EP 6
戦慄の貴賓席と、忍び寄る天敵
「……キュロスよ。今のあの一撃、お前の目にはどう映った?」
闘技場が未曾有の大歓声に揺れる中。
最上段の貴賓席では、分厚い防弾ガラスの向こう側で、ルナミス帝国最高権力者であるマルクス皇帝が、低くしゃがれた声で尋ねていた。
彼は『国家という怪物』を統治する重圧からか、ひどく疲労した顔で胸をさすりながら、闘技場の中央に立つ獣人の少年を見下ろしている。
「恐るべき事態です、陛下」
数多の戦場を渡り歩いてきた歴戦の猛将、近衛騎士団長キュロスの額には、一筋の冷や汗が伝っていた。
「あの槍から放たれた衝撃波には、一切の『魔力』の残滓がありませんでした。純粋な身体能力と、槍の持つ『空気を圧縮する構造』だけで、帝国軍の誇る重装甲を紙くずのように吹き飛ばしたのです」
「……魔力がない、だと?」
マルクス皇帝の眼光が鋭く光る。
徹底した現実主義者であり、『銃・病原菌・鉄』が文明を分かつという思想を持つ皇帝は、その事実が持つ『地政学的な意味』を瞬時に理解した。
「いかに強大な魔法使いであろうと、魔力が尽きればただの人だ。だが、あの槍は違う。魔力を持たぬ平民であっても、あれを持てば高位魔導師に匹敵する破壊力を『無尽蔵』に生み出せるということか」
「御意。……もしあの武器が量産され、一軍を編成されれば、周辺諸国とのパワーバランスは一夜にして崩壊します。既存の対魔法防壁など、何の役にも立ちません」
戦場の常識を根底から覆す、オーパーツ(異常な兵器)。
キュロスは武者震いを抑えるように拳を強く握りしめた。
「あの獣人の少年も素晴らしい才能ですが……真に恐るべきは、あの『神殺しの兵器』を創り上げた未知の鍛冶師です。陛下、直ちに国を挙げてあの槍の製作者を特定し、帝国の保護下――いや、管理下に置くべきかと」
「うむ。……だが、手がかりはあるのか?」
皇帝の問いかけに。
今まで背後で静かに控えていた狼耳族の内務官、オルウェルが一歩だけ前へ出た。
「ご安心を、陛下。……すでに『特定』は済んでおります」
オルウェルは、冷徹な理性を宿した瞳で、分厚いガラス越しに闘技場の「観客席の最後列」を見つめていた。
「あの槍には、魔法の匂いが一切しません。代わりに、極限まで不純物を取り除かれた『高純度の鉄』と『炭素』……そして、わずかな『油』の匂いが染み付いています」
オルウェルの狼の耳がピクリと動き、数万人の群衆が発するノイズの中から、特定の『心音』と『足音』だけを抽出していく。
「そして今。この闘技場でたった一人だけ……あの槍とまったく同じ『鉄と炭素と油』の匂いを体に染み付かせている少年が、東のゲートからこっそりと立ち去ろうとしています」
「……なんと」
「加えて、先ほど闘技場で荒稼ぎをしていた歌姫の少女。彼女が着ていた衣装の防具パーツからも、同じ鉄の匂いがしました。……間違いない。すべてを裏で操っている『影の指揮者』は、あの少年です」
魔法に頼らない、圧倒的な『情報分析』。
オルウェルは一礼すると、音もなく貴賓席の扉へ向かった。
「私が直々に接触し、連行してまいります」
* * *
「ふぅ……。シャルムの奴、ちょっと派手にやりすぎたな」
その頃。
俺は、熱狂に包まれる闘技場をこっそりと抜け出し、薄暗い東ゲートの裏通路を歩いていた。
(まぁいい。あいつが目立てば目立つほど、俺の存在は裏に隠れる。これで第一関門は突破だ。さっさと宿屋に帰って、徹夜の分を取り戻すとするか)
大きく欠伸をして、誰もいない裏路地の角を曲がろうとした。
――その時である。
「素晴らしい手際だ。実に見事な『マネジメント』だったよ」
背筋が凍るような、静かで冷たい声。
気配も、足音すらも一切なかった。
気づけば俺の目の前に、帝国の仕立ての良い制服を着た、狼耳族の男が立っていたのだ。
「……えっと、誰ですか? すいません、俺、トイレ探してて……」
俺は咄嗟に「ただの迷子の学生」を装い、愛想笑いを浮かべた。
だが。
男――内務官オルウェルは、微塵も表情を変えず、俺の顔のすぐ横の壁に『ドンッ』と手をつき、逃げ道を塞いだ。
「心拍数75、発汗量微小。瞳孔の揺れなし。……君、嘘をつくのがとても上手いね。まるで熟練のスパイのようだ」
「……」
オルウェルの冷たい瞳が、俺のすべてをスキャンするように見下ろしてくる。
「とぼけても無駄だよ。君の指先から漂う高純度タングステン鋼の匂い。微かに付着した冷却油。そして……君の心臓の鼓動は、先ほどあの獣人の少年が槍を突き出した瞬間だけ、完全に『同期』して跳ねた」
(……なっ!?)
俺は内心で舌打ちをした。
匂いだけじゃない。鼓動の変化すら聞き取れるだと?
ワイズのようなアホな神や、メッキでイキるバカ貴族とは根本的に次元が違う。こいつは完全に『論理と科学』で俺の正体を暴きに来ている。
「君が、あの『神殺しの兵器』を創った鍛冶師であり、あの少女たちを操る『影の支配者』だね?」
オルウェルの口角が、ほんのわずかに吊り上がった。
「さぁ、皇帝陛下の御前へご同行願おうか。……拒否権はないよ」
薄暗い裏通路。
帝国の絶対的な『監視網』が、俺の首元に冷たい刃を突きつけていた。




