第八話 「居場所を求める者達」 chapter 2
繁華街を外れた所に、随分と寂れたビルがある。人通りも少なく立ち並ぶ雑居ビル群の中でも、一際薄汚れたそのビルは居場所を持たない若者達によって仮初のオアシスと化している。
総勢十人程で年齢も性別もバラバラであるが、それぞれが何かしらの事情を抱えて社会に置き去りにされた共通点のみだけで繋がっている。厳しい冬を生き残るには、どれ程些細でも暖を取れる建物が彼らにはどうしようもなく必要なのだ。
身を寄せ合うようにビルの一室に集まっては、互いの体温を頼りに長く辛い夜の時間を紛らわせる。弱肉強食の世界で、彼らは微かな金銭を食い扶持に生きていくしかない。
育児放棄、虐待に留まらず貧困が生み出すそれぞれの環境が彼らの繋がりをより強固にする。科学がどれ程に発達した現代でも、人間一人一人の倫理観はあくまで獣同然である。
生きる事はそれだけで過酷な道程を行く。まともに生き抜く術を持たない彼らが、何の助けもなくこの世界で生き残る事は難しい。
「ーー遅くなって悪い。今日も冷えるな、皆、少ないけど食べてあったまってくれよ」
品行方正で眉目秀麗、絵に描いたような王子様の雰囲気の少年がビルの一室に寸胴鍋を抱えて入ってきた。
「豚汁だ。もっと上等な食い物を用意したいんだが、給料日前でこんなもんしか出来なかった。味だけは保証する、さぁ遠慮なく食べてくれ」
鼻腔を擽る芳香に年齢層の低い子供が小走りに集まってくる。ビルの一室は一瞬で炊き出し会場となる。
「俺達にとっては最高の料理だよ。あったまるし栄養もある。何より、ヨッシーの気持ちは何にも代え難い」
豚汁を配膳する少年に、幼い弟を抱き抱える同じ年頃の男が声を掛けた。このビルを根城とする彼らの代表は必然的に彼らの父親的存在でもあった。
「やめろよ、しがないオカマバーの下っ端さ、俺なんて。こんな事ぐらい只のお節介だと思ってくれて構わない」
その場の全員に豚汁が行き届いて、照れ隠しに鼻頭を掻きながら少年は答えた。本当の所の気持ちは決して単純な善意ではない。喜んでもらえるのは素直に嬉しい上に喜ばしいが、根底にある動機が動機なだけに彼は居心地の悪い気持ちになる。
「父親として頑張らないといけないのは、俺なのにな。情けない話だよ、本当に」
弟に少しだけ冷ました豚汁を食べさせて、周りを一瞬で笑顔にさせる彼はその人間性を卑下したような表情を浮かべている。
「何言ってんだよ。俺は精々一週間かそれくらい、それまでこいつらを守って今まで生き抜いてきたんだ。充分って程充分過ぎるだろ」
傷の舐め合いをしていると言う自覚が確かにあった。この世にはどうしようもない隔絶がある。勧善懲悪は罷り通らず、暴力が暴力によって抑え付けられる絶対的な弱肉強食しかない。
それでも誰かを守ろうとする人間の本当の意味での強さを、その眩過ぎる輝きを知ってしまった以上は心が折れたままではいられなかった。
「……ヨッシー、答えたくなければ答えてくれなくていいんだ。君に親はいないのか?」
細やかながら食事を終えた彼らは、一向に輪を作ってその場を離れようとはしない。団欒の時間はまだまだ終わらなかった。
「いる……いや、生きてるかどうかすら分からない。どの道碌でもない親父だった。それに倣って俺も同じくらい碌でなしだったんだ」
遠い目をして語る少年を見て、年端のいかない幼い子供がそっと彼の頭を撫でた。優しくされる、本来の意味でのそんな行動に慣れていない彼は思わず思考諸共に固まってしまった。
「どうした? 泣いちゃってるじゃないか、ヨッシー。あんたも俺達も、案外似た者同士なのかもしれないな」
他者から優しくされるべきではない最低極悪の咎人。自身をそう断罪する事で、逆に前向きに生きていこうと決めた彼の信念は幼く小さな掌によって脆くも崩れた。自身には勿体ない程の無垢な愛情を向けられて、どうにも涙が止まらなくなった。
人生の転機はふとした瞬間に突然訪れる。長年染み付いて体にこびり着いた習性はそうそう簡単に拭える物ではないが、何時までもずっと変わらない物は決して存在しない事も又事実である。
碌でもない父親の元で暮らし、毛嫌いしていた筈の人間性がそのまま自身にもトレースされている事に気付き、何時の間にかそれを笠に着て小さな井の中の蛙になっていた。
周りの人間を恐怖と暴力で縛り上げて、弱者には徹底的な差を見せ付けて有無を言わさずに従わせた。多くの人間の心を、体を不用意に傷付けては剰えそれを楽しんでいた。どうしようもない屑は、目の前の鏡を見ればすぐ其処にいた。
歯止めが効かなくなっていたある日、見掛けだけで弱そうだと決め付けた一人の男にボロ布のようにやり返された。圧倒的な力の差を初めて見せ付けられて、それまで築いた物を何もかも破壊されたのだ。
罪を憎んで人を憎まず。そんな場違いな善性により死にこそしなかったが、彼は間違いなくあの日あの時死んだのかもしれない。
諸悪の根源だと、責任を押し付けるつもりで家に帰った彼を待ち受けていたのは父親である。体中を青痣と生傷に包まれた、首吊り死体として其処にいた。実際に父親の死を自ら確認した訳ではない。助けようとすら思えなかった。何より怖くて逃げ出してしまったのだ。
自身の姿がそれに重なって、崩れ落ちそうになる程怖くなった彼は家を飛び出した。行く当ても帰る場所も失くして、目的もなく繁華街を彷徨う。手下を引き連れて小さな箱庭を闊歩する感覚とは真逆に思える。
ふらふらと歩く少年は町から浮いて、行き交う群衆の誰も彼には無干渉を貫く。涙が溢れて視界が霞む。やがて歩く事も儘ならず、道端に倒れ込んで子供のように喚くしかない。
一頻り涙を流した彼の肩に置かれた手の温もりに顔を上げた先にいたのは、初対面の時こそ憎しみすら抱いた筈の男でも女でもない超越者であった。
驚きと同時に何故か安堵している事に、彼は不思議な感情が溢れ出す。心が解放されるような、そんな気持ちは今でも深く胸に残っている。




