EP 3
置き去りの過去と、平和な祖国
ルナミス学園、中等部の放課後。
西日が差し込む静かな中庭で、シャルムは一人、木陰のベンチに座っていた。
13歳になり、背も伸びて顔つきも精悍さを増した彼は、手にした木剣の柄をギリギリと力強く握りしめていた。
その視線の先には、花壇のふちでクラスメイトの女子たちと談笑しながら、ポケットから出した飴玉を配っているウサギ耳の少女――キャルル・ムーンハートの姿があった。
(レオンハート獣人王国、第三王女……)
シャルムの胸の奥で、ドス黒い感情が渦を巻く。
8年前、父親であるクルーガー将軍を失脚させ、自分たちを国から追い出し、母親を死に追いやった現体制の中心にいる王族。
本来なら、問答無用で殴りかかってもおかしくない相手だ。だが、ルナミス学園の生徒である以上、私怨で他国の王族(交換留学生)に手を出せば、国際問題に発展し退学は免れない。
「……ふぅ」
シャルムは木剣をベンチに置き、深く息を吐いて立ち上がった。
敵意を押し殺し、彼はキャルルに向かって真っ直ぐに歩み寄った。
「……おい。ちょっといいか」
シャルムが声をかけると、周囲の女子たちがビクッと肩を揺らして道を開けた。学園の武術大会で無双しているシャルムの闘気は、同年代の生徒たちから恐れられているのだ。
しかし、キャルルだけは全く動じることなく、ウサギの耳をピョコッと揺らして愛くるしい笑顔を向けた。
「はい、なんでしょう? シャルム君。イチゴ味の飴、食べますか?」
「いらねぇよ」
シャルムは差し出された飴玉を冷たく一瞥し、周囲に他の生徒がいないことを確認してから、声を潜めて本題を切り出した。
「……い、今、レオンハート獣人王国はどうなってるんだ?」
シャルムの声は、微かに震えていた。
彼が期待していた答えは、「アーサー王とハガル騎士団長の圧政で民は苦しんでいる」「クルーガー将軍の不在で軍はボロボロだ」というものだった。
自分がいつか国に帰り、憎き仇を討ち果たして一族を再興するための、明確な『理由』と『大義名分』が欲しかったのだ。
だが。
キャルルは、不思議そうにコトリと首を傾げ、心からの明るい笑顔で答えた。
「え? とても活気がある国だよ?」
「……は?」
シャルムの喉から、間の抜けた音が漏れた。
「今の獣人王国は、アーサー王の素晴らしい政策のおかげで、他国との貿易も凄く盛んなの。街には新しい建物がたくさん建って、ご飯も美味しくて。民のみんなも、毎日とっても笑顔で暮らしてるよ!」
キャルルの言葉には、一片の嘘も、嫌味も含まれていなかった。
『星の王子さま』を愛読し、領民を心から愛する彼女の目から見て、現在の獣人王国は疑いようのない「平和で豊かな国」なのだ。
「そんな……嘘だろ……。あの国は、力と権力に飢えた奴らが……!」
「ううん、本当だよ。昔は将軍同士の派閥争いとかで色々大変だったみたいだけど、今はすっかり落ち着いて、とっても良い国になったの。私、自分の国が大好き!」
胸を張って、無邪気に笑うキャルル。
その『悪意のない真実』は、シャルムの心を、どんな鋭い刃よりも深く、無残に切り裂いた。
「…………っ」
シャルムは顔面を蒼白にし、よろめくように一歩後ずさった。
(そ、そうか……)
頭の中で、何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
8年間。ララサ村の裏山で、手に血豆を作りながら槍を振り続けた日々。
母が自分たちを逃がすために笑って残った、あの夜の燃える炎。
いつか力をつけ、王都の学園で将軍へのし上がり、憎き連中を見返してやるという復讐の誓い。
それらはすべて。
(俺や、父上や……殺された母上が、いなくても……)
国は、平和なのだ。
自分たちの一族が血を流して犠牲になったことなど、今の豊かな獣人王国にとっては何の意味も持たない。ただの「過去の些細な政争」として、すでに歴史の隅に置き去りにされているのだ。
(国は回っているのか……。じゃあ、俺たちの犠牲は、なんだったんだ。俺が今までしがみついてきたこの怒りは……一体、誰にぶつければいいんだ……?)
「シャルム君? どうかしたの? 顔色が悪いけど……あ! もしかして、お腹空いてるの? やっぱり飴食べる?」
心配そうに顔を覗き込んでくるキャルルの優しさが、今のシャルムには耐えられなかった。
「……なんでもねぇよ!!」
シャルムはキャルルの手を乱暴に払い除け、逃げるように背を向けて走り出した。
「あ、ちょっと! シャルム君!」
キャルルの声を背中に浴びながら、シャルムは夕陽に染まる中庭を駆け抜けた。
彼の心に燃えていた『復讐という名の道標』は、残酷な平和の現実を前に、完全にその光を失ってしまったのであった。




