第七話 「凍雲に眠る」 chapter 7
酷く冷え込む外の空気と裏腹に、支部教会の礼拝堂は熱気に包まれていく。慣れない喧嘩に多くの男はダウンして所々に蹲って、心配そうに看病する女は乱闘騒ぎを遠巻きに見守るしかなかった。
当主代行は折りを見て安全な地下にある貯蔵庫へ複数の愛の信徒達に匿われて、上階の熱りが冷めるのを只々祈るように待つばかりであった。間抜けにも程がある事を、深淵なる愛の集団の信徒達は悉く知らない。
「……何か、飽きてきたわ。茶番もこれくらいにしよか」
黒猫は汗ばむ体を涼める為に上着を脱ぎ捨て、礼拝堂の隅に鎮座する鉄製の置物に手を伸ばす。冬場はどうしても体のパフォーマンスが落ちてしまうが、準備運動は充分に整った。そのまま近くにある豊満な体付きの女体像が抱える十字架のレリーフを強奪する。
手馴染みは予想を反して小振りな剣に近い物に感じた。鈍器はそれ自体が壊れるまで体力の続く限り殴打する事が出来る。宛ら乱戦には持ってこいの武器と言えた。
軽く素振りをして射程圏を見定めると、急拵えの戦闘態勢は完成する。
モップを手に忘我の如く殴り掛かってきた男の緩慢な一振りを十字架で打ち払い、武器を捨てて突貫に切り替えた男に至近距離でコルト・シングルを発砲する。
血と脳漿を撒き散らして絶命する男は映画のワンシーンのように、力尽きても尚立ったまま黒猫を見ていた。
信仰心か酔狂か、退場した人間は汚らしく吐き捨てられる他許されない。目障りな障害を黒猫は足蹴にして、その行動を蔑む視線に睨み返す。
「何人、どれ程殺せばお前は満足するんだ? そんな事を無闇矢鱈に繰り返して、一体最後に何が残るんだよ?」
この後に及んで、愛の信徒は言葉で何かを変えようと足掻いていた。戦闘を外れた場所から悲痛な金切り声で女は問い掛ける。
黒猫はくだらない問答を無視して、手近な人間を十字架で鏖殺する。惨めな断末魔から少し遅れてひしゃげる音を上げて、その他大勢の狂信者がまた一人死に絶えた。
「五月蝿いババアや。この際、お前もついでに死んどくか?」
言葉すら聞き取れない程に喚き立てる女へ、コルト・シングルを向けると堪らず処理を行う。庇い立てるように立ち塞がる男達を的当てにして、ひ弱な彼女を守る盾を次々と血に染めていった。
二流以下のゾンビ映画でも観ているような気分になった黒猫はすっかりこの状況に嫌気が差してくる。弾倉をスイングアウトして薬莢を排出して即座にムーンクリップで次弾を装填すると、未だ機会を窺って蠢く生ける屍に歩み寄っていく。
「其処どけや、命張って守るか? ほんまは逃げたいんやろ? ええぞ、誰も咎めへんわ。今日、このクソみたいな宗教団体は壊滅するんや。やりたいようにせぇ」
当主代行を退避させた区画への入り口にある木製の扉、其処に押し競饅頭でもしているような愛の信徒達に淡々と告げる。
教義に反しようと、人道に反しようと。黒猫が関与した事で全ては無に帰る。命を散らすか、心を散らすか。降伏勧告に彼らは顔を見合わせて、それでもその場を離れる者は一人としていなかった。
「当主・アモル! 今から私達も貴方の御許へ参ります!」
弾丸が頭蓋を貫通して、十字架の重みが頚椎を損傷して、信者は目眩く倒錯の果てへと旅立っていく。単調な流れ作業と大差のない動きで、木製の扉はすんなりと開かれた。
冷えた空気が火照った体を包み込み、より冷徹に残酷に彼の思考は研ぎ澄まされていく。
「ーー募金をお願いされて、その相手を陸橋から突き落としたの? かなりクレイジーな子なんだ、黒猫君。まぁあの手の連中はしつこいし、不思議と可哀想にも感じないっちゃそうだけど」
バニラアイスが溶けて出来たソースを最後の一切れに残さず纏わせてフレンチトーストを平らげると
、朱雀は白猫から又聞きした問題児の話に驚きと呆れを返した。
「こんな時代に、馬鹿の一つ覚えなやり方で金をせびる深淵なる……何とかの集団も、そんな奴らを相手に逆上する黒猫も、目も当てられないわ」
ミルクたっぷりな上に砂糖も大量のミルクティーをおかわりして、白猫は哀れな二つの存在を両断する。弱肉強食の世界において相手の善意に身を委ねる事は愚策にしかなり得ない。
何かに縋らなければ歩く事も儘ならないのであれば、最早死んでいる事と同じである。
「まぁ確かに、宗教の自由も思想の自由も、本人達だけで完結してれば誰も文句を言う資格はないんだけど。結局どっちも相手を見誤った感は拭えない感じ。それにしても何だか、昔を思い出すわね」
正義は更に異なる正義とぶつかり合う。一方的に駆逐される悪は、どちらかの正義に負けた結果でしかない。多種多様な人生に正解を見出すのはその人間の自由であるが、強要すればそれは只の悪意となってしまうのだ。
朱雀は在りし日の銀猫の姿を思い起こしながら、未だ顔を合わせた事もない黒猫の姿に想像を膨らませる。聞くだに瓜二つなその生き様に、彼女は内心母性にも似た感情が溢れてくる。
「マミー、何か面白い事でもあったの?」
白猫は年相応の表情で疑問をぶつけて、微笑む朱雀の顔を覗き込む。ふとした瞬間に思い出に耽る自身に、朱雀は心の老化を感じて首を横に振った。
「何でもないわ。黒猫君は例の団体に引き渡してきたんでしょ? 大丈夫なの? 助けてあげなくてもいいの?」
愛娘同然に、家族の絆を超えた繋がりが二人にはある。話すまでもない話よりも、今は白猫の動向に興味が傾いている。
口を開けば黒猫の文句を言う事が多くなった彼女の、些細な心の機微に目敏く朱雀は気付いていた。本人はそれの正体に造詣が少なく、親代わりとしては少しばかりのお節介をしてしまいたい気持ちが大きくなった。
「ーーあいつなら自分で何とかするでしょ。そもそも、助けてって言われてないし」
揶揄うような朱雀の言葉に曖昧なニュアンスを孕ませた白猫の言葉が、賑わう喫茶店に吸い込まれて消えた。
そんな彼女を優しく見つめる朱雀は、益々黒猫の為人に興味を唆られる。




