第八話 「居場所を求める者達」 chapter 3
黒猫がクライアントと火花を散らす睨み合いをして早くも三日が経過する。白猫から待機するようにだけ指示された彼は、元々やる気の湧かない仕事に加味して殊更荒んだ心持ちで日々を怠惰に過ごした。
彼女の判断は的を得ている。黒猫は今すぐにでも、クライアントを嬲り殺して依頼も何もかも全てを終わりにしようとさえ考えていたからである。
間違っていると自覚してはいても、収まり所を求めて感情の波は激しく荒立つ。汚らしく低い鼻っ柱をへし折って、二度と大きな態度を取れないように斬り刻んでしまいたい衝動は酒をどれ程流し込んでも喉に引っ掛かって取れないでいた。
「ーー黒猫様、白猫様よりお電話です」
ソファーに全身を預けて天井を睨みながら煙草を吹かす黒猫に、人工知能が畏まって話し掛けた。通話を開始すると、エルはホログラムを霧散させて姿を消す。
「例のビルの件だけど、段取りが決まったから。取り敢えずクライアントの指定した場所に今すぐ来て。具体的な話は、その時にする」
黒猫の返事を待たず、白猫は伝えるべき事だけを伝えて通話を終了した。ソファーから体を起こして、灰皿に煙草を捩じ込んで彼は緩慢に立ち上がった。
宵闇が迫るビルの前で白猫は黒猫の到着を待つ。寒空の下で懐炉を揉み合わせて暖を取りつつ、静けさに包まれた雑居ビルを見上げて白い息が溢れる。
人気もまるでない通りに並ぶビルの様相は廃墟同然に思えて、寒さと相俟って不気味に影が聳え立っているように見えた。
「ーーこんなボッロいビルに、若者が集まって何してんねん? 考えられへんな」
無人タクシーで横に乗り付けた黒猫は、煙草に火を点けて白猫に倣うようにビルを見上げて率直な感想を述べる。
人間が群れるには余りにも見所がないその雑居ビルに、若者達が一体何を目的に集まっているのか。白猫は気乗りしないながら意を決して入り口から侵入する。
「本当のクライアントの要望はゴミの捕獲らしい。見せしめが必要だの何だのごちゃごちゃ五月蝿いの、あんたが喧嘩っ早い所為でヒートアップしてる部分もあると思うけど」
セキュリティーが機能していない雑居ビルは侵入者を歯止めする事には無頓着で、それでこそ若者達はこんな薄汚れた場所に屯していられるのだ。
「……捕獲? 我がは安全な所から一方的に相手を攻撃したいって事か? あのおっさん、顔通り性格歪んでるんやな」
苛立ちをリフレインさせながら白猫の指摘に答えて、黒猫も白猫の後に続いた。黴臭い湿度を感じさせる雰囲気に、二人はずかずかと踏み込んでいく。
「さぁ? あの手のタイプはいざって時にビビって、実際は何も出来ないでしょ。気に食わないのだけは同意するけど、面倒だからこれ以上クライアントと揉めないで」
白猫は曲がりなりにやくざ者として生きてきた中で、世の中の多くがある一線を超えられない事を知っていた。主義主張は数々それぞれあれど、ある程度のパターンは彼女にも見え透いた物になった。
横柄で高圧的なだけの人間は、土壇場で尻込みするばかりである。倫理観を振り切った人間は例外としても、あのクライアントの男は正にその人物像に近い。自尊心だけが膨れ上がって、相手を見下す態度が全面的に溢れ出しているのだ。
そもそもの話、ある一線を超えられる人間は他人に頼らずとも自身で動く。無駄な金を叩いてまで、その衝動をぶつけたりはしない。
微かな物音、人間が其処に存在すると空気は振動する。余程訓練を積んだ暗殺者が闇に紛れているレベルでもない限り、無音での生活は不可能である。
無駄話に終止符が打たれて、白猫は一瞬にして景色に溶け込むように存在感を消す。黒猫は咥え煙草のまま懐からコルト・シングルを抜いて撃鉄を起こした。
ジェスチャーで白猫が停止するように黒猫に伝えると、闇に包まれた雑居ビルの奥に一歩ずつ近付いていく。左右を並ぶ部屋を臨む廊下の一番奥、その場所から音は確かに感じ取れた。彼女は鉄製の扉に手を掛けて、耳の神経を研ぎ澄ませる。
ドアノブに手を掛けてビルの一室に冷え込んだ空気が押し流されていく。内開きの扉の先にも闇が広がるばかりで、中の様子はまるで窺えない。
食事でもしていたかのような香りで、中に誰かしらがいる事はほぼ確定的となる。白猫はベレッタを構えて室内へ足を踏み入れる。
それと同時にカーペットを蹴る足音が彼女に迫る。透かさず銃口を向ける白猫、しかしクライアントの要望から発砲は出来ない。その手に握られているのは、相手を制圧する脅しの手段でしかなかった。
突進してくる物体に牽制は通用せず、白猫は覚悟を決めて身構える。衝撃を受け流すように自ら倒れ込むと、相手の力をそのまま投げる力に変換する。完璧な巴投げに、相手は部屋を抜けて廊下に激しく打ち付けられた。
「お前の一本負けや。抵抗すなよ、死にたなかったらな」
黒猫の足下に転がった何者かに、黒猫はライトの光とコルト・シングルを向けて白猫の見せ場を完全に奪った。
「ーーお前ら、俺達に何の用だ? 中には年端もいかない子供もいる。俺が死ぬ訳にはいかない」
倒れたまま両手を上げながらも、黒猫と大して年も変わらない少年は気丈に命乞いをした。潔く負けを認めつつも、彼はその瞳に信念を燃やしているように見えた。
「貴方達を掃除して欲しいって依頼が入ってる。安心しなさい。事と次第によれば、私達は貴方の味方だから」
護身術に磨きを掛けた白猫はすっと起き上がり、身形を整えながら降参した少年に優しく話し掛ける。状況を飲み込めていない少年は、二人を交互に眺めてから手を下げてゆっくりと立ち上がった。
興奮状態から徐々に冷静になって、少年は冬の寒さと得体の知れない二人の存在に震える体を抑え込む。先行きの暗い彼の人生に、途轍もない不安感だけが押し寄せてくる。
目の前の二人が敵か味方なのか、少年は運命の選択を迫られているのだ。




