第三話 「愛食む獣」 chapter 4
物心が芽生えてから大人になった今でも、松川は無償の愛に飢えていた。飼えなくなった動物を捨てるように置き去りにされて、まともな教育もされないままスラムのような町で生き足掻いた日々。他人を蹴落とす事で成り上がり、それでも尚満たされない心の渇きに晒されて彼はあらゆる欲望を滾らせる。
誰からも愛されないまま大人になった松川は、金の力に物を言わせて言いなりのような女を求めた。やりたい放題に女を侍らせ、嗜虐と嗜好の限りに全てを食らい尽くす。体は簡単に欲望のまま果てた。人間とは所詮それ程の物である。
しかし心だけはどうしようもなかった。愛を欲して、どれ程に求めてもそれは満たされない。
相手を取っ替え引っ換えして、様々なロールプレイを強いる。依然干涸びていく心に変化はない。松川は何が悪いのかさえ分からず、欲望の向かう先をしがみ続けた。
そんな生活の中で金はすぐになくなる。その度に新たな獲物を見つけては、相手の人生丸ごとを壊して金を得る。ふとした瞬間に大金を手に入れた松川は、金を貸す事で金を得る仕事に手を付けた。
ハングリー精神と愛を知らない心は、薄い紙すら通さない程に噛み合ってしまった。まともな暮らしを生きて、貪り食うばかりの自身を強く恥じるようになったのはこの時である。
頭がおかしくなる程に恥じて、松川は愛する事を知る。愛される事に飢えて欲する余りに、彼は愛する事から否応なくずれてしまっていた。
顔さえ思い出せない両親と自身が同じである事に松川は絶望した。過去を省みて、生き方を変えなければ愛されない。そんな思い巡らせて答えに漸く辿り着いた。
全てが既に手遅れである事も同時に思い知る。蹴落としてきた多くの人間達が、愛を得る為にしてきた金儲けが松川という醜い存在を作り上げている。
生きる為には、溝の底で生きる過去を捨てるには金がいる。欲望を捨て去るには、甘美な一時の心地よさが後を引く。再びどうしようもなくなって、松川はまた同じ過ちを何度も何度も繰り返した。
連日のように取り立てては金をせびる。中西はいつも困ったような顔で、あれやこれやと理由を述べる。堪らず怒鳴る松川の声で、肩を強ばらせた弱者は時たま少額を返済する。
殺してしまいそうな感情の波を強引に抑えつけて、松川は中西から金を搾り取る。
濃淡のない日々の生活が続いたある夜、かつて落とせなかった女の甘い声がスピーカー越しに聞こえた。酔い潰れて動けない彼女の助けを求める声が、松川の食指を豪快に盛り立てた。
年老いた男性の相手に掛かり切りで、随分ご無沙汰にしていた事を思い出す。甘えた態度にも関わらず鉄壁のように感じたあの女が、向こうから松川を求めている。餌を見つけた獣は夜の町を奔走する。
「ーーホント男って、馬鹿ばっかり」
眠りこけて豊満な胸を上下させる女の横、汗だくでホテル街の通りに辿り着いた松川を見て白猫は呆れ果てる。
「アホか、男は誰しも豊満なボディーに夢中になるねん」
黒猫が人混みに紛れて肩で息をする松川の背後に立って、白猫の罵倒に文句を付ける。個人の好みに限らず、反射的に見てしまうのは人間の本能が生み出した性である。
「……お前ら、組織の連中か? 待ってくれ、逃げるつもりはなかったんだ」
松川は混乱する頭をフル回転させて、事態の収拾に努める。女に釣られてまんまと騙された男の弁解が通る事は、現状ほぼほぼあり得ない。
「報酬の未払い分についての問い合わせは何度もした。こちらは充分待たされた。今現在、あなたは逃げ回っている。それで? 他にどんな言い訳してくれるの?」
白猫は至極冷静に松川を全否定して、面白い物見たさに質問する。想定し得る選択肢を潰して包囲する手篭めの流儀が光る。
「金がなくて、その為に必死で集めてたんだ! 頼む、今すぐは無理でも、明日には何とか!」
言い訳がましい力技で松川は抗弁を垂れる。通りに響く声音は虚しい注目を集めていた。
「御託はええねん。立場分かってるんか? お前、金貸しらしいな、まずはその態度どうにかせぇよ」
黒猫は喚き立てる松川の尻を蹴り上げて、反抗的に振り向いた男男の髪を鷲掴みにして透かさず膝蹴りを食らわせた。
顔面に強烈な痛みが走り鼻からは血が滴る。子供相手だと油断していた松川は居直り、黒猫へと掴み掛かる。伊達にスラムのような町で生き抜いてきた訳ではない。喧嘩は日常茶飯事、勝った方が正義である。
「クソガキに口喧嘩で負けて逆切れか? おっさん、かなりダサいで」
黒猫は嘲笑と共に煽り立て、図星を突かれて更にヒートアップする松川は唸り声を上げる。大味な攻撃動作を捌いていなしては、黒猫は挑発を続ける。
通行人の流れは突然のトラブルに停滞し、荒くれ者達を遠巻きに眺める。酔っ払い同士の喧嘩か男女の痴話喧嘩の発展ぐらいの認識でその場の誰も介入しようとはしない。
コルト・シングルを突き付ければ簡単に場は収まるが、金を巻き上げる以上殺す訳にもいかず衆人環視の中で余計な混乱は動き辛くなるだけである。
その間も白猫は無言で黒猫を見つめていた。何を伝えようとしているのか理解出来ない彼だったが、優先事項は松川の捕縛で変わらない。
「私の為に喧嘩しないで!」
猛り燃える松川を背後から女が抱き締める。豊満な胸を押し付けられた松川の動きが止まった。少女漫画的なヒロインのような声で喧嘩の幕が下りる。
「ーー明日にはお金が手に入るってホント? 嘘ならこちらも相応のやり方で回収するけど」
白猫は何処から取り出したのか、手錠と猿轡を松川に手際よく取り付けて拘束する。彼女の本来のやくざ者としての実力が発揮された瞬間である。




