幕間 「戦争が変えた世界」 chapter 1
遥か昔、かの有名な科学者がまるで予言でもするかのように言った言葉がある。未来に起こる戦争について質問した人間へ、万感の皮肉を込めたその発言を聞いて周囲は何を思ったのか。
第四次世界大戦の狼煙は火蓋を切る。当時の科学者の予想を遥かに上回って、世界は加速度的に戦火に包まれた。そしてそれは今尚も数々の傷を各地に深く刻み込んでいるのだ。
「ーー棒と石で戦う、そう仰られたらしいです。過去を振り返って言うのは反則かと思いますが、的外れだとしても言い得て妙だとは思いませんか?」
有限の資源を無駄な消費から守る為に、紙媒体の文化は急速に姿を消す。そんな世の中にあって壁一面を埋める程に本を詰め込んだ棚に囲まれた男は、眼鏡を片手で拭い取ると滅多に訪れる事はない来客に目を向ける。
人間との直接の会話は男にとって、かなり久々に感じる程に孤独な暮らしをしていた。体は禄に言う事も聞かなくなり、車椅子が必須になってもそれは変わらない。
食事は出来合いの物を注文すれば届けてもらえる上トイレや風呂も車椅子があれば全く問題がない。金を惜しまず叩けば世話をする人間も簡単に雇えるが、男は自らの孤城にそうした人間を招くには少し憚られる。
「確か、ニ千年以上前の人でしたか? 歴史には余り詳しくないですが、今も人は争ってばかりですし何となく分かる気はします」
肌は透き通るように白く人形のような表情を浮かべる少女は、世代的ギャップに負けず博識であった。最期に話をする相手に、自分勝手な期待を寄せていた男は心が解れていく感覚に落ちていく。
「お嬢さんは幾つなんですか? あぁ、失礼。レディーに年齢を聞くのは野望でした。忘れてください」
男はすっかり張りのなくなった白髪を撫で付けながら、礼を失した事を詫びて朗らかに笑う。静謐な空気が長年築き上げた書斎を彩る本達に吸い込まれていく。
「今年で十六になります。年齢なんて只の記号ですよ……アンドロイド技師の貴方ならそれをよくご存知の筈ですが。それにしても今回の依頼、理解し兼ねる部分が多々あります」
白猫は非常事態真っ只中の黒猫を放置して、一人で依頼を遂行するべく独居老人の元を訪れていた。一人で、それも車椅子で生活をするにはとても見合わない豪邸の主人を前に、彼女は敬意を払いつつも堂々たる眼差しで対峙する。
「若い頃は多くの患者さんに囲まれて、とても充実した日々を過ごさせてもらいました。しかし頑張り過ぎたんでしょうな、医者の不摂生とは正にこの事ですよ」
肌着の上にガウンを羽織っただけの姿でそれでも声は溌剌としていた。とても自らの死を望んで依頼を出してきた相手とは思えなかった。
「どんな病気かは知りませんが、アンドロイド技師なら少なくとも車椅子生活を回避する事だって簡単な筈です。生きる方法は他に幾らでもある。貴方がどうして死にたいのか、勝手ながら私には分かりません」
白猫は目の前の男が全く理解出来ないでいた。医者としても多くの命を救い、今も尚豪邸で悠々自適に暮らせる程の財力もある。病気自体に抗う事は人間である以上限界があっても、アンドロイド化施術さえしてしまえば少なくとも今より快適に暮らせている筈なのだ。
「確かに、アンドロイド化すればこんな老いぼれも不肖ながらお嬢さんに恋をしていたかもしれません。しかし生物は皆死に向かって歩く他ないのです。それこそ死んでも死にたくない、と思える事は特にないんですよ」
現代を蔓延する自然の摂理は弱肉強食に他ならない。朽ち果てて死を望み、生き永らえる事すら矜持を害すると言う事なのかもしれない。
「ーーアンドロイド技師、お嬢さんの言葉に少し険を感じました。何か因縁でもあるのでしょうか? 話したくなければ無視して頂いて構いません」
男は考え込むような白猫を暫く眺めた後、様子を窺うように疑問を投げ掛ける。特に意識こそしていなかったが、彼女にはやはり母親の姿がチラついてしまう。技術それ自体に善悪はない。使う人間がそれを歪ませるのである。
「失礼しました。私怨ですので、お気になさらないで下さい。アンドロイド化施術を快楽の為に使っている人物がふと頭を過ってしまったのかもしれません」
白猫は素直に詫びて、勘違いを生まないように説明を添える。これから死に行く人間に、少なくとも彼女は配慮すべき優しさを持ち合わせていた。
この場に黒猫が居なくてよかった。あれに掛かれば情緒も何もない。今過ごしているような穏やかな時間もきっと空気を読まない発言と態度で台無しにされてしまう。
「いえいえ、職業柄たくさんの方々の人生に触れる物でしてね。恥ずかしながらその感覚が鋭くなってしまって困ります。確かに、使い方を誤ればどれ程に優れた技術すら貶められてしまいます」
男は自らが深く関わった世界の歪んだ一面に顔を曇らせた。命を救う為の技術を、生きる為に行動する原動力を剰え私欲を満たす為に使う人間は考え始めればキリがない。
「……話が逸れましたね、死を看取ってほしいと聞いています。具体的に私は何をすれば良いんでしょうか?」
白猫は笑顔が消えた男を慮って、軌道修正を図る。荒廃して荒くれ者が跋扈するこの町にも、当然のように心根の優しい穏やかな人間は存在する。そう言ったテリトリーの違う人間と対峙する時、自然と白猫は謙る事が多くなる。接し方がどうにも難しいのである。
「そうでした、肝心な方法をお伝えしていませんでした。この車椅子は高機能でしてね、私の延命装置も組み込まれています。必要ないと断ったんですが、一人暮らしを許す条件にされてしまったんですよ」
男は肘置きの先端を操作して、器用に小回りした後で背凭れ部分にある機械を彼女に見せる。文字通り、その身を生き永らえさせる機械を背負って目の前の存在はその場にいた。
「眠るように死にたい、と病気をした頃から考えていました。知り合いにはこんな事を頼んでも断られてしまう。申し訳ないですが、私が眠ったのを確認してから延命装置の電源を落としてほしいのです」
男は淡々と自らの終焉を白猫に託した。空気を入れ替える為に開けられた窓から春の風が舞い込む。長く降り続いた雨が束の間の、透き通る青空を際立てているようだった。
職業柄彼女は人間の生き死にに、その揺蕩う炎の熱を間近に見せ付けられて過ごしていた。そんな人生においても、目の前の老人のような存在は稀有である。
皺に塗れた顔とは裏腹に、溢れ出す程に爽やかで陽だまりに満ち満ちた人間を見た事がなかった。そしてその人物が自らの死を後押しするべく自身が選ばれた。
命芽吹く季節と静かな孤城の落差に、白猫は身を引き締められるような感覚を味わう。




