第九話 「灰烟る追憶」 chapter 3
土砂降りの雨が澱みや穢れを丸ごと飲み干して、明けた空は清々しいまでにこの町の全てをクリアに映していた。
煙草を買いに行く口実でサボタージュを決行した銀猫が今にも死にそうな子供を拾い、青龍による的確で迅速な外科手術を終えて取り敢えずの命を繋ぎ止めた。遠い街路樹から雛鳥が餌を求める囀りを繰り返す音を聞いて、銀猫は大仕事を終えてぐったりと回転椅子にへたり込む彼の姿を黙って讃える。
青龍が好む缶コーヒーのブラックをテーブルに置いて、彼は徹夜明けの疲労感を診察台に預けるように腰掛けた。
「ーー命に別条はありません。弾丸はちゃんと摘出しましたし、恐らく傷も残らないと思います。血を流し過ぎている事が気掛かりですが、しっかり栄養を取ってゆっくりと休めばあの子も直に元気になるでしょう」
ぼんやりと天井を眺めながら青龍が独り言のように診察を下す。手探りで缶コーヒーを掴み、プルタブを開ける事にすら手間取ってから強引に流し込む。
「あぁ、お前の腕を疑っちゃいない。ゆっくり寝てろ、何かあれば遠慮なく叩き起こしてやるから」
銀猫は冗談半分に言い残すと休息を邪魔しないように診察室を出る。自身が起きていた所で何も出来ない事は最初から分かっていたが、白虎にも警戒を続けるように指示した手前眠れる筈もなかったのだ。
大きく伸びをして、欠伸を噛み殺して、眠気覚ましの煙草を吸いに外へ出た。雨上がりの空は眩く感じてアスファルトからは独特の残り香が湧き立つ。オイルライターで煙草に火を点けて、胸の中を渦巻く言葉にならないその気持ちを吐き出した。
「ーー銀猫、まだ起きてたのか。心配性は相変わらずか、まぁ仕方ない部分もあるのか、何せ……」
少年を銃撃した人間を警戒して夜通し見回りをしていた白虎が憔悴した様子もなく横に並んだ。言いあぐねる先の言葉を躊躇したような、そんな珍しい反応に銀猫は乾いた笑みが溢れた。
「似てる。同一人物だって言われた方がまだ気が楽だ。あり得ない、いや……在ってはならないが正しいか」
銀猫は妙に気を遣う部下に本音を打ち明ける。土砂降りの雨の中で見た顔は遠い昔に救えなかった存在そのままであった。言葉通り、それはあり得ない。彼の中のその存在はとうの昔、二十年前に死んでいるのだ。
「どうするつもりなんだ? 命を狙われてる以上、生半可な覚悟じゃあいつはすぐに死ぬ。写真でしか知らない俺から見ても、あれはあんたの息子その物じゃないか」
情緒の狂ってしまった表情を浮かべた銀猫に、白虎は今一歩思い切って踏み込む。普段であれば気兼ねなしに言いたい事を言い合える二人の仲も、事が事だけに腹を決めるのに時間を掛けたようである。
「どうするも何も、それはあいつに任せるしかない。俺の息子かどうか、今はどうでもいい。いや違うか、どうしていいか分からないが本音だな」
心の赴くままに言葉が喉を震わせて、駆け引きも腹積りもない掛け値なしの本音が空気を叩く音になった。回復するのを待って、少年から話を聞かなければならない。彼が一体何処から来て、何故命を狙われているのか。今は只それを考える事しか出来ない。
三日程経過して、少年が目を覚ました事を知らされた銀猫は青龍の元へ顔を出した。難しい表情で腕を組む彼の姿に、何事かと嫌な汗が滲み出す。
「少年が目を覚ましました。医師としても何があったのかを知りたいので少しですが話をしました。彼は、自分の名前すら何も分からないようです。記憶喪失、と言う事になります」
青龍は淡々と現状を報告する。知りたい事は溢れて止まらないのに、分からない事ばかりが加速度的に増えていく。
「記憶喪失……怪我は関係してるのか? あんな年端もいかないガキが命狙われてて、その上何も覚えてないってどうなってんだ」
聞いた所で今の彼らに答えはない。本人が分からない事を他人が理解出来る筈もなかった。独白するような銀猫の言葉は静かな診察室に虚しく響いた。
「頭に何らかの怪我を受けた場合は稀に見られる症状ですが、見る限り彼にはそのような所見はありません。関係あるかは専門外ですので断定出来ませんが、一つ気になる点が」
深く深く思考回路を巡らせて、青龍は外科手術の際に気になった点を銀猫に伝える。彼にしても事情を知り尽くしていたが故に、伝える事を躊躇っていた事があった。
「気になる点? 何を隠してたんだ? 変な気ぃ遣わなくていいんだよ」
銀猫は忙しない貧乏揺すりを立たせて青龍の次の言葉を待つ。気遣った心が全くないとは言えないものの、何より彼を戸惑わせたのは少年の体に起因している。
「社長、アンドロイド化施術は知ってますよね? あの技術体系は病気や事故で欠損した体を補完する素晴らしい医療の到達点だと、門外漢ではあっても私はそう思っています」
青龍は銀猫の目を見ながら話をする。自身の矜持と根本の部分は繋がっている道の一つであり、医療は科学技術と共に進歩していく。救える命は徐々に増えていく事を一人の医師として素直に喜びたいと常日頃から感じていた。
「あくまでアンドロイド化施術は、大人を対象にしています。身体的成長がある程度止まっている事を前提に、義肢や人工内臓は作られていると聞きます。言うまでもなく子供には無限の可能性がある。よっぽどの事でもない限り、アンドロイド化施術はしない方がいいんです」
懇々と説明する青龍は自然と熱を帯びていく。医療目的とは到底考えられない仕打ち、何も知らない彼にもそれだけは核心に触れたように思えた。
「ーーちょっと待て。つまり、あのガキはアンドロイドだって言いたいのか? おい待てよ、益々話が見えないぞ」
黙って話を聞いていた銀猫は困惑を浮かべて、青龍の話を一旦止める。情報の過多にまるで頭が追い付かないようだ。
「あの少年は、人間ベースのアンドロイドです。見掛けは只の子供にしか見えませんが、肩甲骨と頚椎の一部を施術されているようです」
微かな怒りを滲ませるように青龍は銀猫の疑問に一つの答えを導く。子供へ施すには通常あり得ないやり方だと、彼は断言する事が出来た。
脊椎は脳からの信号を受けて、人体を支え動かす根幹である。成長途中である子供のそれを例え一部であれアンドロイド化を施す事は、可能性を狭める誤った選択肢と言える。病気や怪我による損傷を補う目的であればいざ知らず、少なくともあの少年にされたそれは戦う為の改造にさえ思えたのだ。




