第七話 「凍雲に眠る」 chapter 6
「あぁもうしゃーない、話にもならんねや。ほなら、やる事は一つになるやんか」
黒猫は独り言のように呟いて、コルト・シングルの銃口を礼拝堂の天井へと向ける。高い発砲音と共に天井の絵画には弾丸が減り込んだ。
騒ぎ立っていた集団はその音と彼の姿、そして天井の絵画の傷を見て奇声を上げる。音響兵器でも使用したかのような喧しさに片耳を塞ぐと、黒猫は衆目に晒されながらも堂々とその銃口を次のターゲットである当主代行へ方向を変える。
「殺す事しか、そんな虚しい物しか与えられない哀しき目だ。少年、貴方に愛はありますか? 今ならまだ間に合う。心を新たに我々の同胞になりなさい。愛は地球をすら救うのです。今なら、貴方はまだ救われる事が出来る」
当主代行は怖気付きもせず、泰然と黒猫の目を見た。盲目的に自身の正しさを確信しているような、先日の執拗な募金の男と同じような、うわ言にも思えるその声と眼差しが吐き気を催す。
「ーー何遍も言わすな、余計なお世話やねん」
黒猫は繰り返し同じ言葉で、彼らの言う所の宗教観を全否定する。言い終わると共に射線上の胡散臭い男へ弾丸が発射された。
悲鳴が響いて礼拝堂は一気に凍り付く。その中で唯一只一人、当主代行を守らんと動いた男がいた。丸眼鏡を掛けた彼は、死すら恐れていない様子の男を庇って肉の盾となる。
背中に命中した弾丸は見事に当主代行を守り抜いたが、庇った男はそのまま絶命する。狂信の末に本懐を成し遂げた男は、笑顔を浮かべて黒猫に振り返る。たった一撃を防いだ所で、他に幾らでも手立ては残されているとも知らず無意味な男の動きは止まった。
「流石はカルト集団やないか、ええ感じに狂ってるやん。その調子で、アホみたいなおっさん守ってみろや」
盛り上がってきた舞台に黒猫は木製の椅子から立ち上がり、我先にと肉の壁として立ちはだかろうとする人垣にそれを放り投げた。血湧き肉躍る争い事に彼は酔い痴れていく。
ほんの数日前まで、中学生として裏社会から外れた学校生活を送っていた日々は退屈そのものであった。校長の言うスーパーヒーローとやらを非暴力で成し遂げろ、とそんな無茶振りを手探りでやってきた。
些細で抑揚のない暮らしは修羅の心を枯渇させる。戦って戦って戦って、黒猫の人生はそうして形作られている。
「何処まで我々を冒涜するつもりか! 同胞達よ、皆で不調法者を取り押さえよう」
取り巻きの愛の信徒達は当主代行を守る事と黒猫を捕まえる事に専念するようである。時既に遅し、話し合いの場に銃を持った人間がいる時点で彼らは対策しなければならなかった。
「ガキやないねんから、口喧嘩なんかいらんぞ。言うた言うてない、やったやってない、全部どうでもええ事やーー」
漸くその気になった連中の中から比較的体格の大きな男が黒猫に掴み掛かってくる。血走った目には迷いが透けて見えており、何より彼の握るコルト・シングルに恐れを隠せてはいない。
無策にも程がある彼らに、どう動いたものかを思案する。弱肉強食の世界に余りにも適応出来ていないその思考回路で、何をどうすればこのような宗教が繁栄してこれたのかまるで疑問しか浮かばない。
「ーー死にたい奴からかかってこいや」
黒猫は渾身のジョルトブローを叩き込む。数に限りがある銃弾はなるべく節約して、ついでに小遣い稼ぎ用にある程度の人間は生かしておく必要があったのだ。
次々と向かってくる狂信者達に肉弾戦が火を吹く。喧嘩慣れしていない人間は思い切りが圧倒的に足りない。それが愛を謳って争いを避けてきた人間であれば尚更、黒猫に通用するべくもない。
至近距離から何とか黒猫の体に手を伸ばした一人を、その股間に遠慮なしの前蹴りで突き放す。抑え込もうとする一人の頭髪を鷲掴みにすると、顔面へ膝蹴りをかます。数の多さで優勢は愛の信徒達にある。それでも彼は各個撃破を積み重ねて、確実に相手を追い込んでいく。
黒猫が大方の予想通り話し合いを拗れさせていた頃、白猫は一人で喫茶店にいた。若い女を惹き付ける魅惑のフレンチトーストを拘って作るその店で、彼女は甘みと温もりに心を弾ませている。
飲食店の殆どは自動調理が主流でその道の職人は多くが職を失ってしまった。そんな時勢であっても尚淘汰されずに生き残る本物の職人は、正に厳選を繰り返した末の宝石に等しい価値がある。
甘く芳醇なバニラアイスが仄かなソース状に広がったトーストの切れ端を口に迎え入れて、子供のようにはしゃぎたい気分を堪えてから白猫は支部教会に置いてきた黒猫を思案した。
助けを乞われればそれも吝かではない。教育係としては至極当然の事である。しかし、黒猫が彼女に助けを求めた事は今の今まで一度としてない。どうしようもない程に、二人の心はすれ違っているように思えた。
渇く喉を甘ったるいミルクティーで潤して、妙な胸焼けを奥深くへ流し込む。黒猫は今後恐らく彼女の心の機微に気付く事はあり得ない。
暫く降り続いた雪は今日には姿を見せず、それでも凍り付くような寒さだけが町を支配している。喫茶店の華やかな内装は暖色に包まれて、通り沿いの窓側の席は温もりこそあれどそこから見える景色は灰色に曇って物悲しささえ漂わせていた。
「ーー白猫? あれ、今日は例の黒猫君と一緒だって言ってなかった?」
待ち合わせをした訳でもない彼女の背に優しく手を当てて、振り返った先には朱雀の姿があった。艶やかなボルドーの髪は無造作なオールバックに整えられ、普段の印象より更に妖艶に見える。
カウンターの隣に腰を下ろした朱雀は、白猫の食べているフレンチトーストを見るなり同じ物を注文した。甘みのある食べ物に対してブレンドコーヒーを頼む辺りに、白猫との味覚の差がはっきり別れていた。
白熱しているであろう黒猫の事はすぐに忘れ去られて、二人は朗らかに笑顔を浮かべて優雅な時間を過ごす。
世界の何処かで今正に人間が苦しみ死にそうになっていたとしても、大多数の他人にとってはどうでもいい事なのである。




