第十話 「土砂降りの空」 chapter final
「ーーこんなクソガキに山田組が潰される日が来るとはな……黒猫、てめぇは何を目指してんだ? やくざ潰して、それで何が残るってんだ?」
山田組十八代目組長・梁川は額から血を流しながら、ナイトクラブの奥まった個室のカウチソファーへと力なく沈んで言った。
山田組の歴史は五百年にも及ぶ。社会の暗部を密かに歩いては長きに渡って悪行の限りを尽くしてきた。全盛期は政府さえ懐柔してその勢力は加速度的に根を張り巡らせていたのだ。
ほんの数十年前の銀猫との抗争までは独壇場であり、壊滅こそ免れた彼らも改革を余儀なくされる。そんな時代の変わり目に鳴り物入りでのし上がったのが梁川という男。その智慧と手腕で牙を抜かれた獣達を統率して瞬く間に纏め上げる。
彼は古い慣習を零から見直してより合理的に作り替えた。やくざ者としての実践的なビジネスの術を叩き込むと、全盛期には及ばずともその勢力は逞しく拡大して今日に至る。
「……別にお前らなんかどうでもええねん。先の事はその時に自分で考える、揉めたいんやったらとことん揉めたる。それだけの事やろ?」
持て成す女もいない暗いナイトクラブに、躾のなっていない少年は華美な装飾が目立つガラス製のテーブルに腰掛けて煙草を燻らせる。
「おいおい、先に手ぇ出したのはてめぇの方だろ。とんだ我儘野郎じゃねぇか。若い衆の考えてる事はいまいち分からねぇが、意味不明さではてめぇが一番だな」
世代間ギャップを味わって梁川は怒りを超えて最早笑いが漏れる。乾いた笑い声を冷たい眼差しの少年に向けていた。
「アホか。やったやってへんは水掛け論にしかならん。そんなしょーもない事言うてるから、お前らは俺みたいなクソガキに組諸共潰されんねん」
黒猫は長い一日の漸く最後になって、因縁の山田組の組長と向かい合う。
傘下の若頭達との戦いの日々が走馬灯のように思い起こされる。何方が先に何をしたとして、あくまで切欠は切欠に過ぎない。それぞれの立場にそれぞれの正義があるからこそ、人間は何時の時代も争い続けてきたのだ。
黒猫のやってきた事も、山田組がやってきた事も本質的な所で大差はない。弱肉強食の世界で生きる以上は、我を押し通すだけの強さだけが唯一無二の正しさである。
「あんまり大人をナメちゃいけねぇ。俺達は山田組だ。シンパは裏社会の隅々まで、頭の俺ですら把握し切れない程にいる。血で血を洗う戦いは永遠に終わらねぇぞ」
癪に障る笑顔が凍り付くように固まる。深淵を覗き見たその底知れなさに黒猫は吐き気に似た思いが込み上げた。
「上等やないか。誰が相手やろうが知ったこっちゃないねん。俺の邪魔する奴は殺すだけや」
吐き捨てるように言葉の応酬が滑らかに溢れてくる。淡い酸味を飲み干して空になった瓶を持ち直すと、テーブルから立ち上がり梁川の頭へ振り下ろした。
ガラス製のシャンパンボトルは見掛けに寄らず頑丈である。ある程度強い力で殴打したとして簡単には割れない。人体を容易に死に至らせる鈍器が、梁川の頭蓋を砕いた。正真正銘止めの一撃、鈍い音がしてそれから梁川は物言わぬ死体になった。
煌びやかな内装のナイトクラブの中、血を垂らして死に行く姿はある意味では絵画的で儚い。一日中に渡って続いた、想像を絶する疲労が黒猫に怒涛の勢いで押し寄せる。
アドレナリンの過剰分泌の所為で気にも留めなかった傷の数々が一斉に疼き出す。黒猫はゆっくりとナイトクラブを後にして外に出る。
空から川が落ちてくるような土砂降りの雨が、町の汚物を流し去るように見える。夜はまだまだこれから更に盛り上がる時間、この雨さえなければ通りは酒気と快楽に満ち溢れていた筈である。
「黒猫様、病院へ行く事を勧めます。少なくとも、背中に銃弾を受けたんです。一刻も早く治ーー」
雨にホログラムを明滅させながら、人工知能は黒猫の横で気遣うように寄り添った。実体を持たないエルの介助には何の意味もない。
「ーー五月蝿い女ばっかりや、俺の周りの奴は。こんな日こそ、酒飲みに行かんでどうすんねん」
黒猫は人工知能の相手をせず、更にその気遣いすらも無碍にした。山田組を殺しながらも事ある毎にアルコールを摂取していたが、全てがエネルギーとして既に放出されてしまっている。一分一秒でも早く、今すぐにでも補給しなければ生きる意味すら消えてなくなるのだ。
「馬鹿言ってないで病院行く! あんたって本当救いようのない馬鹿なんだから」
黒猫の足が君影草を目指す一歩を踏み出すと、背後からは待ち構えていたと言わんばかりに白猫が立っていた。
「帰れ言うたやろ、白猫。俺は飲みに行く。邪魔すんなや」
連戦に次ぐ連戦を重ねて、最後まで自身の我を通し続けた彼はそんな言葉にも耳を貸さなかった。
しかし体はとうに限界を超えて言う事を聞かない。肩を掴む白猫を振り払う事すら出来ない程に憔悴して、それでも立って歩き先へ進もうとする意志だけで抗う。
「酒は買ってきてあげるから言う事聞きなさい。ずぶ濡れの上血塗れの客なんかマスターでも引くに決まってるでしょ」
白猫は我儘で言う事を聞かない黒猫の肩を支えて、頑として行き先を変えようとしない彼を引き摺るように病院を目指した。
傘を差していても大して意味のない勢いの雨の中、白猫はほんの数秒ですっかり濡れそぼっていく。それすらも厭わず彼女は青柳の元へと急ぐ。
誰の静止にも耳を貸さず、やくざ者として見ても破滅的な生き方を突き進む黒猫。そんな厄介でどうしようもない人間の教育係である白猫は、最早母親のような心持ちで彼を導く他なかった。
時間と共に降り注ぐ雨が勢いを増していく。世界の全てを飲み込む程のこの天気も、所詮は人間側から見た影響でしかない。
抵抗する力もなくなり、黒猫は仕方なく白猫に傷だらけの全身を預けた。初めて会ったあの時以来、まさかこれ程まで近い距離で彼女を見る日が来るとはとても思えなかった。一目で反りが合わず、決して交わる事のない道を行く二人だと悟った程である。
人生は何処でどう転ぶか分かった物ではない。滴る視界を朧げに見つめながら、黒猫は益体もない思考を繰り返した。
意識は次第に遠退いて、自身が何をしているのかさえ分からなくなる。




