EP 7
歌姫の重すぎる哲学と、男の約束
セメントまみれになったリーザが、水道でジャージを洗い終え、夕陽に染まる第7グラウンド裏に戻ってきた頃。
未完成のまま放置された木組みの粗末なステージの縁に、見慣れたジャージ姿の少年が腰掛けていた。
「おう。休憩しろ、リーザ」
俺は、魔法ポーチから取り出した手作りの『塩むすび』を、ぽいっとリーザに向かって放り投げた。
「わぁっ! ありがとうございますぅ!」
リーザはそれを見事なキャッチで受け取ると、泥だらけの顔をパァッと輝かせた。
底辺のサバイバル生活を送る彼女にとって、俺の作る飯は命綱に近い。
リーザは俺の隣にちょこんと座ると、大きな口を開けて塩むすびにかぶりついた。
「ん〜っ! 美味しいぃ! お米が立ってますの! 最高ですぅ!」
「喉詰まらせるなよ」
俺は水筒のお茶を渡しつつ、呆れたように笑った。
そして、夕陽に照らされた、みすぼらしい空き地と木材の山に視線を移す。
「……なぁ。歌は好きか? リーザ」
俺がふと尋ねると、リーザは塩むすびをモニュモニュと咀嚼するのを止め、ゴクリと飲み込んだ。
そして、海のように澄んだ水色の瞳を、真っ直ぐに俺へと向けた。
「はい! 大好きです!」
迷いのない、即答だった。
だが、その後に続いた言葉は、俺の想像していた「みんなを笑顔にしたい」というような、ありふれた綺麗事ではなかった。
「私がステージに立って歌うと、ファン達の『時間』を奪うことができるんです」
「……時間を奪う?」
「そうです。みんな、仕事や生活で辛いことや、考えなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに。私が歌っているその瞬間だけは、全部忘れて、私だけを見てくれるんですの」
リーザの瞳の奥に、ただの純真さではない、ある種の『狂気』にも似た執着の炎が揺らめいた。
「だから、私は……ファン達の『世界』そのものになりたいんです。彼らの視線も、お金も、心も、何もかもを全部奪い尽くして……その代わり、彼らの人生に『宇宙一の幸せな時間』を味わわせてあげるんですの」
それは、全てを奪い、全てを与えるという、極端で重すぎる『アイドル哲学』。
自分が血を吐いてでも他者を癒やすキャルルのヤンデレ気質とはまた違う、強欲で、傲慢で、それでいて純度100%の愛の形だった。
パンの耳をかじり、みかん箱の上で泥水をすすりながらも、彼女は本気で『ファン(他者)の人生を背負う』覚悟を決めているのだ。
(……ははっ。こいつは……すげぇな)
俺の胸の奥で、静かに火花が散った。
眩しい。こいつの持っている夢と覚悟は、圧倒的に眩しい。
俺みたいな、事勿れ主義で引きこもりたいだけの凡人には、到底抱けない『バケモノの器』だ。
なら、俺のやるべき事は一つしかない。
「……そうか。お前の歌、楽しみにしてるぜ」
俺が静かに笑って言うと、リーザはコトリと首を傾げ、悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふっ。リオス君も、私の歌で虜にしてみせますからね♡」
「上等だ」
俺は、リーザのその挑発を正面から受け止めた。
お前が観客の全てを奪う、宇宙一の歌姫だというのなら。
こんな泥まみれの空き地や、上級生に鼻で笑われるようなみかん箱の上は、お前には似合わない。
(見てろよ、リーザ。……お前のその狂ったような夢を乗せるのに相応しい『最高のハコ』を、俺が用意してやる)
夕陽が沈み、王都に夜の帳が下りようとしていた。
明日はいよいよ、学園祭の前日。
俺の『裏のプロデューサー』としての初めての仕事が、静かに幕を開けようとしていた。




