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under rain  作者: 亮太 ryota
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第八話 「居場所を求める者達」 chapter 4

 雑居ビルの一室にはクライアントの話した通り、多くの若者達が屯していた。黒猫の想像と違っていたのは彼らが夜遊びを楽しむふしだらな放蕩者ではなく、只々単純に帰るべき場所を失った孤児達である事だった。

 荒廃したこの世界では見慣れた光景とさえ言える。大抵の場合、彼らの未来は野垂れ死ぬか奴隷として売り捌かれるしかない。そんな境遇から稀に成り上がる人間もいるにはいるが、何処まで進もうとこの世界は一向に変わらない。

 泥濘に沈み切る前に底から抜け出す力がなければ、溺れて息も出来ずにむざむざと死んでいくだけである。この町で生きていくと言う事は、延々とそれを繰り返す事に他ならないのだ。


「こんな環境で子供だけで生きていけると本気で思ってる? 仮にも父親役って貴方が自負するなら、もっと考えないと駄目なんじゃない?」

 白猫の冷徹な言葉は真理を抉り取るようでもあり、その根底には何よりも慈愛があった。自らの弟妹の姿を重ねて、裏腹に言葉は鋭さを増していく。やくざ者としての領分はとっくに超えている。

 彼女自身この町で暮らす為にその手を汚しながらも、信念を貫く事に真っ向から立ち向かうしかなかった。

 通りすがりの無関係な人間に正論を吐かれる煩わしさは充分に理解した上で、それでも彼女は敢えて正面から事実を叩き付けるのだ。

「……どんな言葉を言っても言い訳にしかならないのは分かってる。俺はこの場の誰一人、絶対に見捨てたくはない! でもじゃあ、何をどうすればいいのか、幾ら考えても分からないんだ」

 悔しさを顔に滲ませた少年の言葉は、涙を堪えるように少し震えていた。弱さは否めないものの、芯の強さはかつて見た中学生と同じ物を感じられた。

「ーー覚悟は出来てる? 生きるってだけで戦うしかない。自分より弱い者を守るのは、それ以上に荊の道になる」

 脅迫するような威圧感で、白猫は俯く少年の腹の底を覗き込んだ。今回の依頼を遂行するに当たり、彼女は既に先回りして準備を整えている。

 弱者を救う事は実際簡単に出来る。しかし弱者のまま、停滞する人間を何時迄も見守る事は不可能である。そうなればこそ、彼女は問い質す必要があったのだ。


 黒猫は沈んだ空気の悪さに嫌気が差して、寒さを堪えつつも雑居ビルの外で煙草を吸っていた。久々に見上げた満月がやけに煌々と照らす無人の通りは、まるで世界が終わったように彼以外の音を消し去る。

 大きく煙を吐き出して縁石に腰を下ろす。この程度の仕事であれば、暖かい場所で酒でも飲んでいたい。苛々が募り過ぎて逆にアルコールすら摂取していなかった事を思い返して、猛烈な衝動が黒猫を襲う。

 コンビニまでは随分と距離がある。この寒空の中歩いて買いに行く気力とアルコールに依存する気持ちは丁度半々である。

「ーー黒川? 何で……こんな所にいるんだよ」

 人間の気配に気付いてその大元に目を遣ると、朧げな記憶が疎な街灯に邪魔されつつ蘇ってくる。

「あぁ? お前、こそ何して……何やその格好、宗旨替えでもしたんか?」

 黒猫は寸胴鍋を抱えて派手なメイクをした上、スパンコールが眩しいドレスのようなシャツを着た吉澤を見て嗜虐的に質問する。予想外の人間と出くわして彼は無性に興味を唆られる。

「別にいいだろ。生きてく為に働いてるだけだ。それよひ質問に答えろよ、此処で何してるんだ?」

 ばつの悪そうな表情で吉澤は顔を背けながら先の言葉を濁した。力の差を知らしめられたとしても、決して譲れない最後の防衛ラインが彼の中にも確かにあるようだ。

「おい、あんま調子こくなよ、お前を生かしたってんのは気紛れみたいなもんや。もうあいつとの約束も守った後やねん、何時でもひっくり返したるぞ」

 黒猫はフィルターを焦がす勢いで最後の煙を吸い込んで、煙草を吉澤の方へ弾き飛ばす。クリーンヒットしたそれは暗闇に赤い火花を舞い散らせた。

「何が理由でも、このビルの奴らには手を出さないでくれ。あいつらは俺らとは全然違う。お前が何者かは知らないが、それだけは絶対に許さない」

 恐怖を御し切れてない吉澤ではあるが、前に見た様な下卑た人間性とはどうにも打って変わっていた。心境の変化に何が起因しているのか、冗談のつもりで言った宗旨替えが途端に妙な説得力を持ち始める。

「……日本語分からんらしいな。何で俺が、お前の頼みを、黙って聞いたる筋合いあんねん? 金玉からやり直してこい、カス」

 ほんの一時紛れていた苛立ちは早くも咽せ返し、懐からコルト・シングルを抜いて撃鉄を起こす。銃口を突き付けられて、吉澤は絶望感を前に続く言葉を失う。


 煙草の吸い殻が直撃する以上の痛みを想像して、吉澤は自身の過失を改めて思い知る。余計なプライドと僅かながらの贖罪の心は、身にそぐわない出過ぎた真似であった。あの時辛くも一瞬、緩んでしまった咎の重みに後悔が走る。

「ーーハイボールと酒のつまみ、五分以内に買ってこいや。死にたくなかったらな」

 ほんの少し前まで自身が君臨していたカーストであれば逆の立場に対してそうしていたように、因果は回り回って自らを脅かす。意地の悪い二者択一を迫られて、取れる決断は一つしか用意されていない。

「一秒でも遅れたら殺す。死ぬ気で走ってこい」

 吉澤は抱えていた寸胴を通りに置いて、死に物狂いに走り出す。通い慣れた町並みで非日常が再び訪れて、冬の寒さも吹き飛ぶ程に体は燃え上がっていく。

 

 腑抜けた背中を見送って、黒猫は再び煙草に火を点けた。寸胴から漂うおでんの香りに気付いて、彼が何をしようとしていたのかを漸く悟る。過去を思えば少しばかりまともな人間になったのかもしれないと考えつつも、それでも彼の存在が癪に障る事も又事実だった。

 正義も悪も、所詮は個人の主観に基づく偏見に過ぎない。弱肉強食だけがこの世界において絶対なのだ。

 凍える風に煙草の煙が流されて消える。それでも尚、過去は消えない。何者も簡単に変わる事は難しい。黒猫も、吉澤も、ひいては人間誰しもが等しく同じ穴の狢である。

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