第四話 「亡霊が嗤う夜」 chapter 4
数日経っても白猫が配置した監視ドローンには何の反応も見られなかった。やくざ者が大量に死んだ廃工場に、前評判通り人っ子一人現れる事はない。
亡霊の正体は未だ手掛かりすらなく、太陽が沈む間近の夕方に黒猫達は中間報告の為に君影草を訪れる。
「娘が本当に申し訳ありませんでした。きつくお説教しておいたのでご容赦下さい」
マスターは黒猫に陳謝した。特段気にしてはいない黒猫も形式上それを受け入れた。
「ーー肝心の亡霊とやらが見つかる気配もないんや。それと……」
お詫びにと提供されたハイボールをテーブルに置くよりも先に口へ運び、黒猫は言い掛けた言葉を引っ込める。あの日の胸に痞える違和感の正体、その出来事に関しては白猫にも伝えていない。
清涼感と共に流れ込むアルコールでも、その気持ち悪さは拭い去れなかった。
仕事もそこそこに飲み始めた黒猫を置いて、中間報告を終えた白猫は席を立つ。仕事モードからプライベートへとスムーズに移行する彼と違い、彼女はまだ監視ドローンの動きに注視する腹積りである。
非科学的な存在である件の亡霊が見つかると白猫は本気で思っている訳ではない。幽霊の正体見たり枯れ尾花、とは的を得ていて亡霊だと持て囃される存在は大概が、なんて事はない理屈で説明出来てしまえる。
賑わう町並みは夏の暑さを物ともせず浮かれ切っていて、仕事に追われる彼女を嘲笑っているように思えた。
滞りなく群衆に紛れて、白猫は会社へと戻る。ふと見上げた夜空は月もなく、町明かりのネオンが騒がしい。
亡霊が目撃されたとされる日も、今日と同じ月のない夜だった。小学生が夜遊びで盛り上がるには少々闇が深過ぎる。廃工場に何がいるのか、亡霊だと仮定したとして何が望みなのか。依頼はかつてない程に難航必至である。
「ーーマスター、俺もそろそろ仕事戻るわ。何にしろ、亡霊探しに期待はせんといてくれ」
アルコールに侵食された思考回路でも、黒猫は通すべき筋だけは頑なに守る。依頼自体がそもそも成功する見込みもない訳で、それでも引き受けた以上はやれる事をやるしかない。
電子マネーでの支払いを済ませて、君影草を出ると夜風が火照った体に心地よかった。
繁華街の通りに抜ける手前、黒猫の前に酔っ払いの集団が現れる。騒がしく笑い合い、道を占有するように陣取っている。
「……邪魔やのぉ、どけやカス」
苛立ちを隠しもせず、黒猫は険悪に言い放つ。謎の盛り上がりを見せていた集団は唐突に静まり返った。
「あぁ? ガキが調子こいてんじゃねぇ」
アルコールとは別で真っ赤に染まる顔が怒りに引き攣る。あっという間に黒猫を囲むと一人の男が下卑た目で睨み付けた。
胸倉に手を伸ばす男の息が酒臭くて、黒猫は顔を顰める。自身を棚に上げて彼は酔っ払いが大嫌いなのだ。中でも絡み酒は飛び切り鬱陶しく思っており、仕事云々を抜き差しにしても殺意が込み上げてくる。
男の手が黒猫に届く事は一生ない。腰のサバイバルナイフを居合斬よろしく抜き放った彼の一撃で、男はその手を失ったからである。手首から先を落とされた男は、度肝を抜かれる景色に一瞬戸惑ったように静かに道端のかつて自身の手であった物を見つめる。
血と呻きが溢れて、集団は呆気に取られる。返り血を浴びて黒猫は舌打ちする。しゃがみ込み悶える男の短い髪を掴むと、的確に頸動脈を斬り裂いた。血飛沫の掛からない角度に拘った黒猫はサバイバルナイフを逆手に持つと、棒立ちの周囲を睨み付ける。
「おいおっさん、分からんか? 通行人の邪魔になるやん。ええ年こいてそんな常識も守られへんか?」
黒猫の狂った常識の概念に、集団は先程とは別の意味で静まり返った。関わってはならない存在に、自ら首を突っ込んだ事を今更後悔しても既に遅かった。
「ーー殺さないでくれ。俺達が悪かったから」
集団の一人が命乞いする。楽しく酒を飲んでいただけの筈が些細な諍いになり、挙句殺人にまで発展してしまった事を悔いた。
「ガキの喧嘩やないねん。悪いと思てるんやったら、態度に示さなあかんのとちゃうか?」
黒猫は諭すように講釈を垂れる。サバイバルナイフを握り込むと、謝罪した男の肩へその分厚いブレードを突き立てる。
痛みと共に絶叫した男は崩れ落ちるように前屈みに倒れる。それは図らずも命乞いの末の土下座のようでもあった。
「やったら出来るやないか。悪い事したら謝る、言葉だけやないねん。ええ勉強になったやろ?」
謎の納得感に黒猫が溜め息を吐く。何かされる前にと、集団はいつの間にか全員が土下座していた。
通行人の目はそんな彼らを蚊帳の外に、面倒事からは目を逸らして生きていく。関わりを持つ事自体が危険なのだ。
金にもならない殺しは極力しない。酔いが勢い余って、無駄な労力を費やしてしまった事を俄に後悔する。
「いやはや、大した戦闘力だ。見た目は子供なのに、やくざ者とは末恐ろしい限りだよ」
遠巻きに眺めていた男が拍手と共に黒猫を賛辞した。黒いスーツに身を包んだ男は、身形こそビジネスマンだが何処となく纏う空気が堅気ではなかった。
「あ、おっさん! てめぇ、俺らをハメやがったのか?」
土下座していた男の一人が男を見て、形相を変えて怒鳴った。
「ハメただなんて、白々しい。対価は与えた、結果として死んだのはそちらの都合でしかない。そうじゃありませんか?」
黒スーツの男は冷めた目で伏せた集団の姿を見る。話の流れについていけない黒猫はそんな男をじっと観察していた。
半袖でも暑い熱帯夜に、涼しい顔をしてスーツを着こなす男は異質過ぎる。何より面識もない人間に値踏みでもされたような一連の出来事が、黒猫を無性に苛立たせる。
「ーー黒猫君だったね? 君は強い。反政府都市のこんな寂れた町の、それも一介のやくざ者にしておくのは勿体ないとは思わないかな?」
男は視線を黒猫に戻すと、不敵な笑顔を浮かべて黒猫へと歩み寄る。
黒猫の名を知っている辺り、只のビジネスマンではない事だけが確実に証明された。




