になるかもしれない。
表舞台で輝くべきあいつらを、理不尽な障害や悪意から守り抜くために。
俺には、誰も踏み込めない絶対的な力と、安全圏が必要だ。
「なぁ、リオス。腹減ったな」
シャルムが腹をグゥと鳴らしながら、情けない声を出した。
「ルナもお腹すいちゃった〜」
二人の幼馴染が、期待のこもった目で俺を見つめてくる。
俺は立ち上がり、ポケットの砂を払いながらニヤリと笑った。
「よし……じゃあ、俺についてこい。美味い飯を食わせてやる。ただし、その前に――森の奥で、最高の『調理器具』を錬成する手伝いをしてもらうぞ」
すべてを裏から統べる『鋼鉄のフィクサー』への道。
その第一歩となる秘密基地の建設と、千五百度の溶銑を使ったモノづくりの時間が、いよいよ始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




