第十話 「土砂降りの雨」 chapter 2
山田組は黒猫の属するような組織と違って、あくまでも会社ではない。従ってマップを確認しようともネットワークで検索を掛けようとも、山田組自身が情報を開示している訳ではなかった。そもそもやくざ者とはそうした集団である。
しかし電脳の世界では下世話な噂話から出所不明の都市伝説や正誤の不明快な逸話まで、それこそ情報は有り余る程に溢れている。人々の目が、口が好き好きに情報を詳らかに教え伝えるのだ。
確たる証拠はこの際関係なく、嫌われ者の山田組はネットワークを通して多くの人間に監視されている。その情報を適宜参照すれば、自ずとオリジナルのマップが出来上がる。人工知能に掛かれば役不足も甚だしいレベルであった。
「ーー過去に黒猫様が訪問した場所は除外しております。このまま通りを歩いて、最初の角を右に曲がって下さい。マップを投射しますか?」
エルが音声だけでナビゲートを開始して、黒猫に最短ルートを都度説明した。黒猫は煙草を弾き飛ばしてずかずかと歩を速める。
「いらん、口頭で案内を続けろ。事務所の近くに差し掛かったら周辺の電子機器にクラッキングする準備もしとけよ」
歩みは止めず残り少ないハイボール缶を空を仰ぐように煽って空き缶も通りの生垣へ投げ捨てると、黒猫は前持ってエルへの指示を出した。
角を曲がって少し狭まった通りを歩くと、人通りは一気に少なくなっていく。人間は噂話に耳聡い。山田組の情報がその原因と見て大方間違いはない。何時如何なる瞬間にも、危険は身近に存在する。態々進んで危険なエリアを好む人間は極々限られる。
「五メートル先、目的地に到着します」
エルの言葉を聞いて、それでも何事もなく自然に通りを歩き横目で山田組事務所とされる建物を確認した。一旦前を通り過ぎて、全神経を耳に集中させていく。
黒猫を狙って準備を進めるとされる山田組の事務所を横切っても、彼は依然何事もなく自然体で其処にいた。
「……クラッキング出来そうなもんあったか?」
暫く前を向いたまま歩いて黒猫はエルに成果を尋ねた。正面突破をするにも情報収集には手を抜けない。やれる事は全てやる。最後の最後まで油断してはいけないのだ。
「インターホンが一つ確認出来ました。それ以外にあのビル内部へ直接関与する電子機器は見つかりませんでした。直ちにクラッキングを開始します」
この現代において電子機器がインターホン一つしかないとは信じ難いが、遠い記憶の中でセキュリティー意識の低さはお墨付きであったと今更ながら彼は思い出す。
只でさえインターホンにはまともな防犯能力はない。少なくともそれに付随して監視カメラでも置かなければ、悪意を孕む人間には簡単に利用されてしまう。
「時代錯誤やないか、どうでもええけど。エル、データ抽出してシステム乗っ取ってまえ」
黒猫は即断即決でエルに追加で指示を出して行動に出る。エルは圧倒的なスピードで山田組の事務所の入り口にあるインターホンを制圧してしまった。
電気代の節約を理由に換気用の窓を開けると、雨降りの前の湿度を湛えた生温い風が吹き抜ける。灰色の空は黒く澱んで、やがて世界に混沌を呼び起こす前兆のようである。
たった一人の子供を相手に盛り上がる山田組の面々を思い起こしながら、男は応接スペースの革張りのソファーに寝転がってブラインド越しに空を見上げる。やくざ者になったのはつい最近の事である。下っ端の中の下っ端で祭だの何だのと興奮気味に盛り上がる中、彼は一人事務所で留守番を命じられていた。
普段は肩身の狭い思いしか得られないものの、今日は特に何の用もなく気持ちは完全に浮ついている。
そんな中、素っ頓狂音を立ててチャイムが事務所を響いた。気楽で周りの目を気にせず過ごせると半ば喜んでいた男は途端に気が滅入る。
「ーーこんにちわ。本日は融資の件で訪問致しました。近藤様はいらっしゃいますか?」
インターホンのモニターには小綺麗なスーツを着た女が笑顔を浮かべて立っていた。来客の予定など何も聞いていなかったが、小さなモニター越しにも分かる艶のある美人が微笑んでいる事実に気分は数秒前と違って熱が上がっていた。
「あぁ、近藤さん? まぁ取り敢えず上がってくれよ。すぐに連絡するから」
生憎彼女が面会を希望する近藤はこの事務所の若頭で、今日には帰ってくる事もない。それでも男は退屈凌ぎに、来客を迎え入れようとしていた。
彼女の返答を待たずに男は入口の鍵を解除して、待ち受ける彼女へと期待を馳せる。上擦る気持ちを胸に、外開きの扉を開けた先にいたのはモニターで見た女とは似ても似つかない少年であった。
「何だ、お前。何の用ーー」
事態が飲み込めず扉を開け放って廊下へ顔を出した男の動きが静止する。
「不用心やで、おっさん。こんな世の中や、外に誰がおるか、分かったもんやないしな?」
拳銃を突き付ける少年は無表情で、声だけは妙に馴れ馴れしかった。やくざ者になって初めて、命の危機に直面した男は抵抗する間もなく言葉を失った。
エルのクラッキングによってインターホンが映し出したのは二週間前の記録映像であった。せめて監視カメラが設置してあれば、簡単に見破れるトリックであった。勿論監視カメラ一台が仮にあったとしても、更なる対抗策で陥れるだけで大差はない。
「お前、山田組の奴やろ? 顔見たら分かんねん、ゴミみたいな人間は大体そうやから」
身動きも取れなくなっている男の腹をつま先で抉るように蹴って、事務所内に無理矢理押し入る。むせ返る男から目を離さず、室内の様子を見た黒猫は期待外れなその状況に溜め息を吐いた。
「……何や、一人しかおらんのか? おもんない話やで、お前人質にして一暴れしたろと思ってたのに」
黙ったまま床に這い蹲る男を見下ろして、コルト・シングルで狙いを定める。利用価値がなくなった男に最早興味はない。
渇いた発砲音が事務所内に木霊して、男は蹲ったままその場で事切れる。
空気の振動を敏感に感じ取ったように、灰がかった空からは雨が降り始める。湿気に満ちた室内には更に血と硝煙の匂いが加わった。




