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under rain  作者: 亮太 ryota
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第六話 「翼を捥がれた鳥」 chapter 5

 吹き付ける風が繊細で艶のある長髪を巻き上げた。セーラー服は遊ぶように膨らみ、仮に上のマンションを見上げる通行人でもいれば丸見えになっているかもしれない。

 下半身に纏わり付く冷気も下着を見られているかもしれない恥ずかしさも、今の彼女にはどうでもよかった。

 死を覚悟して高いフェンスを乗り越えて、マンションの淵に立つ。見下ろす景色を歩く偽りの平和を享受する人間に、まざまざとリアルな死を見せ付けてやりたい。そんな気持ちを胸に少女は中空を眺める。


「ーー死にたいって思った事ありますか? 私は精神的に脆いんでしょっちゅう思ってるんですけど、やっぱり、いざその時になると怖くなります」

 邪魔をするなと言っていた筈の少女は、空気を読まず屋上のベンチで寛ぐ黒川を話し相手にしていた。死にたい気持ちに嘘はなく、話している今も屋上の淵に乗っ掛かる両足とフェンスを掴む右手以外はほぼ落下しているような物である。

「……死にそうやと思った事はあるな。殺されるぐらいやったら、それより先に殺したるけど」

 黒川は年恰好にあるまじき人生観を持って彼女の質問に答えた。不思議と見ず知らずの他人の方が、着飾らず素直に話せている事に驚きさえ感じた。

「凄い、いや、怖いですね。見掛けた事ないと思うんですけど、もしかして転校生ですか?」

 想像を遥かに凌駕した彼の言葉に、率直な意見を述べて気になっていた質問をぶつける。交友関係は広くないものの、普段過ごす学生生活の中で一度も見た事のない存在にほんの少しの興味が湧く。

「そんなもんやな、知らんけど。まともに学校行ったんは最初の一週間だけや」

 住む世界が違うように感じつつも、逆に友達になれそうな不自然で意味不明な感情に食指が動く。友達と呼べる人間をあまり持たずに生きてきた彼女には、何よりそれが新鮮に思える。

「私ってホント中途半端ですよね。死にたいなんて言って、何日もこの先に進めない臆病者なんです。本当、笑えますよね?」

 力ない笑い声が心を無視して溢れて、風に殴られる顔は涙を浮かべてしどろもどろになる。視界が歪み、澄んでいた空の景色が見えなくなった。


「死にたいぐらい、悔しい事があるんやったら戦うしかないねん。何で飛び降り自殺したいかは置いといて、お前はそれで満足なんか?」

 黒川は答えになっていない答えを更に疑問として投げ掛ける。約一ヶ月前の校長とのやり取りがフラッシュバックして、彼は依頼人の言う所のスーパーヒーローが何をする存在かを考えた。

 ストレスの源そのものの学校から一線を画す憩いの場、それがこのマンションの屋上である。誰の意向で設置されたか定かではないベンチも寝心地こそ悪いが、彼を何度も通わせる程度には役に立っている。

 そんな習慣が出来てから三、四日。毎日いる先客が今も尚、飛び降り自殺に臨む少女であった。厳密には未遂だがその決心は固いようで、未だに顔すら見た事のない彼女は気の済むまで時間を潰す黒川よりも滞在時間が長い。

「……それって強者の理屈じゃないですか。戦って戦って、最後に何が残るんですか? 私だって、これじゃ負けたみたいで悔しいですけど、それでもどうしようもなく死にたいんですよ」

 涙声が風に掻き消されて微かに黒川に届く。人間誰しも強くあらなければならない訳ではないが、弱肉強食の世界で幅を効かすのはいつも強者と多勢の中の傍観者だけである。

 弱者は付け込まれて、辱められて、蔑まれるしかない。虚しい輪廻の中で人間はその咎を濃縮していく。弱者は自身より弱い立場の人間を見つけては、されてきた事と同じように繰り返すのだ。

「負けて悔しいから、泣いてんのか? 死んだらそれで終いやろ、ほなら俺は相手を殺すだけや。そんな事より、お前ずっとパンツ見えてんぞ」

 確固たる意志を持って我を通す。黒川はそうしてやくざ者として生きてきた。追伸する空気を読まない余計な一言は最早彼のトレードマークとも言える。


「空気読めないって嫌いな言葉ですけど、今のは流石に私もそう思いましたよ! 何でこの話の流れでそんな事を言えるんーー」

 突然の黒川の遠慮ない発言に、固く握っていた右手が緩んだ。強風が少女の体を浮かせて、本来から彼女の望むままに飛び降り自殺は強行される。

 涙が乾いた視界に、黒川の姿がはっきりと映し出された。想像していたよりも幼く、それでいて纏う空気感だけは圧迫感を放ってベンチに座っていた。


「ーー死にたい言う割には、えげつない速さで動いてたな」

 落ちる寸前、少女は本能的にフェンスに縋り付いて難を逃れていた。危機感を前に想像以上の力が出る事は裏社会も何も関係はない。

「笑いたければ笑ってください。私だって、自分で自分にびっくりしてます」

 悔しそうな少女の声が黒川には自嘲染みて聞こえる。言葉にする程、心はそうそう上手く変えられるものではなかった。

「なぁ、さっきからそれ言うてるけどや、笑うかどうかは俺が決めんねん。何で俺がお前に指図されなあかんねや?」

 他人にあれこれ言われる事を嫌う黒川の言葉に、少女の顔が停止する。初めて目と目が合う二人の間には長い沈黙が流れた。


「え? それって……つまり、どういう事ですか?」

 少女の声は緊張感も悲壮感もなく、只々純粋に彼の言葉の意味を問う物である。

「俺が笑う時は、お前が何をどう思おうが好きに笑うて言うてるやんけ」

 ぶっきら棒で空気を微塵も読まない言葉が返ってくる。子供の社会でも気遣いと思い遣りをある種強制される世の中で、彼のような存在は只管に悪目立ちしている。

 張り詰めていた肩肘が弛緩する感覚に、解き放たれたような真理を見つけたように思えた。


 少女の人生は生来からの引っ込み思案と自身の意見すらも言えない奥ゆかしさの所為で、周りと比べて暗く寂しい青春を送ってきた。

 幸いな事に幼馴染二人の存在によって何とか心の平穏を保っていられたのも束の間、年を重ねる毎に陰湿さを増していく虐めの標的になると目に見えるその世界は途端に地獄へと変わる。

 優しさに溢れた幼馴染二人は必死に身を挺して少女を守るが、何時如何なる時もそんな二人が側にいられる訳ではない。どれ程影に潜もうと、加害者は必ず弱者を晒し上げるのだ。

 目の前の名前も知らない少年、その到底優しいとは言えないながらも真っ直ぐ過ぎる言葉に先程とは違う涙が込み上げた。

 虐めに悩んでくよくよと途方に暮れていた少女は幼馴染に距離を置くように進言すると、唯一の味方であった二人は珍しく怒りを露わにした口調で誰よりも優しく頼れる言葉を放つ。

 奇しくも同じような発言に、悲しみは滂沱となって止まらなくなった。

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