EP 4
空っぽの器と、真夜中の男飯
ルナミス学園、男子寮の共同キッチン。
時計の針が深夜零時を回った頃、薄暗い部屋の片隅で、シャルムは丸椅子に深く腰掛け、力なく項垂れていた。
普段はピンと立っている豹の耳は力なく垂れ下がり、自慢の金糸の髪もボサボサになっている。
夕方からずっとこの暗がりの中で、彼は一人、壊れてしまった自分の『復讐の理由』と向き合い、ただ虚空を見つめ続けていた。
「…………」
そこへ、静かに足音が近づいてきた。
ジャージ姿の俺だ。
俺は暗闇に沈むシャルムを一瞥したが、何も聞かなかった。
夕方、中庭から顔面蒼白で駆け去っていく彼を見ていたし、キャルルから何を聞いたのかも、大体想像がついていたからだ。
俺は無言のまま、キッチンの魔導コンロに火を入れた。
カチャ、カチャ。
【アイアン】で錬成した特製の鉄フライパンを熱し、ラードを引く。
そこに、分厚く切ったピッグシープの豚肉と、ざく切りにしたニンニクの芽をぶち込んだ。
ジュワァァァァァァッ!!
深夜の静寂を破る、暴力的なまでの肉の焼ける音。
俺はそこに、醤油ベースの特製甘辛ダレを回しかけた。焦げた醤油とニンニクの香ばしい匂いが、暴力的に食欲を刺激しながらキッチンに充満する。
どんぶりに熱々の白飯を山盛りにし、その上に炒めた肉を豪快に乗せる。
仕上げに、真ん中にくぼみを作って『温泉卵』を落とせば、真夜中の特製男飯・スタミナ豚丼の完成だ。
ドンッ。
俺は、俯くシャルムの目の前のテーブルに、そのどんぶりと、お茶の入ったコップを乱暴に置いた。
「……食え。腹が減ってちゃ、悩むものも悩めねぇぞ」
俺はただそれだけ言い残し、少し離れたカウンターに寄りかかって、缶の炭酸水をプシュッと開けた。
「……リオス」
シャルムは、震える手で割り箸を割った。
そして、どんぶりに顔を近づけ、豚肉とご飯を口の中に放り込んだ。
「……っ……うっ」
ガツガツと音を立ててかき込むごとに、シャルムの目から大粒の涙が溢れ落ち、どんぶりの中に吸い込まれていく。
復讐という生きる目的を失い、それでも腹が減る自分の体が恨めしいのか。あるいは、何も聞かずに温かい飯を出してくれた親友の不器用な優しさが沁みたのか。
シャルムは、声を出さずに泣きながら、必死に豚丼を胃袋に詰め込んでいた。
「…………」
俺は炭酸水をチビチビと飲みながら、その背中を静かに見つめていた。
そして、自分の胸の奥に、ぽっかりと冷たい穴が開いていることに気がついた。
(……シャルムは、将軍の息子だ)
今は目標を見失って折れているが、彼には流れる『将軍の血』があり、越えるべき父親がいる。
ルナは、世界樹に選ばれたエルフの次期女王。
キャルルは、国と領民を背負って立つレオンハートの姫君。
リーザは、海の底からやってきて、自分の歌で世界を救えると本気で信じている歌姫だ。
俺の周りにいる奴らは、みんな凄い。
血筋も、背負っている宿命も、見据えている未来も。
(……じゃあ、俺は?)
俺は自問自答した。
前世でブラック企業の鉄鋼マンとして過労死し、異世界に転生してきた俺。
【アイアン】というチートスキルと現代知識を持っているが、俺が望んでいたのは「安全圏からの引きこもりスローライフ」という、極めて後ろ向きで、小さな幸せだけだった。
(俺は何だ? 俺には……あいつらみたいに、命を燃やせるような『眩しい夢』なんて、ねぇ……)
13歳。
かつては5歳児の無邪気さ(という名の偽装)でやり過ごせていたものが、大人へと近づくにつれて、残酷なほど鮮明な『アイデンティティの差』として浮き彫りになっていく。
チート能力があっても、魂の根底にあるのは『疲れた凡人』のままだ。
夢に向かって走る幼馴染たちが、今の俺には、直視できないほど眩しく見えた。
「……ごちそう、さま」
どんぶりを綺麗に空にしたシャルムが、赤く腫らした目で立ち上がった。
「おう。洗い物はいい。もう寝ろ」
「……あぁ」
シャルムが力なく自室へ戻っていくのを見送りながら。
俺はカウンターに寄りかかったまま、冷え切った炭酸水を一気に飲み干し、薄暗い天井を長く見上げた。
自分という『空っぽの器』に、一体何を注げばいいのか。
その答えが見つからないまま、ルナミス学園の夜は更けていくのであった。




