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under rain  作者: 亮太 ryota
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第九話 「灰烟る追憶」 chapter 5

 黒猫との邂逅へすっかりと記憶が遡っていた銀猫は、上の空のまま気付けば君影草に足を運んでいた。随分と久し振りに感じるその店構えと、店内から漂う活気は長い時を経ても変わっていなかった。

 最初こそ連れ立って来店しては大人の世界の歩き方を教えていたような関係も、日増しに反抗的になると共に確かな実力を示していく彼とは小さな諍いが絶えなくなる。自然と距離を置くようになって、君影草からも足が遠退いていたのかもしれない。

 重厚感のある木製の扉を開いて、カウンター越しにマスターが晴れやかな笑顔で銀猫を迎え入れる。何年か前に会ったのが最後で、それでも受ける印象は以前にも増して若々しかった。

「あ! お久し振りです、銀猫さん。最近は全然顔を見せてくれないから心配してたんですよ、ささ、こちらへどうぞ」

 外の雨すら気にならない程に、明るく溌剌とした眼差しで流れるようにカウンター席へと誘われる。店の各所からは団欒の声が沸き起こり、そんな中でもカウンターは疎に席が空いていた。

 雨降りの中でこれだけ客に恵まれていれば繁盛していると言っても差し支えない。経営者でもない銀猫の勝手な感想を心に閉じ込めて、ぎこちなく席へと腰を落ち着ける。

「何時もの……キープしてたやつは、流石にないか」

 銀猫は普段通りに注文しようとして、残っている筈がない事を改めて自認する。何年もこの店を訪れていなかったのだ。本来なら自身の顔すら忘れられてしまっても致し方ない状態である。

「あぁ、申し訳ないです。残しておきたいのは山々なんですが、開封してから何ヶ月も経つと酸化して美味しくなくなりますし。銀猫さんお気に入りのバーボンはまだ在庫あるんで、新しいの開けちゃっていいですか?」

 眉を窄めた笑顔でマスターは銀猫に新しい酒を提案する。樽で時間を掛けて熟成する酒であっても、ガラス瓶で美味しく保管出来る期間は大して長くはない。

「いやいや、当たり前の事だ。気にしないでくれ、新しいので頼む。ロックセットと、後は何か、肉を食いてぇな。適当でいい感じに作ってくれ」

 銀猫は特段気にせずにマスターへと注文を通した。葉巻を取り出して煙を燻らせて、暖色のランプで照らされた店内にちらりと目を遣る。一抹の寂しさが心を去来して、提供されたロックグラスに手酌でバーボンを注ぐ。

「今日はいいスペアリブがありますよ。バーベキュー風にしましょうか? 銀猫さんは相変わらず、食の好みが若いですよね」

 マスターは上機嫌に腕捲りして、大振りな肉の塊を示すと銀猫の好みの味付けを即座に提案した。

「おいおい、若さで言うならマスター程じゃねぇさ。とても同年代とは思えないぞ」

 銀猫は冗談混じりな言葉を同じく冗談で返して、改めて年の近さと老いの進行に反しているマスターを眺める。部下の朱雀も似たような存在としても、男で決して健康的とは言えない生活をしていてこれ程まで若く生きていける姿には驚くばかりである。


 どれ程の時間を君影草で過ごしたか、記憶も朧げになる頃には店内の喧騒は少しだけ落ち着きを取り戻していた。

「……黒猫は元気にしてるのか?」

 不意に口を衝いて出た言葉に、銀猫自身が戸惑った。マスターに聞くような話ではない。上司と部下として、顔を突き合わせる回数で言うなら自身の方が確実に多い。それでも彼と本当の意味で向き合った時間には自信を持てずにいるのだ。

「ーー元気にしてますよ。こないだなんか白猫さんと二人で楽しそうに飲んでましたし、お酒が進むと饒舌になる所なんかは銀猫さんに本当にそっくりですね」

 何かを察したようなマスターは一際穏やかな口調で、黒猫の近況を銀猫に伝える。口を開けば文句ばかり言い合うあの二人がそんな事をしているとは初耳であったが、自身の知らない所では仲良くしているようで何よりである。

 仕事上の関わり方しか出来ない距離感を自ら引いてしまった手前、込み入った話や踏み込んだ話は何故かハードルが高く隔てられていた。それは恐れにすら似た感情が孕んでいたのかもしれない。


「そうか……そうなんだな。楽しそうにしてたか、そう言えば、あいつらを組ませてから随分と経つ。信頼関係は大事だ、どんな仕事だってそれは同じなんだからな」

 一人納得する銀猫を前にマスターは和かに頷いて、黙ったまま管を巻きつつある話に聞き入った。中身が殆どなくなったボトルから酒を注ぎ、蕩ける氷が涼やかな音を立ててロックグラスが溢れんばかりに満たされる。


 夜が更けて日付が変わる頃、君影草の扉を開いた黒猫はカウンター席に座る顔見知りを見て動きを止めた。滅多に顔を出さなくなった筈の銀猫がこの店で飲んでいる光景に、少しの驚きと煩わしさが募っていく。

「いらっしゃい! 今日は随分と遅くに来ましたね。丁度銀猫さんもいらっしゃってますよ。ささっ、こちらへどうぞ」

 満面の笑みと嬉しそうな身振りに尻込みしていた黒猫は観念して、勧められるがままに銀猫の隣を一つ空けてカウンター席に着いた。

 皺が増えた顔を真っ赤に染め上げた銀猫を見て、過去の様々な記憶が呼び起こされる。記憶喪失のままやくざ者として生きる事になり、始めの頃は何かと銀猫に夜の町を連れ回された。

 絡み酒の酷さは折り紙付きで、普段は必要な事すら言葉数も少なく済ませる人間とは思えない程に饒舌になる。話題が変わればまだ心身共に耐えられるが、同じ話を何度も何度も繰り返してその度に求められる反応までが違うとなればもうどうしようもない。

「何時ものでいいですか? 黒猫さん。お腹減ってるなら何でも作りますよ、今日はあんまり材料も残ってませんが」

 マスターの声だけが矢鱈に上擦っていて、隣り合う二人とはまるで対照的であった。朝まで掛かりそうな空気感に既に嫌気が差しながらも、黒猫は出された芋焼酎のロックを大きく煽った。


 外は何時迄も静かに雨を降らして、春めく季節の夜を微かに冷えさせる。凍える夜はとうに過ぎ去った。それでも尚、長く緩慢な時間には悪寒さえ覚える程に彼は内心穏やかではいられない。

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