第五話 「囚われのマリオネット」 chapter 5
ターゲットである女神を探していた黒猫は、ふと人混みの中で白猫を見つける。僅か数歩先をすれ違うその瞬間のそれは何時も見ていた冷静沈着で無表情な彼女ではなく、眉根に深い縦皺が走った凄まじい形相だった。
とても休暇を楽しむ様子ではない彼女を見て、黒猫は不確かながらも只事ではない状況を感じ取った。
弟の父親を騙り母親を呼び付けた白猫は、祭ムード一色の町並みには目もくれず待ち合わせ場所へ急ぐ。憎悪を滾らせた眼差しは中空を撃ち殺さんとしているように鋭くなっていく。
目の前の事に囚われ過ぎて、すれ違う人間に配慮して歩く事も出来ない彼女。笑顔を振り撒く一般人にすら殺意が向きそうな程に、その視界は大幅に狭められている。
夕方の賑わう通りには向かい合わせに露店が並んでいる。完全機械製造が大幅にシェアを占める現代でも、祭の日だけはその装いが変わる。
普段は料理すらしないような人間が簡単な調理で済ませた似非グルメを割高な値段で売り付けて、そんな事にも気付かず喜んで金を落とす客足は絶えないようだ。
行き交う人間の放つ熱気で酔いそうな感覚を、白猫はより深い怨念のような執念で立ち向かっていく。
「ーーねぇねぇ、お姉さん、今一人? 良かったら俺と遊ばない?」
風を切るように歩く白猫の肩を叩き、ひょっとこの面を付けた男が纏わり付いた。顔に趣味の悪いペイントを施して、金色の髪は棘のように反り立っている。
「……遊んでる暇なんかない」
白猫に冷たく睨み付けられた金髪の男はそれでもめげずに引っ付いて、人波の流れを盛大に乱す。
「待って待って、怒ってるお姉さんも可愛いね! なんか、どっかで俺達逢った事あるっぽくない? 初めて見るとは全然思えないんだけど」
諦めの悪いひょっとこ面に、白猫はぎりぎりで我慢していた殺意が表面張力を上回る。
「祭に浮かれるのは勝手だけど、声を掛ける相手を間違えてる。一人で勝手に楽しんでればいい、死にたくなかったらね」
人混みの中で立ち止まり、白猫はベレッタを構える。突然の事態に彼女の周囲は小さな悲鳴を上げて、緩やかに騒ぎが広がっていく。目立つ事は避けたいが、余りにも小蠅が鬱陶しくて堪らなかった。
「やだなぁ、それ水鉄砲? 俺も流石にそんなおもちゃで遊ぶ程馬ーー」
「ーー水かどうか、試してみる?」
戯ける金髪の男の額に銃口が当たり、その重みで白猫は正体を分からせる。命の重さに匹敵するその重量感で彼の中の時間が止まる。思考が完全に停止したように、彼は冷や汗を浮かべていた。
「騒ぎは起こしたくないから、ドッキリでしたって馬鹿みたいに言いなさい。死にたいなら別に構わないけど」
白猫は男にだけ聞こえる声を耳元で囁く。ついつい先走ってしまった彼女も、この場で騒ぎを起こすのはリスクしかないと冷静になっていく。
「ド、ドッキリ大成功ー! お騒がせしました……水鉄砲ですから!」
ひょっとこ面の下手糞な演技で、どよめく周囲に安堵が宿る。殺されない為に必死に取り繕う彼の働きで、無事に騒ぎは未遂に終わった。
乾いた笑いに包まれて冷や汗に塗れる男が振り替えると、既に白猫は姿を消していた。徐々に暖色を帯びていく陽光に無駄に煌めく髪が風に靡く。
同じ頃。薄暗いホテルの一室で、白猫の母親は恍惚の表情を浮かべる。リピーターの客は彼女にとってのステータスであり、多くの信者に支えられて人生の幸福度は鰻登りに跳ね上がる。
「王子のパパはエスっ気激しいから……壊れちゃうかも」
鼻歌混じりにシャワーを浴びて、五児の母親とは到底思えない程に魅惑の色香を放つ彼女は笑う。表情こそ美しさはあっても、人間らしさは欠落していた。
その体の殆どは既にアンドロイド化によって人間の生の理から外れてしまっている。長く艶のある茶髪以外は全て脱毛して、顔形に至っては五年前から何一つ変わらない。老いを完全に克服した究極の人間の、一つの完成形が彼女である。
ほんのり濡れた茶髪でさえ妖艶な色気を放ち、蜜蜂が花粉に魅せられるように多くの男を淫らに誘い込み泥濘に引き摺り落とす。
布一つ纏わず豪勢なキングサイズのベッドに腰掛けると、母親は甘い香水を自らに振り掛けた。花の香りに広いホテルの一室は満たされる。
ベッドサイドのテーブルには目隠し用のアイマスクと金色の手錠が置かれて、客を迎え入れる準備は完全に整う。
室内の壁にはあらゆる角度からでも的確に被写体を捉え続けるカメラが仕込まれており、人工知能がその都度最適なアングルを撮影してその場を扇状的に駆り立てる。
雰囲気を何より重んじる彼女は、過去のある日から今尚自身を女神とさえ讃えさせた動画を誇りに思っていた。その頃から拘り続けて、閉鎖したホテルを買い取った後もあの頃と変わらぬ再現を繰り返すのだ。
かつてのスタジオもとい彼女達の家を失っても、莫大な財産によって大した痛手にはならなかった。多くの悲劇的な欲望が生み出されたこの部屋は、彼女にとっての楽園に他ならない。
客に長く楽しんでもらう為には、どれ程の美貌をもってしても抗えない飽和状態にも似た物を脱さなければならない。
嗜好を凝らしたサービス精神とどんな要望も喜んで叶える圧倒的な変態性。欲望の行き場を溜め込む多くの客は、そんな女神に唆されて深く深く堕ちていく。
その為ならば腹を痛めて産んだ娘も息子も、彼女の売り出す商品の一つになる。離れていく客を食い止める新たなるマニアック性が、不動の地位を欲しいままにした。
破滅的に歪んだ愛の心はもうどうにも止まらない。今となっては母親の狂気的な思考回路を正す事は最早不可能である。
「ーーふふ、幾つになっても、この瞬間は緊張する」
今か今かと胸を躍らせて外の祭には興味さえ示さず、恋する乙女のようでもある彼女はもう一度無邪気に笑う。
女神の小さな独り言だけが静かなホテルに粒立つ。




