EP 3
チャリティ(物理)と、静かなる怪物たち
ルナミス帝国・王都の大闘技場。
収容人数5万人を誇る巨大なすり鉢状の会場は、近衛騎士選抜の『御前試合』を一目見ようと集まった群衆の熱気で、地鳴りのような歓声に包まれていた。
「……ふぅむ。今年の若手は、少しは骨のある奴がいるのかね? キュロスよ」
闘技場の最上段に設けられた、分厚い防弾ガラス張りの貴賓席。
そこにドカッと腰を下ろした初老の男――帝国最高権力者、マルクス皇帝が、疲労の色が濃い顔で首の骨をポキポキと鳴らしながら尋ねた。
国家という巨大な怪物を統治する重圧からか、彼の顔色は優れず、時折ひどく息苦しそうに胸を押さえている。
「さて、どうでしょうな。平和ボケした温室育ちばかりでなければ良いのですが。実戦の恐怖を知らぬ刃など、私の前では木の枝と同義です」
皇帝の傍らに立つ、筋骨隆々の隻眼の男。
帝国最強の武人であり、戦闘狂の異名を持つ近衛騎士団長キュロスが、獰猛な笑みを浮かべて闘技場を見下ろした。彼から漏れ出る闘気だけで、貴賓席の空気がピリピリと凍りつくようだ。
そして、もう一人。
「陛下、お加減が優れないようですね。血流の音が、普段より20%ほど濁っておられます。後で専属の治癒魔導師を呼びましょう」
皇帝の背後で、一切の足音を立てずに控えている狼耳族の男。
内務官オルウェルである。彼は手元の書類から目を離すことなく、ピクピクと狼の耳を動かし、皇帝の体調を『音』だけで完璧にプロファイリングしていた。
「……相変わらず耳が聡いな、オルウェル。いや、よい。いつもの持病の血栓だ。……それより、下で妙な騒ぎが起きているようだが?」
マルクス皇帝が、闘技場の片隅を指差した。
『さぁさぁ皆様! これから血を流して戦う誇り高き戦士たちへ、愛と祈りのチャリティコンサートですの! 少しでも心に響いたら、そこの箱に浄財をお願いしますわーっ!!』
闘技場の選手待機所のすぐ横。
みかん箱の上に立ったリーザが、自前の魔導マイクを握り締め、ゲリラライブを開始していたのだ。
『ラブ&マネー! あなたの愛を金貨に変えてーっ♪』
リーザの圧倒的な歌唱力と共に、超高濃度の『身体能力向上バフ』が、光の粒子となって周囲の選手や観客に降り注いでいく。
「うおおおおっ!? なんか知らんが、全身の疲れが吹き飛んだぞ!!」
「力が漲ってくる!! 女神だ、戦の女神の歌声だ!!」
「俺の財布の中身、全部持ってけぇぇぇっ!!」
チャリン、チャリン、ドサァァァッ!!
闘技場の一角が狂乱の渦と化し、リーザの足元に置かれた箱に、雨あられのように銀貨や金貨が投げ込まれていく。
「……あいつ、こんなデカい舞台でもブレねぇな」
少し離れた観客席の最後列。
俺は、串焼き肉を齧りながら、荒稼ぎするリーザの姿を呆れ半分、感心半分で眺めていた。
今日、俺は完全に『観客』に徹するつもりだ。シャルムには昨晩、徹夜で仕上げた『最上の槍』を渡してある。あとはアイツが、この大舞台で最高の結果を出すのを見届けるだけである。
だが。
俺は気づいていなかった。貴賓席から、鋭すぎる『獣の嗅覚』が、この不自然な狂乱を静かに分析していたことに。
「……ほう」
貴賓席のオルウェル内務官が、鼻をヒクつかせ、目を細めた。
「オルウェル、どうした? あの小娘の歌が気になるか?」
キュロス団長が訝しげに尋ねる。
「ええ。……あの少女の歌声自体も素晴らしいですが、問題は『魔力の波形』です。あれだけ広範囲に強力なバフをばら撒きながら、魔力の乱れが一切ない。まるで……背後に極めて緻密な計算式を組み上げる『指揮者』がいるような、不自然なまでの安定感だ」
オルウェルは狼の耳をすませ、膨大な観客の歓声の中から、微かな『異物』の音と匂いを抽出していく。
「……匂いますね。甘い歌声に隠された、冷徹で計算高い……『鉄』の匂いが」
オルウェルの氷のような視線が、闘技場を俯瞰し、やがて――観客席の最後列で串焼きを齧っている『平凡な学生』の姿を、数万の群衆の中から正確に捉えた。
(……見つけた。あの歌姫のマネジメント、そしてこの闘技場に漂う微かな鋼の気配。すべて、あの少年が裏で糸を引いているね?)
帝国最高の頭脳を持つスパイマスターが、ついに『影のフィクサー』の尻尾を掴んだ瞬間だった。
「さぁ、御前試合を始めようか」
マルクス皇帝の重々しい宣言と共に、闘技場に開戦の銅鑼が鳴り響く。
誰もが血湧き肉躍る戦いに目を向ける中。
ただ一人、オルウェルだけが、獲物を狙う狼のような鋭い眼光で、観客席のリオスを見下ろしていた。




