第十話 「土砂降りの空」 chapter 15
フロアへと繋がるなだらかなアプローチには左右の部屋へ続く入り口があった。その片方から千鳥足の男がふらふらと飛び出した。煌びやかな調度品に彩られた通路で怪訝な目を向けたその男は、顔を真っ赤に染め上げて泥酔しているように見えた。
「何だ、お前、どっかでーー」
呂律の回らない男の言葉は最後まで発せられる事もないまま、虎徹を突き出した黒猫の一突きで口を閉じる事さえも出来なくなった。
向かい合う黒猫を呆然と見る男は、口先から顔を刃で貫かれても未だ死ねず痛みだけを敏感に感じていた。彼はそんな男を無理矢理後ろ向きに歩かせながら、フロアに降りる階段を一歩ずつ進む。騒がしかったナイトクラブが異常事態に気付いて女の甲高い悲鳴が鳴り響く。
人相の悪い男達は立ち上がって、その相手をしていた女達は恐怖で身動きすら取れなくなる。前を歩く男の足取りは徐々に頼りなく衰えていく。即死しないだけでダメージは充分過ぎる程に与えていた。
完全に息絶えた事を見届けて虎徹の刃を寝かせて横へ薙ぐ。最初に少しだけ抵抗した男の脆い肉体も、その黒い刃の斬れ味には敵わない。
血を噴きながら大理石の床に倒れ込む男は粘着質な音を立てて、ベロア調のカーペットに血の海を作り上げる。再び耳障りな絶叫がナイトクラブを劈く。
けたたましいその音量に黒猫は苛々して、近くにいた女の隣で身を隠すように固まる男をコルト・シングルで撃ち抜いた。
「ーー今からこの店は俺のもんや。全員、一人残らず、皆殺しにしたる。逃げたい奴は今の内に逃げてええぞ」
銃声で静まり返る店内を睨み回して、黒猫は普段と変わらない声で宣戦布告した。
言い終えると同時に女が一斉に逃げ出す。肌着と変わらない薄手の装いで、雷雨の夜へと走り出した。それに紛れるように何人かの男が人波に紛れるのを見て、黒猫は即座に狙いを定めて撃ち殺す。僅か数ミリを弾丸が走り、女は声にならない叫びを湛えてフロアで腰砕けになる。
「いやいや、山田組の連中は別やぞ。やくざやったらやくざらしく腹決めろよ。おい、話聞いてるか?」
血の海に沈む男の腹からドスを拝借して、性懲りもなく逃げようとする男に鋭く投げ付ける。粗雑なダーツゲームによって、男は後頭部へとドスを突き刺さり逃げ惑う女達に倒れ掛かって停止する。
二人の犠牲を見た臆病者は漸く諦めて、その場で立ち尽くすように天井を見上げていた。
「黒猫、まさかお前から出向いてくれるとは。この人数を相手に勝てるつもりなのか? 粋がるのも大概にしとかねぇといけねぇ」
女達が逃げていく様を一番奥の特等席で眺めていた男は、特段焦りも見せずウイスキーを飲みながら黒猫を見ていた。
「猿山の大将がどんな奴か思ったら、その辺のモブと大して変わらんやないか。頼むから目印でも付けといてくれな、何時何処で殺したか忘れてまうわ」
生意気な挑発を嚼ます黒猫に、それまで黙って固まっていた山田組構成員が正気を取り戻したのか奮い立つ。
「組長になんて口の利き方してやがる! ガキが、弁えてから物を言いやがれ」
少年を遠巻きに取り囲む舎弟達が口々に声を荒立てた。壮行会まで開いて士気を発揚しているのに、何とも怠惰な連中に思えた。
「ーー言葉はいらねぇ。結果だけが全てだ。何ボーっとしてやがる。さっさとそいつを黙らせろ!」
組長は悠長な手下達を怒鳴りつけるようにして発破を掛けた。高みの見物を決め込む彼は、自らの手でボトルからウイスキーを注いで事の成り行きを見守る。
黒猫は修羅場の中にあって至って冷静に状況を判断する。敵の総勢は大凡二十人。周囲を取り囲まれた今、最大目標である山田組組長は優雅に酒を楽しんでいた。
無性に腹が立って、彼は近くのテーブルに置き去りにされたシャンパンボトルを大きく煽って飲み干した。続け様に豪華に盛り付けられたフルーツの山から適当に鷲掴みにして口へ放り込む。アルコールと果実の甘みで力が漲っていく感覚を味わった。
「……お前ら、簡単に死ねる思うなよ。俺を敵に回した事、血反吐垂らしながら後悔さしたるわ」
既に疲労はピークを過ぎていた。それでも尚黒猫は虎徹を突き付けて、山田組構成員をゆったりと見渡した。じりじりと距離を詰めてくる敵の一挙手一投足に全神経を傾ける。
構成員達は一斉にそれぞれが携える武器を黒猫に繰り出す。相変わらず武器が粗末な事を除けば、山田組の中では一番まともな戦術と言えた。
連綿と繰り返され、無限に分岐する選択肢を黒猫は都度計算しては最適解で返答する。虎徹を振りかぶり前方の敵を牽制すると、透かさず反転して迫り来る後方に斬り込む。右袈裟掛けに斬り裂いて、先ずは一人。焦りは禁物である。多対一での戦い方の基本は、一人ずつ着実に殺してその数を減らしていく事に尽きる。
すぐ近くの男がドスを殆ど水平に振るい、黒猫の首を斬り付けようと襲い来る。体を屈めて男の懐に入り込むと、痛みが痺れに推移していく左手で握り込んだコルト・シングルが火を吹く。
絶え間なく寄せては返す波のような攻撃を刹那の見切りで受け流し、致命の一撃を相手に見舞う。時には肉弾戦も厭わず、最小限の手間で最大限の効果を探る。
乱戦は体感では数十分にも感じられたが、実際は大した時間も経っていないのかもしれない。不思議と周囲の景色がスローモーションに見えて、感覚が究極的に鋭敏になっていく気がした。
圧倒的な数の敵意を前に、痛む体は血湧き肉躍る。視界を覆い尽くす敵の全てを、残らず駆逐してしまえる程の興奮が彼の中で漲る。
刀は本来両手で扱ってこそ、その真価を発揮する。どれ程に斬れ味を誇っても人間の体を斬り裂くには骨が要るのだ。そもそも体に見合わない大きさの野太刀を片手で扱う為、黒猫は振り回すだけの腕力とは別に全身の筋肉の力を刃に連動させる技術を磨き上げて来た。
斬り裂き、撃ち抜いて、殴って、蹴って。延々とそれらを繰り返した末に気が付けば、ナイトクラブは静まり返りすっかり薄闇に包まれていた。
獣が命懸けの戦いを終えた後のような不確かな足取りで、少年は傷付いた体を引き摺って最も殺しておくべき目標へと近付く。
最後の力を振り絞って、黒猫は返り血を浴びたシャンパンボトルをシャワーでも浴びるように飲み干した。
その間も組長は逃げる素振りさえも見せなかった。多くの構成員に命懸けの命令を下したのだ。その全ての責任を背負う彼には、今更そんな事は許されないのかもしれない。
其処にどんな事情があれど、黒猫にとっては好都合である。左手はまともにコルト・シングルを構える事すら出来ず、右手は虎徹を振るう力も残っていなかった。残された攻撃手段はシャンパンボトル程度が精一杯だった。
武器は選ばない。殺せればそれだけで何もかもが合格なのだ。振り上げたシャンパンボトルを黙ったまま見据える組長の頭へ、黒猫は力の限りで持って振り落とした。




