第十話 「土砂降りの空」 chapter 13
遠くに見える曇り空が仄かな橙に染まって夕方になった事を知る。鳴動する雷が重く、腹の底から唸るような低い音で閃光が走った。遅れて音が響き渡り、自然の脅威が町の彼方何処かへと落ちて消えた。
雷雨の中、黒猫は裏路地を抜けて繁華街を後にする。どれ程に土砂降りの雨が洗い流そうとも、山田組との抗争から生ずる余燼は消し切れない。
「ーー探したわよ! まだこんな所で、彷徨いてるなんて、あんた何処まで馬鹿なの? 青柳さんから、何度も何度も何度も、鬼のように連絡が来るから、仕方なし迎えに来てあげた。さっさと病院に行きなさい」
繁華街の途切れ目、人々が足速に行き交う道の真ん中で白猫が傘を片手に息を絶え絶えにさせながら黒猫の前に立ち塞がった。
「……会う度にギャーギャー五月蝿いやっちゃな。ほんまは今日で山田組全部潰したろ思っててんけど、序盤も序盤でこの様や。あと一箇所だけ行く所あるねん。白猫、分かったからもう帰れや」
黒猫は何度目かになる白猫の顔を見て、観念したようにつらつらと言葉を並べる。彼は最早口論する体力すら温存したかった。どうにかしてこの場を切り抜ける方法を探っていると、群衆の中の一人と不意に目が合った。
往来の中央で対峙する黒猫と白猫。豪雨の中で人々は皆一様にして俯きがちで、誰も彼らに目を向ける人間は殆どいない。視線が偶々かち合っただけ、そう言ってしまえば終わるような一瞬が黒猫の第六感を猛烈に刺激した。
「あんたを絶対に連れて来て欲しいって頼まれてる。そんな傷だらけの状態で何が出来るの? 黙って言う事聞きーー」
白猫は頑として譲らず、黒猫へと詰め寄って逃げ道を塞ごうと舌戦を始めようとしていた。黒猫はその間も明確に敵意と取って差し支えない程に凝視する男を睨み付ける。
反りの合わない二人の関係性から彼女は食って掛かるように詰め寄ってくる。そんな白猫の肩を強引に掴んで、黒猫は自身へ無理矢理抱き寄せた。
「女と仲良く串刺しにしてやろうと思ったのに、上手くいかねぇな。騙し討ちってのはーー」
何時の間にか後ろに立っていた男は、その手にドスを握り込んで黒猫を睨み付けていた。挑発的に笑顔を浮かべた黒猫は左手でドスの刃を掴んで止める。
「ーー気っ色悪い趣味押し付けんなや。おっさん、頭腐ってんのか?」
刹那の戸惑いから白猫は瞬時に差していた傘で見知らぬ男に反撃を繰り出す。日常的に使うような物であっても大概は武器に成り得る。傘を畳んで男の顔を突き刺すように攻撃すると、男は大きく後ろへ飛んで距離を取った。
「……山田組? 全く、こんな奴と仲良く死ぬなんて笑えない冗談よ」
チャンバラでもするように傘を振り回して白猫は忌々し気に男を睨みながら黒猫の前に立った。認めたくはないが、黒猫に命を助けられる形になってしまった。それがなければ山田組の性癖に付き合わされていたのだ。貸しは作っても借りだけは何があっても受け入れられない。
「どけ、俺の客や。今ので貸しは帳消しやな。ほなな、さっさと帰れや」
分かり切っていた黒猫の反応は無視して、白猫は背中に隠していたベレッタを構える。人混みの中で目立つ真似は出来る事なら避けたい所ではあったが、時既に遅くどうしようもない程に衆目に晒されている。
目の前の男は血に塗れたドスを構えて、銃口を向けられても尚その執着は雨にずぶ濡れになりながらも絶えず燻っていた。
何か作戦でもある訳でもなく、男は呆気なくベレッタの一撃に撃ち抜かれた。幾度となく目にした山田組の異常性を煮詰めたようなその最期に、白猫は暗澹たる気持ちに苛まれる。
「ーー襲ってくるって分かってたなら、無傷で助けなさい。何で私があんたの手当てなんてしなきゃいけないのよ」
白猫がぶつくさ文句を垂れながらドスによって血塗れになった左手と狙撃された左肩を応急処置した。頼んだ訳でもない黒猫だったが、それでもされるが侭に彼女の施しを受ける。
人混みを外れた町の外れで、降り続ける雨を避けて二人は暫しの雨宿りに耽る。負傷したのが左手で助かった。傷の所為でパフォーマンスは下がっても右手で充分カバー出来る。煙草を大きく吸い込んで、何時までも帰る素振りを見せない白猫をどう撒くか思考を回らせた。
「おい。危険やって、もう分かったやろ? 俺は大丈夫や、ええ加減お前は帰れや」
薄暗くなる遠くの空へ煙を吐き出しながら、黒猫は白猫に話し掛ける。教育係として行動を共にするようになってから今日まで、此処まで穏やかな心持ちと声で言葉が出た事はなかった。
「怪我人が何言ってんの? もうあんたの為に走り回るのはうんざり。大人しく病院に行くしか選択肢はないから」
雷鳴が轟く空が時折光って、騒音のような雨が黒猫の言葉を肩代わりするように沈黙を埋める。営業していない喫茶店の軒先で横並びに二人は空を眺めて時が淡々と過ぎていく。
女軍人からの情報提供により、山田組の動きを具体的に知る事が出来た。今回の作戦に軍属経験のある人間が傭兵として大量に投入されているようだ。やくざ者が高々子供一人を殺す為に傭兵を金で雇う。情けない話ではあるが、それだけに彼らの本気度が見て取れた。
この町を無数に巣食う山田組事務所の若頭達は、組長のお触れによって一斉に蜂起した。怨敵を黒猫に定めて、全勢力をもって殺害する。ナパーム弾による爆撃や長距離狙撃、一般人に成り済まして奇襲するなどこれまでの山田組との戦いとは一味も二味も違った展開が続く。偏に軍人崩れの傭兵達による戦力補強の賜物である。
自身を狙撃したスナイパーは後々確実に報復するとしても、今この瞬間に傭兵達全てを相手に戦うにはどうにも骨が折れる。そもそも山田組に絞って考えても数の利は圧倒的に不利で、自ら行動している黒猫自身ですら嫌気が付き纏う。
このまま我武者羅に暴れ回っても得られるリターンは所詮知れている。最初から負けを認めるつもりもない彼が、数々の怪我を負った今尚果たそうとする目的はたった一つ。山田組組長の殺害。それが為されるまで、何が起きようと諦めるつもりはなかった。




